札幌民主文学通信

 

   二〇一八年十二月一日  241号 

 

 

 

 

 

   十一月例会合評報告

 

 

 

「札幌民主文学通信」の例会合評報告は、支部誌「奔流」と北海道研究集会作品集「北海道民主文学」掲載の作品の場合、作者が報告します。                                   

                            編集部

 

     

 

 

 

 

 

合評作品

 

進藤良次「海と父と」(『民主文学』十月号)

 

 

 

報告者   松木新

 

 

 

作者を迎えての合評だけに盛り上がった。

 

海に生きる父親の凡庸な生き方を、きらきらと光らせて描いた作品、父親と作者の距離感が適切、簡略な叙事文体で海に生きる父親像が生き生きと動いている、アブラコのハエ縄釣りや飯寿司づくりの描写に臨場感がある、などを報告した。

 

「文芸時評」での北村さんの批評については、バルザックの人物造形をドストエフスキーが深化させたことにふれながら、北村批評はバルザックの域に留まっていると指摘しておいた。

 

日高を舞台にした作品なのに、なぜ、アイヌが登場しないのか、という疑問も提起した。

 

討論のなかでは、海を主題にした作品が『民主文学』に掲載されたことの意義が強調された。同誌上では、このところ一次産業を主題にした作品がほとんどないことが危惧された。

 

最初の四行と最後の六行の文体が別人のようだと指摘された。作者が種明かしをして、一同は納得した。このようなサンドイッチ方式をあえて採る必要がなかったのではないか、という意見もだされた。

 

起伏がないので面白くないという意見もだされたが、タイトルに象徴されているように、「海」を全面にだすことで、この作品が広がりをもち、読む人に感動を与えているという指摘はそのとおりだろう。

 

漁業の体験者が、自分の世界を描いた作品だ、と全面的に受け入れたが、漁業の未経験者がその細部にまで想像力を働かせることは、至難の業のようだ。あらためて、体験の相違が、読解力を大きく左右していることについて、考えさせられた。

 

かけがえのない尊い人間を、今、書き留めておかなければならないことを、この作品から学んだという意見には、皆、同調した。

 

北村さんの「文芸時評」については、こういうことをいわれると作品世界が分裂してしまう、稚拙な作品で読者に媚びる方法では、この作品の良さが死んでしまうなど、不評だった。

 

アイヌがなぜ登場しないのかについて、作者が、日高では「えりも」と「奥日高」にだけアイヌが生活していないからだ、その理由は、「百人浜」の由来にある、と磯谷則吉の『蝦夷道中記』を紹介しながら説明した。初めて聞いた人も多く、勉強になった。

 

 

 

補遺 〈百人浜〉

 

磯谷則吉『享和元年歳次辛酉 蝦夷道中記』に、次の記述がある。

 

「二里計も登り左の方東海の濱エリモ岬百人濱 百人濱と唱ふ事は寛文年中の頃かと シャムシャインと云蝦長津軽の金堀庄太夫といへるものを婿として黨を結ひ辻頭蝦地オシャンベまてもおそひ来りしか此事公に聞へ南部津軽の両家へ台命ありて松前と共に是を討せしめ候ふて黨主百人を此濱におゐて誅せられしより百人濱と名付しよし也」(太字は引用者)

 

この書籍の末尾に、「京和元年秋七月於箱館旅宿記 磯谷則吉」とある。「京和」は、原本を現代語に訳した際の、「享和」の誤植だろう(ちなみに、現代語訳に当たったのが誰かは不明だが、釧路の研究団体のようだ)。

 

関根達人「アイヌの宝物とツクナイ」によると、享和元年(一八〇一)に、蝦夷地御用掛の松平忠明に随行した磯谷則吉が、『蝦夷道中記』を記した、とある。

 

平成十三年(二〇〇一)三月三十一日に発行された『増補 えりも町史』は、次の様に記述している。

 

「『百人浜』という地名は古く、すでに二〇〇年以上前の寛政三年(一七九一)の『東蝦夷地道中記』にその名が記されている。その名の由来については、『南部藩の御用船が難破し、百人余がこの浜で絶命』『シャクシャインの乱後に、それに組みした金掘り一〇〇人余人と、かくまったアイヌを虐殺』『十勝アイヌと幌泉アイヌの古戦場』などの諸説がある。既刊『えりも町史』には、その説と一石一字塔碑文の読み下しが記されている」

 

榎森進『アイヌ民族の歴史』(二〇〇七年、草風館)の第五章「シャクシャインの戦い」には、「百人浜」にかかわる記述はないが、気になる箇所がある。

 

「松前軍は、(中略)一六七一(寛文一一)年春、『シラオイ(現白老町)』に出陣して日高の『シベチャリ』より『奥七ケ村』の仕置を行った(『寛文拾年犾蜂起書』)。ここにいたって、シャクシャインの戦いは、最終的にアイヌ民族側の敗北として終結するのである。事件発生後、ほぼ一年九ヶ月目のことであった」

 

右の引用文のうち、「日高の『シベチャリ』より『奥七ケ村』の仕置を行った」ということのうちに、百人浜で「誅せられし」事件が含まれているのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 合評作品(「北海道民主文学」二十二号)

 

  評論 野上彌生子『迷路』の世界

 

 

 

合評を受けて     松木 新

 

 

 

「野上彌生子『迷路』の世界」の合評を受けて、何よりも嬉しかったのは、何人かの人たちがこの評論をきっかけに、『迷路』を読み始めたり、読んでみたいと言ってくれたことでした。

 

文学会に加入したての頃、大会で有名な作家に会い、何かのはずみで『迷路』を読んでいないことを知り、ショックを受けた記憶が今でも鮮明です。

 

誰もが知っている名作だけれども、じっくりと読んだことがない小説は、ぼくも結構あります。『源氏物語』や『ドン・キホーテ』、『ユリシーズ』などはその最たるものですが、さすがに、『フィネガンズ・ウェイク』だけは、Ⅰ~Ⅳまでが手元にあるものの、絶対に読み終えることなど出来ないだろう、と「確信」しています。

 

浅野さんから、渡辺澄子と平野謙との師弟関係を教えてもらいました。彼女の論調に、何となくざらざらした肌触りを感じていたので、納得できました。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 合評作品(「北海道民主文学」二十二号)

 

  旅行記  沖縄の少年

 

 

 

「沖縄の少年」について   村松祝子

 

 

 

この1年近く「札幌民主文学」の例会に参加するようになって、何か書かなければならない責任を?感じていました。しかし何を書くか定まらない中で以前沖縄旅行した時、印象に残った少年の模型姿が浮かんできました。ある日の合評会で「沖縄のことでも書こうかな?」と言ったら遠くの席の松木さんが「そりゃいいですね、ぜひ書いてくださいよ。」と細い目が喜んでいるようで、その嬉しそうな顔に答えねばならないと、当時のメモ帳を探しましたが、およそ10年前の資料もパンフも棄捨した後で、頼りにするのは空想の世界と平和記念館で求めた3冊の本でした。 まずは作文的に書き始めイメージの浮かぶまま書いているうちに何を書こうとしているのか、どう書いたら良いのかの壁にぶつかり、1ヶ月近くも休んだり、近づく締切日に追いかけられるような気持ちにもなり、悪戦苦闘しながら仕上げました。書き終えて沖縄に関する事件やニュースに敏感になり沖縄は私にとってすぐ隣に存在する感じです。合評会では泉恵子さんから定年退職から換算して第二次世界大戦を経験した年齢が合わないと指摘され、大雑把な書き方を反省しました。時代の大切さをしっかりと確かめなければと肝に銘じた次第です。また夜光虫という表現もこれは海の生き物であり決して空中を飛ぶ生き物ではないと指摘されました。確かに自分のイメージは夜に飛ぶ蝶々か蛾のイメージで書いたので、ここも不確実な表現でした。石川弘明さんからは全般の旅行記を切って少年を幽霊に仕立ててシナリオ風に書いたらとのアドバイスも頂きました。しかしそれは新たな世界のような気がします。

 

どう書いていいか苦しんで自然に出てきた文章に、自分の心の片がそれもほんのチョピリ、表わせられた箇所は読み手の心にも感じるのだと思いました。

 

事実の羅列の奥にある真実を書くことだとも言われました。哲学的表現で頭を悩まさられます。

 

「民主文学」仲間の中に入って勉強させていただきながら、いつかは書きたいと思っていた沖縄の少年を「北海道民主文学」に載せていただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

  241の「投稿欄」の執筆者とタイトル

   (投稿作品には左「札幌民主文学会」下の筆者名をクリックしてお入りください

 

   後藤守彦 

    「最大遺物」を受け継ぐ

 

    泉 脩    

    秋月礼子「雑種天国」   心の病とたたかう人々

 

    私の好きなラブストーリー ➁

  

   

   豊村一矢

     (新)連続エッセイ  金子文子の描かれ方  5 (最終)

 

   松木 新

      『暗幕のゲルニカ』が面白い

 

   村松 祝子

      小誌 エルサレムのアイヒマン 悪は「陳腐」である

 

  

 

 

 

 

 

 

 札幌民主文学通信

 

 二〇一八年十一月一日  240号 

 

  支部例会報告にかえて

 

 

「北海道研究集会」参加報告

 

  民主文学会札幌支部は月一回の例会を原則にしていますが、「北海道研究集会」が開催される場合は、そこへの参加を例会に換えることにしています。

 

今年十月十三・十四日、「第二十二回北海道研究集会」が札幌市で開かれました。本号の支部例会報告は、札幌支部会員が第二十二回北海道研究集会と作品集『北海道民主文学』二十二号にどのように関わったかについてまとめます。

 

「北海道研究集会」は隔年で開催されてきました。『北海道民主文学』は研究集会のための作品集ですから、冊子の編集・発行も隔年です。

 

札幌支部からの参加者は(全体参加者二十六名中)十三名でした。初参加は一名。前回の二十一回の集会(二年前)は十四名でした。前回の参加者で今回出席できなかった人は二名、病気療養などが理由です。

 

 『北海道民主文学』二十二号に三十作品が掲載されました。うち、札幌支部会員は十五作品の掲載です。

 

 数字を比較すると、札幌支部は全体のほぼ半数ですが、各支部がある市町村の人口比から見ると札幌支部の割合は十分とはいえません。

 

札幌支部は、集会の開催地が札幌ということもあって、会運営では、会場設営、司会進行担当等々で、札幌支部のメンバーが協力しました。

 

 前回からの課題の一つに『北海道民主文学』への原稿提出が、経費削減のため、ワードで作成したデータでなければならないことでした。前回はパソコンの苦手な人が多く大変でしたが、札幌支部に関しては格段に進歩しました。その結果、著者校正を含め四校出来たことは、まだ不十分なところもありますが、成果です。

 

二十二号に掲載された十五作品には力作が多く、北海道研究集会での合評に加えて、さらに十一月例会から十二月例会、一月合宿例会と作品研究を継続していきます。

 

そして、合評を受けての筆者の思いを全員分、本「通信」で特集を組んで掲載する予定です。    (豊村一矢)

 

 

 

 240の「投稿欄」の執筆者とタイトル

   (投稿作品には左「札幌民主文学会」下の筆者名をクリックしてお入りください

 

   後藤守彦 

    再び鎮魂の歌を聴く

   

   泉  脩    

     私の好きなラブストーリー ①

        

   豊村 一矢

     (新)連続エッセイ  金子文子の描かれ方  4

 

     

   福山 瑛子

        民主文学に関わっての六十年余を振り返る(十)

              

   松木 新

      「政治少年」とスタヴローギン

 

   村松 祝子

      小誌 ハンナ・アーレント「全体主義の起源」を読む 3

 

   村瀬喜史

      まゆみさんとMEMENT・MORI 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  札幌民主文学通信

 

        二〇一八年一〇月一日  239号 

 

 

  

九月例会合評報告

 

 

 

 合評作品

 

宍戸ひろゆき「階段で」(「民主文学」九月号)

 

 

 

レポーター報告   馬場雅史

 

 

 

 文部官僚の腐敗と無能力、不道徳なふるまいを糊塗するかのように、学校現場にはきわめて管理主義的な政策・制度が押し付けられている。この作品は、小学校三年生を担任するベテラン教師である「私」が、強い上昇志向を持つ新任教頭の管理主義的な企図をやり過ごしながら教育実践をすすめた経験を描いたものである。権力的な統制に抗する視点からあるべき教育の姿を示唆する作品となっている。子どもの成長を願い、保護者との協力をすすめようとする「私」の想いや実践は、こころに染み入るものである。

 

 しかし、元教師であったぼくにはどうしても気になることがある。一つは、「私」があまりに孤独だということである。仲間がいない。管理職も組合員も同僚ですら仲間ではない。孤高であることを誇っているように見えるが、それでは教育は成り立たない。教育は個人プレーではない。二つ目は、「私」が肝腎な時に言葉を失う、あるいは言葉を飲み込むことである。「週案」の提出を求める野口にも、教務主任になることを勧める組合幹部にも、「経験にもとづいたずさんな指導」と「私」の実践を侮辱する新教頭にも「私」は反論しない。「してもしょうがない」という諦めがあるのか? だが、そんな諦めは傲慢に近い。誠実に心を込めて反論すべきである。三つ目は母親の描き方についてである。母親は「教育熱心な母親」「賢く毅然とした意志を持った女性」「身体能力への自信」「他の子の気持ちまで考えられる、いいお母さん」とされている。それは事実であろう。しかし描くべきはそうした母親の内面にある「苦悩」であり「困難」であるはずだ。何が、母親をして「賢く毅然とした意志を持つ女性」にしているのか、そこへの社会的視点と個人的共感がない。おそらくこの作品の文学としての価値の源泉はそのあたりにあったはずだ。

 

 例会参加者の感想・評価も分かれた。第一は「素直で読みやすい」「子どもに寄り添った教師の姿が良い」というというものだ。第二は「経験だけに頼る『私』に疑問を感じる」「なぜ『計画―実践―反省―実践』ということや『指導案の作成』に反発するのか理解しにくい」というのものだ。これらの感想には「現実の学校現場の厳しさと作品の世界にはズレがある」「こうした実践では若い教師の共感を得られない」「独りよがりで自己中心的な実践・作品であり好感を持てなかった」など厳しい意見が伴った。

 

 議論を通していくつかの課題も明らかにされた。一つは、文学に表れた教師像について整理検討する必要があるということだ。「金八先生」幻想がいまだに教師経験者の中にあるということになどにもかかわってである。二つ目は「好き・嫌い」という視点からの作品評価はいかがなものかということに関してである。引き続き議論する必要を感じた。

 

 

 239の「投稿欄」の執筆者とタイトル

   (投稿作品には左「札幌民主文学会」下の筆者名をクリックしてお入りください

 

   後藤守彦 

    とにかく前へとにかく空へ

   

   泉  脩    

     医者ものドラマを観る⑦

        医学と私

     山形暁子「家族の小径」

        銀行でたたかう共産党員夫妻

 

    豊村 一矢

     連続エッセイ    床屋談議19

    (新)連続エッセイ  金子文子の描かれ方3 

     

   福山 瑛子

          民主文学に関わっての六十年余を振り返る(九)

              

   松木 新

      山本有三「女の一生」三第噺

 

   村松 祝子

      小誌 ハンナ・アーレント「全体主義の起源」を読む 2

 

   村瀬喜史

      多喜二とロマン・ロラン 

 

 

 

 

 

 

 

 札幌民主文学通信

 

                 二〇一八年月一日  238号 

 

 8月例会合評報告

 

8月例会合評報告は、「レポーター報告」と合評に釧路から参加してくれた合評作品の著者、増田さんの投稿を記載します。編集部

 

  

 

 合評作品

 

増田竹雄 『二年目の春』

 

          (「民主文学」8月号)

 

 

 

レポーター報告

 

村瀬喜史、

 

合評作品、民文八月号,増田竹雄「二年目の春」。作者本人が釧路から遠路かけつけ、参加した。私がさそった動機は、詳細なことは本人でしかわからないことがあること、もうひとつは、東京で行われている「作者と読者の会」を北海道でもやろうと思ったこと。釧路の見田さんや松木さんに事前に電話の了解をえていた。

 

私のレポートは、この作品は民主文学誌に初登場、力作で70枚。当時の国鉄労働者の戦いが、よくわかるもので、

 

  1. 4・17スト、共産党入党、65春闘の拠点スト。貨物列車の最初の乗務で投身事故。

  2. 「4・8声明」と反ストのビラまき。釧路車掌区分会の教宣部長の野原進の参加。などストーリーにそって6点と私の感想を最後に、A4レジュメ一枚に圧縮して報告した。時間不足で半分しか話せなかった。

 

続いて,増田さんが、

 

  1. モチーフ 労働組合の組織率の低下で18%になっている現状を憂いて、いろいろ提案している。

  2. 4・17ストと組合の査問などを真正面から書いた。作品にはふれていない狩勝トンネルの難所と歴史的闘争にもふれた。これは一昨年に書いたもの。

 

 

 

参加者の意見・感想。

 

 

 

◎すごいエネルギーだ。迫力がある。野原進の一時代,教養小説のようだ。 

 

◎真正面から労働運動を書いている。

 

◎今の若い労働者にはうけない。

 

◎階級敵への批判が浅い。 

 

◎女性を描くのが、いまひとつ。夫人のたたかいも描く。「屋台」のところもふくらませたい。

 

◎飛び込み自殺のところ踏み込みが浅い。

 

◎文学的香りがない不足。

 

以上

 

 

 

札幌支部の例会に参加して

 

釧路支部 増田竹雄

 

 

 

報告者の村瀬さんから「二年目の春」を七項目にまとめた資料が配布されました。

 

資料㈠「落合まで行き引き返すとすれば……」「魔の狩勝トンネル……」に触れられていない。

 

ご指摘の通りです。魔の狩勝トンネルは急勾配、千分の二十五で戦後の復興を急ぐ政府と国鉄当局は、輸送量の増加の問題を労働者と労働組合に押し付け、その結果、悲惨な事件が発生したこと、新得機関区の職場離脱が誰の計画で行われたのかということ、これらを野原進の見聞だけでは書けなかった。

 

主題(何を)モチーフ(書くべく意図)題材(何について書くか)はっきりしていなくて曖昧だったと思っています。

 

資料の六項目「女性の描写を」と指摘しています。「屋台風の焼き肉店」での出来事をリアルな描写が必要であったと思いました。

 

進と斉藤との関係について……斎藤の弁解をするつもりはないのですが、斉藤が党員でもなく進に無理矢理、四・一七スト反対に協力させ、ストは間違いだったと頭を下げるが、反省が不十分なまま進に「入党」を薦める斎藤の矛盾が指摘されました。

 

斉藤は、進が国鉄に就職以来の友人であり、二人三脚で苦楽をともにした唯一の人でした。一九六四年の時代背景として、党の分裂から七回大会で自主独立の党として統一を回復し、安保闘争と統一戦線の構築、三井三池闘争で闘争方針を前面に掲げて闘ったこと、党の八回大会で大衆闘争と党勢の倍加運動に成功を納めたことなど……当時の事が蘇って来ます 党の労働組合に対する基本路線が確立されても、それを指導する地区党の指導体制に弱点があったように思います

 

四・一七スト問題で斉藤を余り𠮟責できなかった。むしろ前衛党が地区党に弱点があって良いのかとさえ思った程です。

 

これも一九四九年七月行政機関職員定員法反対の闘いで党を知り共産青年同盟(民青)に加盟を勧められた経緯もあり党に対する同情があったように思います。 以上。

 

 

 

 

 

 

 

  238の「投稿欄」の執筆者とタイトル

   (投稿作品には左「札幌民主文学会」下の筆者名をクリックしてお入りください

 

   後藤守彦 

  『羊と鋼の森』から「砂漠の花」へ

   

   泉  脩    

     医者ものドラマを観る⑥

        風のガーデン

 

    豊村 一矢

     連続エッセイ    床屋談議18

    (新)連続エッセイ  金子文子の描かれ方2 

     

   福山 瑛子

          民主文学に関わっての六十年余を振り返る(八)

              

   松木 新

      パンジ『告発』が描いた北朝鮮

 

   村松 祝子

      小誌 ハンナ・アーレント「全体主義の起源」を読む

 

   村瀬喜史

      松木新「北海道の米騒動」(「札幌民主文学通信」237号)

           に関わって

 

 

 

 

 

 

 札幌民主文学通信

     二〇一八年月一日  237号 

 

 

   7月例会合評報告

 

 

   合評作品

 

  キム・ビョラ著・後藤守彦訳

 

 『常磐の木 金子文子と朴烈の愛

 

             (同時代社刊)

 

    編集部より

 

    本号の例会合評報告は、浅野勝圀さんの「民主文学」七月号『書評』と合評作品についての感想(報告)を中心に構成します。

 

    作品合評で出された支部例会出席者からの感想・意見については、編集部が取りまとめました。

 

    なお、浅野さんの報告にある、「札幌民主文学通信」での泉脩さんの文章は、235号にあり、札幌支部のホームページで閲覧できます。

 

 

 

 「常磐の木―金子文子と朴烈の愛」を読む

 

               浅野勝圀

 

 

 

 札幌支部七月例会会合評報告のレポータだったのですが、当日、補聴器を家に置き忘れたために、例会の出席者の声に耳を傾けることができませんでした。「民主文学」七月号に載ったぼくの『書評』と作品にかぎって感想を述べることにします。

 

 

 

1『書評』のこと

 

後藤さんが韓国の現代小説の翻訳に取り組んでいることを知ったのは、かなり以前のことでした。訳者(後藤)のあとがきから推し量ると、苦闘は九年間にも及んだようです。その一言を知っただけでも頭が下がります。

 

 上梓直後に謹呈として贈っていただき、あゝ良かったと喜びを共有したのもつかのま、『書評』をということになりました。後藤さんとは、北見―児玉健次さん―朝鮮語学習という赤い糸のつながりがあり、お断りするという選択肢はありませんでした。

 

 松木さんから声をかけられ、宮本編集長から正式の依頼があった四月中旬から五月初旬にかけての体験は、忘れがたいものになりました。

 

 数回の電話のやりとりとファックスの往復を通して作業は進みましたが、宮本さんの丁寧な読み込みとお人柄に助けられました。

 

 最初は進行中だった南北首脳会談と米朝首脳会談から書き起こそうとしたのですが、とても制限字数(一一五〇字)の枠に収まりそうもなく諦めました。

 

 何とかまとめてファックスすると、宮本さんは「最後の段落の一つ手前で終ってもいいようですね。字数に余裕があれば最後の段落を生かしましょう」とのことでした。

 

 最後のゲラでは、表題が「常磐の木」だけでサブタイトルが省略されていたので、少々、強く意義を唱え復活してもらいました。

 

 もうひとつこだわったのは「朴烈」の読み方です。文子の短歌などではかれの頭文字がBだったりPだったりしています。Bは「ボク」という日本語読み、Pは「パク」という朝鮮語読みでしょう。彼女が少なくとも朴烈の朝鮮語読みを理解していたらしいと知り、ぼくは自信を持って(パニョル)と朝鮮語読みにより近い表記にしました。しかし、(パク ヨル)に改められました。編集部スタッフからの指摘だったようです。この一点だけは今も釈然としないものがくすぶっています。

 

 

 

  2 作品のこと

 

 一連の歴史小説の成功で作家としての確固たる地歩を占めただけあって、作者の二人をめぐる客観的な事実への周到な目配り、歴史的な背景の提示、読者を魅了する構成力と圧倒的な描写力などに非凡なものを感じました。

 

 吉井盛一氏の「歴史小説の流行」は、この作品を理解する上で不可欠の視点を教えてくれます。

 

 主題については『書評』一段目中頃の数行を取り上げて例会で報告しました。その関連では、作品の表題(「熱愛」から「常磐の木―金子文子と朴烈の愛」へ)に示された後藤さんの読み(作品論)に耳を傾けたかったと思っています。

 

「札幌民主文学通信」での文章を使わせてもらった泉脩さん、声をかけてくれた松木さん、終始丁寧に対応してもらった宮本さん、そして何よりも、この熱い作品を初めて翻訳紹介してくれた後藤さん、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

    合評で出された感想・意見等(編集部)

 

  1. 翻訳という仕事をやり遂げた後藤さんを賞賛したい。ありがちな翻訳臭さをまったく感じさせず読むことができた。

  2. 文章が素晴らしく巧みな構成により金子文子と朴列の出会いと愛、各場面で作品に引き込まれた。

  3. 金子文子の生い立ちから歩んだ人生があまりにも悲惨で、読み続けるのが辛かった。(かなり多い感想)

  4. キム・ビョラはどういう作家なのか。文子死後の朴烈の生き方は、二人の愛と真逆に思える。そこを無視できない。

 

 

 237の「投稿欄」の執筆者とタイトル

   (投稿作品には左「札幌民主文学会」下の筆者名をクリックしてお入りください

 

   後藤守彦 

    北の国から猫第八章

   

 

   泉  脩    

     医者ものドラマを観る⑤

        ドクターX

    

    青木陽子『日曜日の空』(2005年新日本出版社刊)

          女性の生き方を求めて     

      

     豊村 一矢

     連続エッセイ    床屋談議17

    (新)連続エッセイ  金子文子の描かれ方1 

     

              

     福山 瑛子

          民主文学に関わっての六十年余を振り返る(七)

              

      

    松木 新

      北海道の米騒動

 

 

 

 

 

  札幌民主文学通信

 

二〇一八年月一日  236号 

 

   六月例会合評報告

 

 

  合評作品

 

 新人賞受賞作

 

 田本真啓「バードウオッチング」

 

        (「民主文学」六月号)

 

 

 

 

 

レポーター報告

 

         泉  脩

 

 

 

 レジュメ

 

 作品のあらすじを要点的に押さえつつ、登場人物個々の人物像と人間関係を場面の展開に即して明らかにした。

 

・一誠(主人公)は、父の自死により母(清美)が生活のため働き、母方の祖母に育てられることになる。祖母に父方の姓の田中から母方の姓、及川に帰られる。しかし、一誠は成長すると祖母を嫌い、母ともすれ違いの生活になる。アイデンティティが絡むもめ事ことを予感させる展開。

 

祖母が病床に着き認知症になるが、一誠は面倒を見ないし意に介さない。祖母の長女(恵子)から、祖母をここまでにしたのは清美と一誠の虐待が原因だと批判され、一誠が親を捨てて何十年も帰らなかった恵子に批判する資格はないと言い返す場面。介護を巡る肉親同士のいがみ合いが始まる展開。

 

・一誠が働くダイニングバーの経営者「ヤマネコさん」とのやりとりや、バーの入口の上の燕の巣の顛末や、「ピーターパン」の物語・カント哲学にある「キリスト教の愛」など巡る会話がくり返される場面。作品の主題に迫る展開。

 

 

 

 討議の柱

 

 合評の進行を務める松木さんが、あらかじめ、次のように討議の柱を提起してくれた。

 

 作者の企みをジェームズ・バリー『ピーター・パン』、『ピーターとウエンディ』に仮託して自己の存在意義を模索しようとするものと捉え、それが成功しているかを問う。

 

  1. 両義性の問題

    ピーター 鳥と人間の両義性

    一誠   田中姓と及川姓の両義性

  2. 代理母の問題

    ピーター 亡くなった子どもの霊魂である ツバメ、代理母を求めるピーター

 

  一誠   疎ましい祖母が代理母

 

  1. 祖母のしあわせ

 

祖母はだれと共に生きるのがしあわせなのか、僕ら(一誠、恵子、清美)が真剣に考える

 

 

 

 合評参加者の感想例

 

  1. 一読したとき、「何がなんだか分らない作品だった」という感想が多かった。

  2. 自己のアイデンティティーを追求する作品だと読めたが、認知症の介護問題と咬み合っているか疑問。

  3. 選者の「教雑物が多すぎる」「言葉遊びの空回り」「観念的な思索に流れている」等の評については同感。作品を理解し受け入れるのを邪魔している。

  4. 作者は深い作意を持って書いている。ピーター・パン、カント、キリスト教の愛、など。その創作姿勢に好感。将来性を感じる。

  5. 平板でなく奥行きを感じさせる作品だが、読者が深読みしなければ主題にたどり着けないとすれば、完成度が低いということだろう。

  6. 現実の介護問題について問題提起する作品になっているとは思えないが、もともと、それは意識されていないのか。

  7. 作者自身、父親の自殺を体験していると言う。その体験がこの作品に結晶しているとしたら、その観点で読み直してみたい。

 

 

 

 

  236の「投稿欄」の執筆者とタイトル

   (投稿作品には左「札幌民主文学会」下の筆者名をクリックしてお入りください

 

   後藤守彦 

     金子兜太を悼む

   

 

   泉  脩    

     医者ものドラマを観る④

         白い影     

      

     豊村 一矢

      連続エッセイ  床屋談義16 

     

              

     福山 瑛子

          民主文学に関わっての六十年余を振り返る(六)

              

      

    松木 新

       スペインの無政府主義

 

 

 

 

 

 

 

  札幌民主文学通信

 

二〇一八年月一日  235号 

 

  五月例会合評報告

 

 

 合評作品

 

 稲沢潤子「別離」(「民主文学」五月号)

 

 

レポーター報告

 

              泉 恵子

 

 

 

(一)レポートの概略

 

① 37枚の短編。なめらかな筆致に熟練を感じさせる。

 

 ② テーマ 被爆者である義弟との永遠の別れ(別離)に際し、義姉である修子の過去のわだかまりに対する寛恕(広い心で許す)気持ちを描く。

 

 起承転結 

 

起=主人公修子は妹美月を早死にさせた夫(義弟朋幸)に対して、長い間 受け止めてきたろうか」と自問し、わだかまりを解いておきたいと思っている。

 

   承=朋幸、美月の出会いと結婚。美月の死。息子の直樹の事

 

   転=原発建設の凍結を求める裁判の原告として傍聴する修子。

 

   結=葬儀場で朋幸の微笑んでいる写真に虚を突かれる修子。「根はやさしい人」の思いから、わだかまりを解いてゆく。

 

④ 感想など

 

   ・最後にしみじみとした感慨はあり、上手な良い作品とは思うが、今一つ物足りないのはなぜか。

 

   ・被爆者である義弟とのわだかまりを解きたいと思いながら、心を閉ざした人を生きている間に開くことはできなかった。心を開くとはどういうことか?本当に開くために努力したか?

 

   ・「根はやさしい人」と何回も出てくるが、この言葉は曖昧。

 

   (広辞苑より=「やさ・し」は動詞「痩す」の形容詞形。1身も痩せるように感じる。恥ずかしい 2控え目である、つつましい 3穏やか、素直であるなど様々な意味があるが)「思いやりがある」という意味としたら、朋幸は「やさしい人」と言えるのか?自己の病の不安と恐怖を身近な人にぶつける弱さを持つ人。

 

   ・「やさしい人」の象徴として、対極に美月の目指した「雨ニモ負ケズ」の世界があるのでは?

 

 

 

(二)参加者の発言から

 

   様々な発言を区分することは難しいが、大まかに分けて列挙してみます。

 

  (発言者の真意を汲み取れていない点は、ご容赦ください)

 

 文章について

 

    読みやすい、なめらかでわかりやすい安定した文体というのは大方の一致した意見。比喩表現はほとんどないが、伝える力があり、すぐれた筆力を感じさせる。さすがだナ。

 

 義弟である被爆者朋幸についてと主人公修子の思い

 

   ・被爆者だけがこのような苦しみを抱いているわけではない。また、共通した体験でも個別性がある。

 

   ・自分の病気を連れ合いに対して攻撃的にぶつけるのは、一人よがりで自分を抑えられない、配慮のいかない弱点を持っている。

 

   ・被爆者の従妹がいるが、絶えず何かの疾患を抱えていた。身近にも病人がいたので、その心理はわかるように思う。被害妄想に駆られて、やり場のない気持ちを周囲にぶつけてゆく。わがままである。当てられた方はたまったものではない。言ってもわからない場合は、耐えてゆくしかない。

 

   ・自分をわかってほしいの気持ちが、攻撃的になるのか。自分の体験とも重ねて涙が出た。本人にも自分がわかっていない。「 根はやさしい人」とあるが、こう思うことで、理解しようとしている。

 

   ・周囲がもう少し対応してやれなかったのか。寄り添って一緒に考えると同時に、本人に自覚してもらうように働きかけられなかったのか。

 

   ・「終活」という言葉があるが、過去のわだかまりを解いておきたいという思いは共感できる。

 

   ・高齢者が他者へ思いを馳せるとき、恋愛にも似た感情を抱くものなのかもしれない。惚けた人に対して「私のこと、わかるかな」と。

 

   ・「別離」という題名のせいか、主人公は被爆者に対して理知的で冷たいものを感じた。被爆者の心の苦しみが描かれていない。

 

   ・心を閉ざしてしまった朋幸だが、修子もまた「許せない」の気持ちから心を開いていない。直樹に対しては自分の子供のような愛情を感じるが、ここをもっと丁寧に描くと良かったのでは?

 

 原爆と原発を切り結んだこと

 

   ・とても新鮮に感じた。原爆の被害者の苦しみと重ねて、原発の被害者の苦しみを告発する意味がある。

 

   ・国会周辺の風景に昔の記憶を映し出す、朋幸の写真に昔の記憶を呼び起こすという所に、記憶の奥深さというものを感じた。

 

   ・傍聴者が少なくなって「まじめな心配」という表現など、運動の細かい点にも気配りしている。

 

   ・この裁判の場面はわかりにくかった。もっとわかるように書いてほしい。

 

   ・この部分は本文とは合わない、不必要ではないか。

 

   ・この場面があって被爆者と、原発の被害者を視野に入れた、「低線量内部被爆」の問題にも敷衍できる奥深さが出ている。この場面がないと単なる家族の話になってしまう。第三者である体験していない人間が、内部被爆の不安を抱えている人を理解することは可能かということがモチーフになっている。

 

 テーマに関して

 

・報告のテーマのほかに、「ひとが成長してゆくきっかけは何だろう」という箇所から「直樹の成長」という視点で捉えるのはどうか?

 

    直樹には、朋幸、美月、修子の思いがかぶさっている。「直樹は自分で自分を閉じ込める男になってはいけない」の修子の思いが直樹にも伝わり、「自分を閉じ込めない」「人並みの男」として成長する。そこに希望を感じさせる。

 

    ・翌日A氏から、「やさし」の言葉から『万葉集』より「貧窮問答歌」の反歌「世の中を憂しとやさしと思えども飛び立ちかねつ鳥にし思えば」(山上憶良)の歌にある「やさし」が、この作品のテーマとして考えられないかという意見が寄せられました。

 

 その他

 

   ・人間関係が複雑な話で、37枚の短編にしては、登場人物が多すぎないか?誰に焦点が当たっているのか、定まらないものを感じた。

 

   ・皆の話を聞いていて、原爆、原発というテーマは、日本人みんなが持つ必要があるのではないか、と思った。良いモチーフ、テーマを持った作品と思う。

 

  • 235の「投稿欄」の執筆者とタイトル

       (投稿作品には左「札幌民主文学会」下の筆者名をクリックしてお入りください

     

       後藤守彦 

      伊藤光悦の震災絵画

               

        

     泉  脩 

       キム・ビヨラ著 後藤守彦訳

     「常磐の木―金子文子と朴烈パク・ヨル)の愛」

        国境を超えた永遠の愛

 

      医者ものドラマを観る③

     「ドクターコトー診療所」

                  

      

 

  福山 瑛子

  民主文学に関わって六十余年を振り返る(五)

 

  

  豊村 一矢

      連続エッセイ  床屋談義15

 

           

 

  松木 新

  第25回全国研究集会に参加して

 

      

  •  

 

 

 

 

 

 

 

 札幌民主文学通信

 

二〇一八年月一日  234号 

 

 

 四月例会合評報告

 

  合評作品

 

  岩崎明日香「れんげ畑と時計台」

 

         「民主文学」4月号

  

 レポーター報告

 

「れんげ畑と時計台」の合評を終えて 

 

北野 あかり

 

 

 

この作品は、貧困家庭の子どもには、高等教育を受ける権利が保障されていないということを告発し、教育制度を変えなければ…と模索する様子を、緋沙子の体験を通して描いています。

 

 

 

1、教育を受ける権利が保障されていない実態については、高校の授業料、大学の入学金と奨学金制度の運用上の欠陥が描かれています。

 

 ○県立高校の授業料免除制度について、非課税家庭であっても対象が狭いことが紹介され、なぜか予想に反して緋沙子の家庭が免除されたとなっています。

 

しかし、現在の高校の授業料免除制度では非課税家庭は全て対象となっており、更に授業料以外に必要な教材費や学用品代などについても、都道府県が支給する「奨学給付金」を返済不要で受けられることになっています。対象は生徒個人であり、全世帯ということはなので、この部分は正確でないと思います。

 

○大学に関して、「どうしても、払えないんでしょうか?」ではじまる書き出しは、東大に合格しても入学金を払わなければ「入学出来ない」ということに直面し、パニック状態に陥る緋沙子の状況がリアルに描かれており、引き込まれるように読みました。

 

しかし、「母はすぐに入学金を準備すると言い、中央労働金庫の教育ローンから用だてた。あっけなく解決されて拍子ぬけしたが、それでも緋沙子の心は晴れなかった」「合格の喜びは早くも吹き飛んでしまっていた」と結んでいます。即決した母親は、ローンの支払いより緋沙子のこと(家族)を思う母なのか?入学金が用立てられた時、緋沙子は手を合わすほど嬉しかったとか、母の顔が浮かんだとか、心情が描かれていないため人柄が見えてきません。

 

○奨学金制度については、「せっかく予約奨学生になっても、肝心の給付が、入学金の納入にも新生活の準備にも間に合わないなら、結局教育の機会均等など絵に描いた餅だと解った」と、奨学金制度の欠陥について紹介し、「そのためにはやはり、文部省に入職し出世するという道しかないように思えた」「大学の授業料も払えない緋沙子には、在学しつつ国家一種試験の予備校に通うことなど論外だった」「志では負けてなくても、出遅れている」と、そこにも経済的に実現困難な壁が立ちはだかっていることを描いていますが、奨学金の返済について社会問題となっているにも関わらず、一言も触れていないので物足りない感じがしました。

 

 

 

2、大学入学の初日と翌日の様子を描いています。ここにタイトルとなった「時計台」が、大学を象徴する言葉として出てきます。

 

正門を入ってすぐ、正面に時計台が見えたが「駒場版の安田講堂みたいなもんだな」と冷めた表現。そこには、苦労して入学出来た喜びや苦学した結果の達成感や感動も描かれていません。入学手続きをするのに、下向きで声を掛けられるのを避け、必要以外無言を貫く姿は暗い。先輩たちの勧誘にも、興味のある平和問題、お金のかからない集まりには心が動くが、それ以外は排除している緋沙子。

 

逆にクラスメートのさくらは、積極的にオリエンテーションなどに参加して多くの大学生の状況を把握していきいきしています。サークル勧誘に必死になっている学生や、パンフレット作成に費やしている学生も描かれています。緋沙子を、思慮深い学生として描こうとしたのかも…と考えましたが、教育制度を変えるのだという気概が伝わってきません。未来を切り開こうとしている緋沙子の積極面も描いて欲しかったです。

 

 

 

3、緋沙子の生い立ちについて「父の自営業が成りたたなくなり、借金取りから追われ各地を転々とした、車で寝泊まりしたこともあった」。そのような逃げ回る状況の中で、突然両親がいなくなる。そのあと子供たち4人だけで幼い頃育った家や、れんげ畑を転げ回ってはしゃいだことの想い出の場所を尋ねる。「何とかするけん、あんたたちは心配せんで大丈夫」と言った姉の決意などは衝撃的でした。

 

そんな生い立ちの中で、「れんげ畑」はタイトルにもなっているので、緋沙子の生き方を決定づける特別の場所だったのではないかと思いました。しかし、その「れんげ畑」が「ささくれだった緋沙子の気持が少しずつ落ち着いてきた」と、癒しとなっているだけであり、生きるステップとはなっていないので、タイトルとしてのインパクトがなく物足りない気がしました。

 

また、借金に追われる生活は、母と姉のパート代のみでのやりくりしているのだから、家族6人の生活を支えるのがやっとではなかったのか。どんな節約生活をしていたのか、姉は緋沙子を大学に行かせるために貯金もしているが、下の子供たちはどうしていたのかなど生活が一言も描かれていません。

 

そんな中で、緋沙子は就職もせず大学に進学する。母や姉、緋沙子がなぜそうまでして大学進学に拘っているのかも理解出来ません。

 

父親についても「自営業が立ち行かなくなり…」としか描かれていない。働く父の姿やなぜそうなったのかにも触れ、貧困を生み出す社会の仕組みについて、もっと掘り下げて欲しかった。

 

 

 

4、緋沙子が大学で何を学ぼうとしているかを描こうとしています。新入生向けのパンフレットにも納得出来るものがなく、出合う大学生の明るさにも溶け込めない。唯一心が動いたのは、受験の時に「お金の心配なく学べる社会を目指して、学生の力でそれができる」と声を掛けられた人に再度出合ったことで、民青同盟の人ということで官僚を目指す上で支障がでるのではないかと懸念しつつ、「引くに引けない、勢いに吊られて、足を踏み出した。」で終わっており、あっけない感じがしました。

 

緋沙子が「教育を変えるのだ」という志しに向かって、この大学で学んで行くんだ!という気概が、もっと伝わるように描かれるべきだと思いました。

 

 

 

5、タイトルの「レンゲ畑と時計台」について

 

「レンゲ畑は」緋沙子の貧困生活の中で唯一癒された想い出の場所、「時計台」は大学を象徴するものとして使われていますが、どちらの言葉も何処に書かれていたのか、読み直してやっと見つけました。

 

タイトルは、作品のテーマなので、もう少しインパクトがあるように表現して欲しいと感じました。

 

 

 

6、「子どもが6人…」→「きょうだい4人…」。6人は間違いだと思います。

 

 

 

 

 

 例会参加者は十三名、レポート報告のあと参加者全員から意見が述べられました。その内容を紹介します。

 

 

 

  • 作者はこれまでに四作品を発表されており、緋沙子シリーズとして三作目、続きとしてすんなり読んだ。十三才の姉の言葉にインパクトがあり感動した。れんげ畑は姉のことだと思う。

  • レポートの中で唯一異論があるのは「必要以外無言を貫く姿は暗い」ところ。極貧の生活や、姉から貰った二十万円以外無いのだからそうなる気持は解る。

  • 六十年前、奨学金で大学に行った、苦学生だった。支払いに四十年かかった。作品はあっけない感じ、短編では無理なのか。本人が稼いで学校に行こうとしていない。もっと汗して切り開いていく生き方をすべき。

    ○「れんげ畑」。れんげは一面に咲いているも

    のと思っていたので「畑」なのか疑問。

    昭和十六年生まれで高校に行く人は僅かだった。作品は雲の上の人たちのあれこれだな、全般に浮かれた楽な人たちの話なのだと思った。

  • レポートは批判的に書いているが、批判だけでは勿体ないと思った。タイトル「○と○」という付け方は足踏みしているようで物足りない。れんげ畑は幸代子、時計台は木下のことではないか。

  • 余り面白みがない。何をテーマに書いたのか。

  • 貧しい家庭、大学は奨学金など、自分と共通していて考えさせられた。返済に苦労した。私学の教師になった、貧しい生徒が多く、授業料の補助を出せと運動した。直接請求もした。署名四十三万筆集めた。大闘争の中心で頑張った。

  • 作品について、高く評価している。貧困の質が違う(車を持っている。小学生がスマホ持っているなど)これからのプロレタリア文学は、その視点を持っているという可能性を感じさせる。

    タイトルはテーマではない、ポイントになることをタイトルにした。れんげ畑の姉のイメージが強烈、柱になる人物。レポートで「子供6人は間違い」とあるが、その後生まれたのではないか。         

  • 作品に苦しさを感じた。貧困をどうとらえるか、東大生というだけで銀行はお金を貸してくれる、当座は間に合う、作られた貧困を感じた。民青は奨学金問題について取り組んできた、それも見えて来ず、魅力的に描かれていない。父親について一切触れていない。

  • 印象「何これ?」という感じ。こういう心情、そうだその通りと思うが物足りない。東大に入って民青に…それが何よ。良かったと思ったのは会話が非常に自然体。大学職員の対応やさやかさんとの会話、十八才の会話らしく上手だと思った。

  • 面白く一気に読んだ。続くと思ったらあっけなく終わった。授業料が高い、バイト料の差など大学生が大変なことを知った。父の様子が書かれていない。

  • 姉のセリフで成功していると思った。短編小説はここぞと思う事を一つ重視することが大事。「姉のような人たちによってこの銀杏並木の景色は支えられている」というところは重い課題。「角煮とマルクス」など、これまでの作品は緋沙子をモデルとしているが、幸代子を主人公とした作品も書いてほしい。

 

 

  • 234の「投稿欄」の執筆者とタイトル

       (投稿作品には左「札幌民主文学会」下の筆者名をクリックしてお入りください

     

       後藤守彦 

        講演『「明治150年」を考える』

               第二回プロローグ

        

     泉  脩     

       なかむらみのる『信濃川』

             生活相談5千件の共産党市議会議員

     

       宮本百合子没後六十五周年記念

         「宮本百合子とともに」(宮本百合子を読む会)

     

     

      大橋 あゆむ

          エッセイ  ここほれわんわん

          

       豊村 一矢

          連続エッセイ  床屋談義14 

                      

      泉  恵子

           中国の旅から  その6 

     

      松木 新

           「文体」について  ―承前

       

     

     

 

 

 

 

 

 

 

  札幌民主文学通信

        2018年4月1日  233号

 

 

 

三月例会合評報告

 

 

 

合評作品

 

54回文藝賞受賞作・第158回芥川賞受賞作

 

若竹千佐子

 

「おらおらでひとりいぐも」

 

 

 

 

 

 報告

 

「おらおらでひとりいぐも」の合評を終えて  

 

村松祝子

 

 

 

作者若竹知佐子さんは現在63歳、10年前から小説を書きたいと言う希望を持ってこられた方でその執念に敬服します。

 

高齢者を主人公にした小説はめずらしく、芥川賞まで受賞するとは私の関心を引きました。 

 

物語は75歳の桃子さんの体の中で語られる種々雑多な討論である。 それは東北弁で語られ歯に衣を着せず単刀直入に語られ優しく響いてくる。

 

最初東北弁で読みづらかったが、読み進むうちに慣れてきて雑多な会話群の中に入って頷いている雰囲気になった。 1から5までに分かれており1では昔の女の忙しさが語られる部分に共鳴し2では二人の子の子育ての悩みが描かれ(私にも息子と娘がおり似た状況に一瞬ぎょっとなり)3では日常生活の中で説明のつかない不安と孤独感が語られこの部分は年配者の共感するところであろうかと思う。また社会が求める女の枠に収まり旦那に尽くしてきた生活は現在も女性に覆いかぶさる問題でもあると思う。4では自然のカラスウリの赤に感動する自分の生命力に気づく。5では孫娘の訪問に心の穏やかさを見せて終わる。

 

5の終わり読んで、ちょっと気が抜けた。 やはり孫の訪問は万人向けの結末かと?

 

しかし全体を読んで楽しく面白く読んだ。 作者若竹知佐子さんのこれからの生き方を描いているし「たのしいよ、これから」と高齢者にエールを呼びかけている小説だと思う。

 

 

 

参加者9名で感想を語り合った。 記録もれもあるかと思いますが様々な感想が語られ物語をより深く理解することにつながったと思います。

 

◎物語の筋があっちへ飛んだりこっちへ飛んだり、現実かと思えば回想したりで読むのに苦労した。 孫の最後の言葉「春の匂いがする」に舞台を想像した。この孫は未来に続く案内ではないか。

 

◎「いやぁ! 面白かった」方言は東北でも地域によっていろいろ異なる。

 

◎文章にリズムがある。

 

◎面白くない。起承転結が計算された小説。 よくある話を意味付けさせた。

 

 白秋小説かな?

 

◎自問自答しながら考えさせられるものがある。 孫が出てきてなぁんだと思った。 夫恋の小説かな。

 

◎表現、言葉に感心したが2回読むとたいしたことはないと思えた。筋がないし終点がない。 方言は権力から対立して離れている言葉であり、話し言葉でもある。

 

◎夫周造の魅力が感じられない。 東北の震災に触れていない、千葉で生活していて東北を考えなかったのか。

 

◎頭の中で考えた事ばかり書いている。 日本の小説でこう言う少説は少ない。

 

◎東北弁の温かいリズムがある。3回読んで最後は声を出して読んでみた。

 

ひとりになって老いるということの共通性が多々あった。

 

◎1945年生まれの(74歳)戦後の女性を取り上げたかも。

 

 総じて男性陣からの評価はあまり高くなかったが年配者の女性には共感するものが多々ある小説だと思う。 しかし桃子さんクラスの年金で暮らしていける人々にはこの小説の応援メッセージは届くかもしれないが、過日札幌で起きた年配の人たちが多く暮らしていたアパートの全焼事件を思い、経済的不安を抱えた年配者に「がんばろうよ、楽しいよ」のメッセージは届きづらい。 そこにまで目を向けた小説が生まれるよう努力したいものです。

 

 

 

 

 

  233の「投稿欄」の執筆者とタイトル

   (投稿作品には左「札幌民主文学会」下の筆者名をクリックしてお入りください

 

   後藤守彦 

    講演『「明治150年」を考える』

      第一回プロローグ

    

   泉  脩     

    『戦争とわたし』

         胸をうつ戦争体験の記録

 

    医者ものドラマを観る②

         医  龍   

  

   石川弘明

     シナリオについて

 

   大橋 あゆむ

      エッセイ  三月のカレーライス

      

     豊村 一矢

      連続エッセイ  床屋談義13 

     

     「文体」のこと  ―馬場さんの問題提起に応えて

             

     福山 瑛子

          民主文学に関わっての六十年余を振り返る(四)

              

    泉  恵子

       中国の旅から  その5 

 

   

    松木 新

       「文体」について  ―ジョージ・オーウェルの提言

 

 

 

 

 

 

 

 札幌民主文学通信

        2018年3月1日  232号

 

 

  支部誌『奔流』26号 合評報告⑤

 

 

 

★『逆転』            石川弘明

 

   ★『三六〇度の空の下で』  菊地 大

 

 

 

 

 

「逆転」について

 

                        石川弘明

 

 

 

 作品が終了すると制作記録、後記、梗概、推敲のための思い込み書いておくのが習慣である。

 

 「逆転」のそれは初稿二〇一二年八月〇一日

 

  二九枚 に始まり(中略)

 

 第四稿  二〇一三年九月二三日

 

  八四枚     (中略)

 

 第六稿  二〇一四年八月一一日

 

  一二〇枚 で終了している。

 

 おそらくはシノプシスの大略が定まった時なのであろう。

 

 その一二〇枚が一九〇枚になったのは、エピソードを拾い集めて、ギャグを並べて、日本百景をけなし、癌消滅後の医療チームの騒動、パーテーでの若宮女医の饒舌、出陣学徒の思い出話、研究成果に対する先輩たちの後輩虐め、盗作事件、遺言状の執行義務、または無視の如何、表彰式での役員二人の手違い等々、書き加えが増えたためであろう。

 

 二〇一六年六月に短縮に取りかかったのだが、短縮する度毎にストーリーの進展に関係のないユーモア、老人夫婦のあせり、相互の思いやり、ペーソス、長寿の嘆きなどが薄れてしまって遊びを消すことになった。遊びがなくなってしまうと、それを手探りにして綱目を辿ることもできなくなった。改変、短縮の失敗例となった。

 

 

 

 

 

 

 

三六〇度の空の下で」の

 

合評を受けて

 

                    菊地 大

 

 

 

三六〇度を見渡せる空の下で暮らしていながら、二〇年もそれが当たり前のように思って過ごしてきた。しかし、それは普通ではないと思ったとき、これまでと違った見方で世界が広がったような気がした。

 

 慌ただしく書きあげてみれば、3つのことが書かれていた。本人にとってはそれが当然に繋がっているつもりだが、読者には必然性がない。浦さんも、まして「元祖矢臼別(川瀬さん)」も知らない人の方がずっと多いのは、皆さんに言われるまでもないことだった。村上国治の詩ひとつ引用する前に、必要な記述があった。とんでもない思い上がりの文章だった。

 

「時に訪れる孤独感」や、「トマトハウスの中で声を出して手紙を読む」など、ぼくの中にいくらか残っている感性の部分を褒めてくれた人がいて少し救われたが、「時間がないからエッセイ」などと考えるのは、エッセイに対してたいへん失礼なことは分かっている。

 

 ぼくは年一回発行の地元の文芸誌にエッセイ―を書くことになっているが、毎年十一月は、六枚のエッセイのためにぐじゃぐじゃ考えている。エッセイにだって主題があるし起承転結がある。たかがエッセイ、されどエッセイだ。

 

 合評を受けてから、未だに納得できないことが一つある。ぼくは別海町を「はるか西の空の下」と書いたが、「東だろう」と言われて、「とんでもない間違いをした」と気づくと同時に、地図上の方位と地理的な方角は違う場合もあるかもしれないとも思った。

 

確かに別海町は地図上では余市の真東の方向になる。しかし、ぼくの所では、朝日は小樽寄りの日本海の方から昇って、反対側の山に沈む。「あの山どこか?」と考えたことは何度もあるが、それを地図上で確かめることはしていなかった。ぼくらの農場から見る夕陽は実に見事で、農場自慢のトマトジュースは「夕日の丘」である。その夕陽が沈む方が西、そこは隣町の仁木・赤井川で、その先はどう考えても内浦湾寄りの太平洋。

 

 三六〇度の空の下に居ながら、やっぱりぼくは、狭い世界しか見ていないようだ。

 

 

 

 

 

   二月例会合評報告

 

 

 

合評作品

 

 馬場雅史「多喜二を繋ぐ」

 

(「民主文学」3月号)

 

 

 

合評を受けて

 

「文体」ということ      

 

馬場雅史

 

 

 

「文体」ということを意識するとき、ぼくは二つのことを思い浮かべる。

 

 一つは、フランスの哲学者アランの「文体」に関する考え方だ。「文体」は英語で「スタイル」である。この「スタイル」の語源は「スティル」だという。「スティル」とは石に文字を刻む時に使う鑿のようなもので、その後「鉄筆」を意味する言葉となった。つまり、「文体」というのは、文章の雰囲気とか趣向とかいうものではないというのがアランの考えだ。石や金属といったものに文字を刻み込むという苦行、格闘を経て、初めて得ることができるのが文体であり、「スタイル(文体)」ということばの奥底にそれが刻印されている、そうアランは言う(「芸術論集」)。

 

 もう一つは、井上ひさしの有名な言葉だ。高校教師だったぼくは、授業を創るとき常にこの言葉を意識し、目当てにした。「むずかしいことをやさしく。やさしいことをふかく。ふかいことをおもしろく。おもしろいことをまじめに。まじめなことをゆかいに。そして、ゆかいなことをあくまでゆかいに」(「the座」こまつ座)

 

 この言葉は直接、文体を論じたものではない。しかし、ことばをもって何かを人に伝えようとするとき求められることを、これほど的確に表した言葉は見つからない。そして、文体ということとも深くかかわることばだと思う。

 

 「多喜二を繋ぐ」(『民主文学』一八年三月号)を二月例会で批評していただいた。意外に思われるかもしれないが、この文章には多くの時間と体力を要した。祖父・祖母、父・母、自分・友人・同時代の人々、子ども・孫という個人的な系譜と多喜二との繋がりを表現しようというのだから、当然なのだろう。書かなければならないことは多様かつ膨大だった。それをごく限られた量の言葉によって表現しなければならない。だから無駄な言葉はいらない。ことば一つひとつにしっかりとした役割と意味を持たせなければならないと意識した。詩を書くような気持ちで臨んだ。つまり、文体ということを意識しないわけにはいかなかった。

 

ぼくのその意識とそれに基づいた努力は、少しは功を奏したようだ。例会の合評でも文章について好意的な感想をいただいた。『民主文学』の読者の方々からも、これまで以上の感想をいただいた。その多くが文章・文体について言及するものだった。

 

うれしいと思った。しかし、その反面、どうにも釈然としない気持ちが残った。「多喜二を繋ぐ」を書くために、多喜二の作品をこの間、読み返した。『民主文学』三月号の掲載論文やエッセイを読んだ。多喜二祭の時期であった。小森陽一さんや荻野富士夫さんの講演を聴いた。こうした経験は、あらためてぼくを「文体」について考えることへと誘った。

 

はたして、文体についての冒頭に挙げた二つの視点でいいのか?たとえば、ぼくが思想と呼んできたものや、ぼくがぼくの文章によって誰のどの部分に向かって言葉を発しているのかということを、文体との関係でどうとらえるべきなのか。冒頭の二つの観点が不十分だというのでは必ずしもない。むしろ、ぼくが、ぼくなりの文体を獲得するために、必要な事柄について考えなければならないと、切に思ったのである。考え、書き続けたい。

 

 

 

この点について、みなさんは、どうお考えですか?ご教示をお願いします。

 

例会での、みなさんの丁寧な読みと批評・批判に感謝します。どの意見・感想も心に響きました。とりわけ報告して下さった後藤さんにはほんとうに感謝したいと感じています。後藤さんの批評は、文章の意図、形式、構造、内容、表現など多くの領域にわたり、それらが相まって、ぼくの感情や社会的な意識にまで踏み込むものでした。「批評する」あるいは「他人の文章を読む」ということの何たるかを教わりました。今日も、ぼくの机の前には、当日配布して下さったレジュメが貼ってあります。それを見ながら、次の作品を構想しています。

 

 

 

 

 

 

   232の「投稿欄」の執筆者とタイトル

   (投稿作品には左「札幌民主文学会」下の筆者名をクリックしてお入りください

 

   後藤守彦 

     ショパンを聴く

   

   泉  脩

     書評「兄は沖縄で死んだ」(加藤多一著)

         沖縄に戦後はない

 

     医者ものドラマを観る

          救命病棟24時間   

  

   石川弘明

     シナリオについて

 

   大橋 あゆむ

      エッセイ  おひなさま

      

     豊村 一矢

      連続エッセイ  床屋談義12

             

     福山 瑛子

          民主文学に関わっての六十年余を振り返る(三)

              

    泉  恵子

       中国の旅から  その4 

 

   

    松木 新

       『スターリン秘史』と『誰がために鐘は鳴る』―承前

 

 

 

 

 

  

 

 

札幌民主文学通信

 

二〇一八年月一日  231号 

 

 

 

支部誌『奔流』26

 

合評報告④

 

一月合宿研修会で合評した作品

 

★『あかるいほうへ(改稿) 』 細野ひとふみ

 

★『春のワルツ』 大橋あゆむ

 

★『リスペクト』  柏原 竜

 

★『生活綴り方事件と共謀罪』 村瀬喜史

 

★『一輪の花のように』 北野あかり

 

★『逆転』 石川弘明

 

『北都市緑野町界隈でのこと』 豊村一矢

 

★『戦争と私』 泉  脩

 

 

 

 

 

 

 

 

 

合評を受けて

 

細野ひとふみ

 

 

 

【札幌まで出かけて二日酔いで帰って来るとは、無さそうで有る。起こりうる出来事として、予定から逸脱した物語と回顧している。】

 

交流会後の218号室には、馬場さん、泉さん、石川さん、平山さんと一緒だった訳だけど、主に細野・馬場・石川の3氏がしゃべって、時どき泉・平山の2氏が冷静なコメントを発して下さった。皆、表現するものであるがゆえに、厳しい批評眼を持ち備え、民主文学会の現状には、全く満足していないことが良く分かった。石川氏は(これは合評会でも述べられていたが)、「お互い褒め合って、皆で沈むのは避けたいんだよ。少し厳しいことを言ってごめんね。」と声を掛けてくれた。僕は合評会での「あかるいほうへ」についての石川氏の評言「題材が安易な、手身近なものになっていませんか? 年齢と生活状況によって感性が鈍ってしまうのが残念だ」を大変うれしく聴いていたのだ。馬場氏も、「いや、それはうれしいことだよ」と全く同じ反応だった。

 

【気が付けば、部屋に持ち込んだ焼酎パックのキャップが失せていて、さあこの中身をどうしたものかと思案した辺りから妖しかったことになる。】

 

 いま、手元にある合評会でのメモを見直すと15名の方が、作品への批評と感想を述べて下さった。中でも、8名の方が係長Pについて触れている。「何故いじめるのか?」「彼の資質なのか?」「Pの形象が浮かび上がらない」「ぶん殴りたくなった」「名前などいらない」等々。ここには、現実と虚構を行き来するモデルなるものが存在している。合評会では、馬場氏が「実は同じもの(Pの性格と共鳴するもの!?)を感じる」的な発言をしていて、僕の受け取りが一人合点や誤解の類いでなければ、細野と馬場氏は似通った問題意識を抱えたということになる。他でもない僕自身が、あの消し去りたい、貶めたいほどの係長Pのモデルに、自分と同じ匂い、同じ雰囲気を感じとる瞬間が複数回あったからだ。浅はかさといい、下品さといい、ある種の傲慢さといい。

 

【だから、僕はいま読みかけの小説、ドストエフスキーの『悪霊』について何かを喋りかけようとした。で、いよいよ妖しくなって、その後の記憶がぶっ飛んでいる。】

 

 読みかけと言っても、もう2カ月以上経って第一分冊の第2章までなのだが、ニコライ・スタヴローギンが諸々の事件を起こして、スイスに旅立ち、そして帰って来たところ。あらすじは亀山郁夫氏の講演をラジオで聴いて知っている。100年以上前のロシアが舞台のお話なのに、毎日、見聞きしている世界と変わらない気がしている。スタヴローギンは、係長Pと重なり合う部分があり、ヴェルホベンスキー氏は管理職と重なり合う部分がある。

 

 作品評に立ち返るなら、泉恵子さんの「周囲の人物の不甲斐なさ」、田中さんの「管理職の傍観者ぶり」「作品も観察と描写に終始している」といった観点にも、根深い問題が横たわっている。

 

【二日目、ロビーのソファーで苦しんでいた僕は、前夜あの焼酎パックを空にしたような気がしていた。そして朝、横になったままの空パックが無性に恨めしかった。】

 

 泉脩さんは、合評会の冒頭で短編小説について次のように語っている。

 

「短編小説は人生の断片、ストーリーはいらないとも言われております」と。

 

 飲み掛けの焼酎パックにキャップが無いならば、空のペットボトル五〇〇ccを見つけ出して来て、そこに分注するだけの知恵を働かせるべきだった。これは明らかな反省材料だが、根本的な、失せ物であるところのキャップを探求することは止めない。

 

 

 

 

 

 

 

合評を受けて

 

              大橋あゆむ

 

 

 

「春のワルツ」を合評していただき、とてもうれしく思います。何度も何度も読みました。

 

 合評の報告は泉恵子さんからお手紙でいただき、励ましの言葉と一緒にキューバのしおりが添えてありました。

 

 豊村さんからはお電話で原稿の締め切りのご配慮をいただきました。「合評を受けて」と投稿のエッセイの文章を見直すことができました。

 

「春のワルツ」を書くきっかけになったのは、正高伸男「天才脳は『発達障害』から生まれる」(PHP新書)。読んでいる時に、これだ! とひらめいた。

 

 キレやすく、執拗だった織田信長。段取りあとかたづけができなかった葛飾北斎。異常なまでにものを書きまくった南方熊楠。お金にだらしなかった野口英世。際限のない欲望に駆られ働き続けたスーパーダイエーの中内功など。おもしろくて一気読み。

 

 あと読んだ本は、ウエンディ・ローソン「私の障害、私の個性」(花風社)。わたしは難病の障害者なので、つい「障害」という文字に引き寄せられる。リン・ワイス「片づかない! 見つからない! 間に合わない!」(WAVE出版)。片づかない! なんてわたしのことを言っているのかと、ドキッとした。注意欠陥障害(ADD)の話だった。ドナ・ウイリアム「自閉症だったわたしへ」(新潮社)。マンガ「ブラックジャックによろしく」(大人のADHD編)は、注意欠陥、多動性障害を特徴とする発達障害の話。

 

 こうして、ひらめきからだんだんと迷路にさまよい、さまよいながら、わたしは、わたし流の「春のワルツ」という物語を紡ぎ出した。

 

 たくさんの励ましやご助言をいただきましてありがとうございました。また、新たに挑戦する勇気もいただきました。がんばりたいと思います!

 

 

 

 

 

 

 

「リスペクト」の合評をうけて  

 

                柏原 竜

 

 

 

 題名「リスペクト」と、作品の内容が噛み合わないと指摘されましたがその通りだと思いました。思いを書ききれなかった。自分の力量がないと思った。リスペクトという言葉が、ここ数年、野党共闘を進めていく中で言われ続けたが、その言葉に、新鮮な驚きを感じた。「リスペクト」‐尊敬‐それを、自分の生活と関連させて作品の構想を考えた。自分と思いが、相反する人、気持ちが何となく分かる人、風のように通り過ぎていく人、様々な人と繋がって生きているが、そんな人達との葛藤を書きたかった。自分の考えも大事にして、相手の考えも尊重していく。なかなか、出来そうで出来ないものだ。生きていく上で、いろんな人と接していく時にリスペクトは大変大事な事だと思った。それを描きたかったが、自分の文章力ではむつかしかった。人間をもっと深くかけたらいいな。これからの課題かな……。

 

 登場人物が多すぎて、名前が解らなくなってしまう。短編なのに盛りだくさんになり過ぎている。読者のことを考えながら書く「力量」がないので、自分ひとりの世界にはまり込んでいるのでしょう。

 

 今回の作品では、岸の心の動きをもっと丁寧に、特に、池田の送別会に行くまでの心の変化を、わかり易く書けば良かった。作品を作るということは大変です。書いている時は気がつきません。

 

  

 

 もうひとつ大事なことは、パソコンを充分に使いこなせないことです。日常生活で、パソコンは使ってないので、作品を書き始めるためにセットしますが、通常に使えるようにするために時間がかかり、苦労します。そして、書いていて、何処か押し間違えたか文章が消えてしまったり飛んで行ったりします。この頃少し慣れてきましたが、自分は機械が苦手です。テレビもやっとビデオが取れるようになりました。スマホを持っていますが、もっぱらお話の通話だけです。今年の課題はスマホを使いこなすことです。 

 

 

 

 

 

『生活綴り方事件と共謀罪』 

 

合評をうけて

 

村瀬喜史

 

 

 

 「生活綴り方事件と共謀罪」を書き終えたとき、共謀罪の国会審議が最終盤をむかえていた。すでに30枚になっており、つめこもうとしたため最後は省略しすぎてわかりにくいところがあった。「一般の人が読みきれるだろうか」という批評もあったが、確かめなければならない。    

 

 合評会を終えて、地元の後援会新春の集いに駆けつけた。137人の参加者で区民ホールは満員、まわりに恒例の作品展示があり、いつものように私は民主文学の宣伝と「奔流」などの販売をやった。そこでかねて関心があると聞いていた女性に38冊目を販売した。千円でもお金をだして購入した人の方が読むというのが、これまでの経験。「再生産のため

 

」というのがセールスポイント、さて読まれるか。別の女性、普通、新聞記事は高校出の主婦を対象にするので、それにあった女性に聞いてみたところ、面白いし最後まで読んだという。私は多喜二の不在地主のように「荒木叉衛門を読むように」と大衆小説のことは念頭になかった。

 

 このエッセイの一章の最後に私の「学び直し」と書き、このあとも本を読んだり、取材をしたりしてきた。まず、高田富与の「なぎさのあしあと」彼の歩いてきた道と「生活綴り方事件」これは釧路の裁判の弁護の記録。締め切りに間に合わなかったのは、図書館からの貸し出しであったから。その内容のいったんは合評の最初の私の発言で紹介した。この弁護記録の最後に弁護側証人として叔父坂口勉の名がある。このあと高田富与が市長になりレッドパージをはねのけ、衆院議員にもなる。蓑輪登が元防衛長官でありながらイラク自衛隊派遣の違憲訴訟の原告になっているが、今年の小樽多喜二祭の市民劇に登場することも紹介した。

 

 学んだ本では昨年暮れ発行の「治安維持法と凶暴罪」(岩波新書)内田博文著をすすめた。

 

他に、「共暴罪」というパンフレット(新聞労連、憲法会議、国民救援会など共同発行)がわかりやすい。 

 

 つぎに話したのは佐竹直子の講演会、(九月三十日、札幌市教育研究会主催)に出席したときのこと。大きな会議室に満員、若い教師に混じって私と同年代の白髪の人達もたくさん参加していた。そのなかに上田文雄元市長の顔もみえた。演題は「作文教育がなぜ罪に~獄中メモを追って~で、ほぼ道新選書の内容であった。彼女の講演のあと。上田文雄と彼女が長い立ち話になり、私は「奔流」に名詞をはさんで渡すのみであった。彼女に聞きたかったのは、坂口勉を取材に協力してくれた人たちのなかに上げているが、彼女が動きはじめたときもう亡くなっていたのでないかということ、それを確かめたかった。

 

 次に紹介したのは石川弘明らと同じ中富良野で5年近く生活したとき、同期だった長谷川佳代子の話、かつてのマドンナは「奔流」を読み電話をくれた「私、土橋明次をしっている」。土橋は三浦綾子の「銃口」のモデルの一人で裁判の被告第一号であり東旭川の教師をやっていて逮捕され、苦難の生涯であった。家族のために退職金のためか「依願退職」にされ、佐竹著書にはその道庁の罷免通知が掲載され、一家で映した写真もある。入学前の長女と生後4ケ月の次女の指で指し、写真の姉妹も知っているという。「明次兄ちゃんは真面目で、中学へ汽車通でなかったか」それなら師範へは二部へいったのであろう。明次夫人はその後、隣村の東中の小学校に勤めた。土橋の家の地図を描いて説明してくれたが、82才のデイトでは、互いに耳が遠く、大きな声になり、帰るとき付近の客に「声が大きくて」とおわびをする始末であった。

 

 合評でだされた「これまでの作品とともに本にしてのこせ」はかつても言われたが、財政的に無理。「北海道の特殊な事件か」そうではない。世界恐慌と未曾有の凶作のなかで「教員赤化事件」は全国でおきている。それは平沢書の第二章にまとめてあるが、簡単に記述はできない。「綴り方での教育効果は」坂本亮の教育実践にあざやかにあらわれている。教え子たちの署名活動とそれをもって札幌の弁護士への依頼などは当時では聞いたことがない。これらも簡単にまとめられない。

 

 いずれにしても批評は参考になり、感謝をこめて、これからに生かしていく。

 

 

 

 

 

 

 

「一輪の花のように」―全盲の子と生きるー

 

   批評、感想をいただいて

 

北野あかり

 

 

 

合評会では、批評として「句読点や改行」など、基本的な間違いを指摘されました。また、会話のところで、全盲の子の発する「話を聞いてよ!」の一言に注目されて、そこから彼の内面を洞察された意見などを頂き、驚きました。

 

何気ない言葉やしぐさなどは、人を描く上で重要なポイントなのだと、改めて気付かされ、目からうろこが落ちる思いをしました。

 

感想では、障害者と共に生きて来られた方の、体験を通しての教訓や、今後の生き方についても、沢山の言葉を頂き、とても嬉しく元気を頂きました。

 

特に、「誰と生きていくのが、彼にとって幸せなのか…の面から考えてみてはどうか」の言葉が心に残り、作品を改めて読み返してみました。

 

そこには、彼の辛かったことに焦点が当てられており、私の知らない彼の過去には、楽しかったこと、嬉しかったことがあったはずなのに、何も書かれていないのです。それは、私自身が把握していない、聞こうとしていないことだったのだと改めて気付き、愕然とました。

 

 書くことは、気付くことなのだと思います。合評の場があることはそれがもっと深く、拡がり、先が見えてきます。それなら、その都度書いていけばいいと思うのですが、それがなかなか億劫で、出来ていないのが現状なのです。

 

しかし、年に一度の発表の場があることは幸せなことです。機会が与えられれば頑張る、というレベルですが、良き先輩の皆さんを目標に、これからも、発表していきたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

『北都市緑野町界隈でのこと』

 

合評・読者からの感想を受けて

 

                豊村一矢

 

 

 

 今回は、いつになく書き始める前の構想にかなりの時間をかけ、熟慮を重ねた。最近、気力・体力・記憶力が衰え「今後、何作書けるか」と不安になっていた。それが熟慮を重ねることになった遠因だ。

 

「あと何作書けるか」は、「今度の次は無いかもしれない」につながる。そして、(児童文学の創作の時期も含めて)そもそも何のために文学に足を踏み入れたのかの原点に戻ることになり、結果、「奔流」26号への作品の題材は「学校現場」になった。

 

学校現場の何をどう書くか。

 

モチーフとテーマに照らして「学校現場を教職員が働く場」としてよりも、「子供(特に小学校低学年)が学ぶ場と」して書くことにした。どう書くかの難しさは経験上わかっていた。一番の難題は、子供が学ぶ場なのだから、中心人物に子供を設定するのが普通だが、六歳児の一般的な認識力、思考力、言語能力からいってテーマに迫る役割を担わせることはできない。少なくても私の筆力ではできない。

 

そこで、かねてから関心をもっていた戯曲の表現形式で書くことを思い立った。戯曲の勉強も不十分で確かな見通しもなく乱暴な出だしだった。

 

「奔流」26号の原稿締切日から一週間ほど過ぎ、編集責任者の特権も期限切れとなり脱稿とした次第だ。いつもと同じで自分での評価は不満だらけだけど、構想をある程度は形にできた自負もあるので、(合評を含め)読者がどんな感想を持ち評価してくれるか、どんな批評、批判、助言を出るか、不安もあり楽しみでもあった。

 

 貰った感想、意見の主なものを5項目にした。

 

 ※戯曲のジャンルで書いたことの是非&戯曲文学は読みづらくないか

 

 ※自分の小学校現場のイメージと作品(今)の現場の落差

 

※職場の管理体制の徹底ぶりが印象的

 

※専門用語など理解できない言葉

 

※人物像の典型化、類型化

 

 

 

 戯曲形式で書いたことに、最初に意見を言ってくれたのは田島一さんで、一〇月十四・十五日に札幌で行われた「ミニ創作専科」の時だった。ミニ創作専科の私の専科作品は「奔流」の『北都市……』ではなく別の掌編だったし、「奔流」を発行して一ヶ月ちょっとしか経っていなかったのに創作専科に出てきてびっくりした。専科に提出した作品がレーゼドラマ、本作品がレーゼシナリオだったので戯曲形式の文学について論じてくれたのだろう。

 

田島さんは「多様な創作方法を受容し、新たな世界を切り拓くチャレンジを歓迎」しつつ「レーゼドラマ(シナリオ)で、いかに生きるかを語り、人間の内面にまで及んだ世界を構築することができるか、そこが課題」と問題提起され、さらに、「いわゆる『読み物』の域を超える」という言葉をいただいた。私は「『読み物』の域を超える」を「小説では十分表現できない世界を戯曲によって表現する」という意味に解釈した。 

 

ミニ専科を離れた交流会で、田島さんから小説で書くことを強く勧められた。人間の内面にまで及んだ世界を十分には構築できていない、という田島さんの評価が前提にあるのかなと思った。

 

 

 

合評会で感想や意見を貰い、戯曲の勉強不足を意識し過ぎて縮こまっていたことに改めて気付いた。「レーゼシナリオ」というジャンル名を、言い訳がましく、タイトルの頭にぶら下げてしまったことなどだ。不甲斐ない。

 

今回戯曲形式を選択したことに後悔はない。「人間の内面にまで及んだ世界の構築」も作品が求められる程度に踏みこもうとした。一~二人の中心人物が引っ張る作品でないし、「もののあわれ」や「心の襞」の表現に深入りするつもりはなかったから予定通りではあるのだが、達成感がない。「読み物」の域をこえる表現になっていない。筆力不足に加えて戯曲への萎縮が原因だと思った。

 

「孤独のグルメ」という松重豊主演のテレビドラマがある。飲食店で松重豊演ずるサラリーマンがウエイターにオーダーするシーンでは顔・口の動きとともに音声が入るけれど、料理が並べられ食べるシーンでは、料理へ高まる期待や食べた時の感動を表情や仕草(発声動作はない)で演じつつ、期待と感動が独白調の話し言葉でスピーカーから発せられる。私は、シナリオでは、こんな場面をどう書いているのか気になった。

 

 石川さんから、『北都市…』の作品の「セリフ」ところで(内言)という言葉を頭に付けて内心表現であることを説明しているが、これは不適切で、カッコで括るるのがいいと指摘があった。なるほどと思った。

 

窮屈に考える必要はない。戯曲は、「セリフ」と「ト書き」と「登場人物表」の区別を明確にするくらいで、あとは何の制約も意識せず、読者ファーストの精神で書けばいいと結論し、(独り善がりだが)すっきりした。

 

 

 

現在の学校現場の現実に驚いたという感想が多く出た。学校現場の現実は作品の題材そのものだから「我が意を得たり」ではあった。

 

だが、現実の何をどう切り取るか。「学級崩壊」「家庭崩壊」「強まる管理体制」「人生観・価値観・適性・能力が多様化する教職員」「教育行政(文科省・都道府県・市町村)の政策のパフォーマンス化と学校の混乱・疲弊」……、選択したこれらをどう切り取るか。学級崩壊、家庭崩壊もその中身はいろいろだ。作品での崩壊学級は興味本位・自己中心で行動する(複数)児童の影響で授業不成立が日常化している状況、崩壊家庭は養育放棄・虐待までには至っていない状況と設定した。設定はしたが、構想通りに書き切れたかと言えば、大アマの自己採点で50点くらいか。

 

「作品中、意味の分からない言葉が出てくる」という感想が出された。分からないという言葉が専門用語だったり、特定のエリアで使われる言葉の場合、例外もあるが、私は作品の欠点だと思わない。一般論だけど、分からないと言っても前後関係から言葉の意味の雰囲気は感じ取れるように書かれているのが普通だ。言葉の意味を理解して貰うために説明の言葉を書き足したら猥雑な文章で、おもしろくない作品になると思う。

 

しかし、「北都市…」について言えば、「学級崩壊」という言葉に込めた筆者の意味づけを理解して貰えるように、辞書的にではなく、展開の中でもっと書き込むべきだったと思う。テーマに接続する重要な言葉として、校長と再任用教諭との会話の中で「憲法二十六条」や「子供が教育を受ける権利」だとかを使ってみたが、芯を喰ってない気がしている。

 

 授業が成立しない学級に再任用教師が入って授業すると短時間で授業が成立する場面と何の事前連絡もなく転校手続きに来てそのまま転校してしまう場面について、不自然だという意見が出された。立て直し教師も今回の転校場面も特異なこととして書いていないつもりだった。  

 

これらことは特別に珍しいことではい。しかし、いくつかの条件が重なってのことだから、それを書き切っていなかったと反省する。

 

どういうことかというと、指導が稚拙なために生活指導や授業が成立しないという一般的なタイプの「学級崩壊」であれば、子供たちに課題を理解させ、きめ細かく援助し、良いところを褒めて達成感を経験させる教師にかかれば短時間で学級は立ち直る。普通、学校にはそれができる熟練の教師が一人や二人はいる。「学級崩壊」に至った要因、未熟・熟練が入り混じった教師の姿をもっとポイントを押さえて書くべきだった。

 

 学校教育法で小学校に、保護者は子供を就学させる義務を課している。公(おおやけ)は子供を無学籍にしておくことができない立場にある。転校場面の不自然さの背景には法律がある。私が「北海道民主文学」二十一号に書いた『おれと私』のように、転校手続きなど一切せずに転校を繰返すことも、この法律を背景に可能になっている。作中の転校手続きをする保護者を社会認識に不足はなく、冷静かつ強い意志で行動していると書いたつもり。

 

だが、やはり書き切れていないかもしれない。筆者の経験からの先入観は横に置き、白紙の読者のつもりで読んでみて、そう思った。読者にこの親子を応援する気持ちになってくれれば…と願っていた場面なので後悔が残る。

 

 書き切れなかったのは戯曲形式にしたからだとは思いたくない。

 

 

 

私は、今回の作品に取りかかった時から、六年前の「合評会」(札幌支部例会)のことを時々思い出す。合評作品は、(「民主文学」2012年6月号)風見梢太郎『線量計』で合評会のレポーターは私だった。

 

 風見さんは、同年「民主文学」4月号で、「……原発を扱った最近の小説に寓話的なものが多いのも、ルポや記録に太刀打ちする本格的小説をまだ書けないことの反映であるような気もする。多くの作家が書けるところから始めることが大切だと思う。…………1月号に書いた『週休日変更』は原発に関わる小説を書こうとしている私の出発点である……」と書き、『線量計』はその二作目だと言った。風見梢太郎は「原発を描く」を自らの使命とし、ルポ、記録、映像の得意な領域で太刀打ちする小説を書くことを宣言しての二作目だった。(※「札幌民主文学通信」164号を参照)

 

 「ルポ、記録に太刀打ちする本格的小説に挑戦」と「戯曲の表現法に挑戦」とではレベルも内容も違っているが、風見氏がルポ、記録に太刀打ちする小説が書けたか……他人事に思えないでいる。

 

 

 

 

 

 

 

合評を受けて

 

泉  脩

 

 

 

「戦争と私」は、どうしても書いておきたい文章だった。一人の男の子が、戦争に巻き込まれ、苦しめられ、人生が大きく変わった。

 

戦争さえなければ、戦後すぐに父が死ななければ、と、どれほど考えたことだろう。命があっただけマシだが、ひどい苦労を強いられ、心がゆがみ、生き方が変えられた。

 

それでも何とかがんばって、人生をまっとうできたことが、我ながら不思議に思っている。

 

勉強になったとの意見があり、自分の体験を考えさせられた、といった声があった。いくらかでも役に立ったのならば良かったと思う。ささやかな貢献である。

 

それにしても侵略戦争を支持し、勝利を願ったという責任は認める。その後の生き方で少しでも、つぐなうことができただろうか?

 

 

 

 

 

 

    231の「投稿欄」の執筆者とタイトル

   (投稿作品には左「札幌民主文学会」下の筆者名をクリックしてお入りください

 

 

   後藤守彦 

     歌詠み二人

   

   泉  脩

     稲沢潤子・三浦協子

     「大間・新原発を止めろ」―核燃料サイクルのための専用炉

   

   石川節子

     ウミホタル

 

   大橋 あゆむ

      エッセイ  おつまみにはまる

      

     豊村 一矢

      連続エッセイ  床屋談義11

             

     福山 瑛子

          民主文学に関わっての六十年余を振り返る(二)

              

    泉  恵子

       中国の旅から  その3 

 

   

   

 

 

 

 

 

 

  札幌民主文学通信

 

       二〇一八年一月一日 230 

 

 

 

  謹   

 

             札幌民主文学会

 

 

 

   支部誌『奔流』26

 

    合評報告③

 

  十二月例会で合評した作品

 

    ★『山間に響く木霊』 福山瑛子

 

    ★『嵐』 平山耕佑

 

    ★『再会ラプソディ』 泉  恵子

 

 

 

 

 

 

寄せられた感想や意見……                  

 

福山 瑛子

 

 

 

「山間に響く木霊」をめぐって、数々の感想が寄せられた。例えば、「昔語りのような気がする」、「岡野家八人の急ぎ足の物語だ」、「弘の生き方、羨ましい」など。批判的意見として「小説の盛り上がりがない」、「完成度が高くない」「弟の視点で書いた経過報告で終わっている」、「小説というより自分史、おもしろくない」など。ただ一人、松木新さんが、「僕はおもしろかった」と言ってくださった。

 

 どの意見も、私には頷けた。すごいスピードで書いた作品だったし、推敲した作品ではなかったからだ。それに、「子ども時代の記憶に残っていることを書いて」と数年前に弟にたのみ、彼が送ってきた印刷済みメールを見つけ、使っていなかった部分が多かったので、それを参考にしてこの作品を書き始めたのだった。

 

 構想を練り、虚構で書くのが、小説である。その初歩に立ち返って、次作にかかろうと思っている。

 

 

 

 

 

 

「嵐」の批評を受けて

 

            平山耕佑

 

 

 

合評会の最初に言ったように、この拙作の舞台となった高校にはモデルがあるが、ストーリーは全くのフィクションである。ところが驚いたことは、海に落ちた子供を助けて自分が死んだ人を知っている、という人が二人もいたことである。現実にありうることなのだと改めて知った。

 

 批評全体としては誉め言葉が半分、その反対が半分というところか。起承転結がはっきりしていてよい、という批評は、そのことを強く意識して書いたので嬉しかった。フィクションの強みだろうか。

 

 教師のことばが演説口調という批評があった。でも卒業を控えた生徒に担任が進路のこと、選挙権のことを話すとすれば(そして話さなければならないこと)、私ならこういう言い方をする以外にない。小説に演説が入るのは私も好きでないが、まあ、私の能力の限界なのだろう。

 

  アイヌ、自衛隊、このことをもう少し深めた話にすればよかった、という意見があった。

 

でも三〇枚の短編でそれは無理という気もする。テーマはあくまでも「弱い高校生の成長物語」なのだ。戦時のことで事実との違いを指摘された。これには反論の余地などない。

 

 最後に、松木さんが「嵐」の楽譜と歌詞全部を印刷して持ってきてくれた。そしてさらに北野あかりさんが自分が所属するサークルの歌だと言って最後にきれいな声で歌ってくれた。感謝!   

 

 

 

 

 

 

 

「再会ラプソディ」の合評を受けて

 

               泉 恵子

 

 

 

 自分の作品に対して、いろいろ言っていただけるというのは有難いことだと改めて噛みしめています。

 

 今、自分の中での一番の関心事であり、今回の場合は悩みでもあるテーマについて、どのような形で書くか。カズオ・イシグロ流にメタファ(隠喩)を用いて書けたらと思うが、そうした力量の無い現状では、あのようなドキュメンタリーに、フィクションを交えた形でしか書けなかった。だから「小説」といっていいものかどうか悩んだ末、「創作」という多少漠としたジャンルで出させて頂いた。

 

 そんな事もあって、自分でもどう評価していいのか判らなかったが、皆さんの話から自分なりに問題点を絞ってみた。

 

 一つは、事情の知らない人に対しても、判ってもらえる作品になっているかどうかということ。それは、最初から多少意識していたことで、そのため前半がくどくなったかもしれないと思う。

 

 しかし、それでも主人公洋子の思いが、伝わって来ない嫌いがあったようで、「仲間内」以外の人にはどう読まれるのだろうか、という疑問は残った。事情を知っている「仲間」の方々よりも厳しいのではないかという予感がある。

 

 もう一つは、タイトルがテーマを薄めてしまっているかもしれないということについて。

 

 「親たちの世代のことだからと言って、関係ないとは言えない」「積み残していったものは引き継いでゆかなくてはならないのではないか」という、記憶の忘却との闘いという重いテーマを内包しながら、再会の思い出話の中に組み込まれてしまっていることは、話しが二つになってしまい、テーマが曖昧になっているのではないかということについて考えさせられた。

 

 題がなかなか決まらず、「ラプソディ」という音楽用語を思いついて、調べると、「自由な形式で、民族的、叙事的内容を表現した楽曲」とあって、自分としては「再会」の中で繰り広げられるテーマという意味で結構気に入ったのだが、安易だったのか?

 

 前作「望郷のトロッコ」の時も、本誌の「支部誌・同人誌評」の中で、久野道広さんから、「(つつじ山花見に)地域の人たちと『トロッコ』に乗ってゆく場面がはじめと結びにあり、間に戦時中の体験が入っている。このようにすると、戦時中の体験が軽くなり、隆司のノスタルジーになってしまったうらみが残る」と指摘されていた。この時の例会でもどちらか一つに絞った方がよいのでは?という似た発言があったと思う。同じ轍を踏んでしまったのだろうか。

 

 まだよく消化していないというのが本音なのだが。

 

 短編で書く場合と、長編で書く場合は異なり、前者の場合は、もっとシンプルに絞ることを心掛けるべきという基本を実践することは、なかなか難しい。

 

 

     230の「投稿欄」の執筆者とタイトル

   (投稿作品には左「札幌民主文学会」下の筆者名をクリックしてお入りください

 

 

   後藤守彦 

     『死ぬ』で始まる二つの読書論

   

   泉  脩

     NHK大河ドラマ 動乱を生きた男たち(終)

       「心の軸」と「志」

   松木 新

     『スターリン秘史』と『誰がために鐘は鳴る』

 

   大橋 あゆむ

      エッセイ  「シワシワネーム」

      

     豊村 一矢

      連続エッセイ  床屋談義10

             女(男)心と秋の空

     

     生駒たづ子

             謡曲の舞台   紀行文

 

     福山 瑛子

          民主文学に関わっての六十年余を振り返る

              

   泉  恵子

       中国の旅から  その2 

 

   田中 恭子

       『民主文学』に作品が掲載されて

   

 

  

 

 

 

 

 札幌民主文学通信

 

二〇一七年十二月一日  229号 

 

  支部誌『奔流』26

 

    合評報告②

 

 

 

十一月例会で合評した作品

 

★『チェルノブイリ・フクシマ 』 室崎和佳子

 

★『ポパイがいた』 馬場雅史

 

★『怨念の黒い船』  石川節子

 

 

 

 

 合評会は最高に楽しい

            石川節子

 

  吹雪となってしまった十一月の合評会は自分の作品「怨念の黒い船」も合評されることになっていたので、ことさら楽しみは倍増した。

 

皆さん率直にご意見を指摘してくださるので本当に有りがたい。

 

「読む前から読者に憂鬱を暗示させてしまうような、このような題名は避けたほうがよい」というベテランさんの指摘には、これぞまさしく「目から鱗」がハラリと落ちた。

 

つぎに私は「作品とは、安定した和音で終わるべきか。不協和音を残して永く読者の心に記憶させることは「文学における道徳」に反するものか。俳句で言う『字余り』も、よくないのか」など作品の閉じ方、終わり方のスタイルの有り様に傾注していった。

 

今回の「怨念の黒い船」は、発刊されて間もなくから「最後のところに問題があるね」と皆さんから指摘されており、また、『民主文学』十二月号で、橘あおい先生からのご指摘もあったので、「怨念の黒い」一〇七ページ最終部分の段落四行を改稿してみていた。

 

 

 

―裕次郞はすっかり精気を取り戻していつしか、裕次郞本来の温厚な面立ちにもどっていた。

 

同時にハルには、「男同士が結託してのこの仕業、生涯、恨み続けて生き延びてやる」という取り返しのつかない強い遺恨を抱かせてしまったことを重くうけとめ、大きな「罪過の念」を背負い、この埋め合わせは生涯を通して尽くしてゆくしか無いことを肝に命じるのであった。

 

こうして、この「怨念の再生」は凝縮されて静かに折りたたまれていった。

 

 

 

この改稿を試みた紙片を合評の席で配り、「このように試みてみたけれども自分ではまだ満足ができていない」ことを申し添えて皆さんのご意見を仰いだ。

 

「前よりずっと良くなった」という声や、「それならいっそのこと一〇六ページ下段、後ろから五行目の、『結局、旅費には手を付けず、源吾に返す事になった』、ここで終わりにするようにまとめたほうが、衝撃的な違和感を回避できてよいのではないだろうか」と言う具体的なアドバイスなども頂いた。

 

「嗚呼、今、私は皆さんに抱かれて育てられている」という幸せ一杯の気持ちに満たされました。

 

皆さん、ありがとうございます。

 

 

 長篇への想い

          馬場雅史

 

  例会で「ポパイがいた」を合評していただいた。重い指摘を二ついただいた。一つは「短篇として成立していない」「言いたいことを盛り込みすぎている」というものだ。その通りだと思う。自分でもそう感じていた。

 

 二つ目は「主人公」あるいは「語り手」にかかわる問題である。「ぼく」あるいはそれを言い換えただけの、例えば「山本」を語り手に据えなければ、ぼくは書けない。自分の作品を読むと、作品が「自分」に縛られていること気が付く。「オレオレ」主義ではないが、それが作品世界を狭めている。視点も歴史も感性も、そこから形成される思想も、それによって限定されている。その克服が課題であることは自分でも、気づいていた。

 

 ならば、短篇を捨てて長篇に向かい、「ぼく」という語り手を捨てて主人公に語らせれば良いではないか? できることならそうしたいとも思ってきた。

 

 こんなふうに書けば、つまり、合評会で指摘されたことは、何か想定済みの、分かっていたことを追認するだけのものだったのか? そう思われるかもしれない。しかし、そうではない。ぼく自身の作品はもとより、会員の多くの作品についての批評の蓄積が、今回の「ポパイがいた」についての批評を正当な指摘として受け止め得る何かを、ぼくの中に形成してくれていたのだと思う。引き続き、厳しい批評をお願いしたい。

 

その経験を熟成させつつ、長編への想いを培っていきたい。

 

 

 合評を受けて

          室崎和佳子

 

  原発事故が人間の生活に及ぼす影響を考えるとき、それまで築き上げてきた個々の人生のほとんど全てを失うという慄然とした事実にぶつかります。

 

 放射能という目に見えない化け物が、チェルノブイリの人を、福島の人を、奈落の底に突き落としていることは、説明するまでもありません。

 

 全世界に展開されている原発が、あちこちで事故を起こしたとしたら、人類の叡智が成し遂げてきた芸術、文化、スポーツを初め、人間生活の全てが失われてしまいます。

 

 原発で儲けようとしている心卑しい人たちは、なぜそんな簡単なことが分からないのか。

 

 金儲けを優先させるあまり、普通の人間としての感覚、感受性を失っているのでしょう。まるで「出来損ないのロボット」です。こんなことを言うと、優秀なロボットに叱られるかもしれません。

 

「私たちは優秀な人工知能を身につけていますから、人間の気持ちが十分にわかっています。ですから、そのような愚かなことはいたしません」と。

 

 

 

 辺りに放射能が漂っている限り、人間として当たり前の生活ができなくなるわけですから、何にも増して、このこと(原発・原子力問題)が大切だと思うのです。

 

 それが、原発・放射能問題にこだわって書いている理由です。

 

 今回の作品で、初めて「福島」の問題に取り組みました。今までも、「福島」を書かなければ、と何度も思いながら、どうしても書くことができなかったのです。

 

 

 

 この作品を執筆後、九月にチェルノブイリ、十月に福島へ行ってきました。

 

 驚くことに、私はそのどちらでも体調が悪くなったのです。チェルノブイリでは事故炉直下付近で、咽が急激に腫れて水も飲めないような状態になりました。福島では、いわき市へ入った時、頭痛と吐き気がありました。須賀川市、郡山市では感じなかった体調の変化でした。いわき市は「浜通り」と言われる地域で、事故原発に近い場所でした。

 

 私は甲状腺機能減退症(橋本病)という病気をもっており、普段は無症状なのですが、放射能を敏感にキャッチしたようです。

 

 そのような地域で生活しなければならない人々に思いを馳せ、これからも書き続けようと思っています。

 

 

 

 

    229号の「投稿欄」の執筆者とタイトル

   (投稿作品には左「札幌民主文学会」下の筆者名をクリックしてお入りください

 

 

   後藤守彦 

     南京事件を考える

   

   泉  脩

     NHK大河ドラマ 動乱を生きた男たち⑤

        『獅子の時代」―自由・平等・博愛を

   松木 新

     「蟹工船」観劇余話

 

   大橋 あゆむ

      エッセイ  まっ、いいか

      

     豊村 一矢

      連続エッセイ  床屋談議⑨

             女(男)心と秋の空

     

      村松 祝子

          「五十鈴川の鴨」 竹西寛子著を読んで

 

      福山 瑛子

          新船海三郎著『戦争は殺すことから始まった』を読んで

              

    泉  恵子

       中国の旅から  その1 

 

   

 

  

 

 札幌民主文学通信  二〇一七年十一月一日  228号 

 

 

  十月の支部例会は、開始時間を一時間早めて、支部誌『奔流』二十六号の中 

 の三作品について合評しました。十一月例会、十二月例会でも三作品を合評 

 し、新年一月には一泊二日の合宿 合評会で『奔流』二十六号全作品の合評を

 終える予定です。札幌民主文学通信は、合評を受けた筆者のコメントを連載し

 ていきます。   《編集部》

 

   支部誌『奔流』26

 

合評報告①

 

十月例会で合評した作品

 

  ★評論 アメリカ版『日本プロレタリア文学選集』 を読む(草稿)     

                                     松木 新

 

  ★評論 加藤周一『日本文学史序説』を読む

 

                                     後藤守彦

 

  ★「小説 『こむニャンコ』       田中恭子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  合評を受けて    

 

松木 新

 

 

 

「アメリカ版『日本プロレタリア文学選集』を読む(草稿)」は、このまま眠らせておくのは惜しいと思って『奔流』に発表したのですが、みなさんの意見を聞いていて、発表が正解だったと実感しました。『選集』「序文」の翻訳と、『選集』全体についての評論をセットで把握し、プロレタリア文学の研究に貢献したという評価は、大変嬉しいものでした。

 

この『選集』が、これまで日本で刊行されてきた類書と大した相違がないのであれば、こんなに情熱を傾けることはなかったと思います。それだけユニークに感じたということは、プロレタリア文学に長い間かかわってきたぼくの頭の中が、固定観念の蜘蛛の糸でぐちゃぐちゃになっていたためだと、あらためて実感させられた四ヶ月間でした。

 

不破さんが『スターリン秘史』で、現代史におけるスターリン主義の意味を問いかけましたが、文学の世界でも、今、その作業が待たれているのではないかと考えています。このアメリカ版『選集』が、そのための第一歩になるような気がしています。

 

 

  「知らないこと」の多さ

 

              後藤守彦

 

                                                                

 

 先ず、お詫びから。拙稿について「やっつけ仕事」と述べたのは、不遜でした。提出期限に間に合わせようとして急いで書いたため、テーマを十分深めないまま終わってしまった、それが正直な思いでしたので、生意気な言い方をしてしまいました。合評会に参加された皆さんを含め、読んでくれた方の指摘で、これからも考えなければならない課題を見出しました。ご批評ありがとうございました。

 

 「本を読めば読むほど人生の真実に近づく、とは決して思っていない」と拙稿で書きましたが、読めば読むほど、知らなかったことに気付く、というのも私の実感です。そこから、また新たな人生の真実への探求が始まると言えます。それにしても、加藤周一の豊かな読みと知的探究心には圧倒されます。

 

そして、加藤が探求した「今=ここ主義」の問題を、私なりに考えつづけていきたいと思います。

 

 

 

 

  合評をしていただいて

 

  田中 恭子

 

 

 

十月例会に出席する日の朝、まずは自分がゆらゆら揺れていないか、十分程立って動いても吐き気に襲われないかを確認し、今日は大丈夫そうだと一安心して、外出のための準備に取り掛かった。脊柱管狭窄症による足の痛みやしびれに、昨年の秋から、自律神経が自立していない(?)ことによる障害で、めまいや吐き気になやまされる日々が加わり、処方された薬は、車の運転を禁止されるほど眠気に襲われるもので、日常生活を営むために必要な、買い物とか食事作りとか、週二回の新聞の早朝配達、シルバー人材センターの依頼で一回二時間半、月に五日間の保育園の掃除の仕事(整形外科の医師に足が痛くてもしびれても、我慢してとにかく動けるうちは運動しなさい。動けなくなったら手術を考えます、と言われて、運動をしなくてはと思い始めた仕事)など維持実行するのに妨げにならない範囲で間引き服用している。

 

雪がまだ残っている三月中旬から、とにかく毎日パソコンの前に座ることを自分に命じて、「こむニャンコ」の作成を始めた。体調と相談しながらのことで、時には三、四行でパソコンを閉じてしまったり、人物の名前が母親と娘が同じ名前になっていたり、時間の流れを忘れてどの時点を描いていたのかと戻ってみたり、右往左往の日々を重ねて書きつないだ。

 

出来上がったのは締め切りの二日前、読み直してみると誤字・脱字・変換ミスがはなはだしく、作品全体を見渡して点検、検証しようにも、まず細かところに気をとられ、時間切れで見切り発車となった。まな板の上にあまり元気のない鯉を載せてしまった感があった。

 

合評の場では、日ごろ辛口の批評をすると思われる仲間が、とても好意的に作品を読んでくださったと感じた。特に、松木さんの評論、アメリカ版『日本プロレタリア文学選集』を読む(草稿)の中にあった、個人的なことは政治的なこと に当てはめて感想を言っていただけたのが嬉しかった。作品の質は低いものばかりで大きな事は言えないのだけれど、創作を始めた三十代のころから、自分が文章にしなければ、一生懸命生きているその人のことは社会の中で知られることなく過ぎてしまう、どうしても書いておきたい。そして、その人を描くことで社会の状況が透けて見える作品を書きたいと思ってきた。個人的なことは政治的なことに当てはめて深読みしてくださった事に感謝する所以である。

 

厳しい批評がなかったのは、まな板の上の鯉が元気がなく弱りきっていたせいかもしれない、と思っている。自分自身も、身の回りにも、病を持ち、闘いあぐねている高齢者ばかりという環境だから、これからは、そこをどう突き抜けて、悟りではなく日々模索、昔ではなく明日を見つめる「バーバ」のような人物をもっと色濃く作り、悔いの残らぬ作品にしたい。

 

ただ、合評の場を終えて、気持ちは少し軽くなり、沢山の人に読んでいただけたということが実感できてとてもありがたく、書いてよかったと思うことしきりの帰途でした。

 

 

 

 

      228号の「投稿欄」の執筆者とタイトル

   (投稿作品には左「札幌民主文学会」下の筆者名をクリックしてお入りください