札幌民主文学通信

 

        二〇一八年一〇月一日  239号 

 

 

 

 

 

九月例会合評報告

 

 

 

 合評作品

 

宍戸ひろゆき「階段で」(「民主文学」九月号)

 

 

 

レポーター報告   馬場雅史

 

 

 

 文部官僚の腐敗と無能力、不道徳なふるまいを糊塗するかのように、学校現場にはきわめて管理主義的な政策・制度が押し付けられている。この作品は、小学校三年生を担任するベテラン教師である「私」が、強い上昇志向を持つ新任教頭の管理主義的な企図をやり過ごしながら教育実践をすすめた経験を描いたものである。権力的な統制に抗する視点からあるべき教育の姿を示唆する作品となっている。子どもの成長を願い、保護者との協力をすすめようとする「私」の想いや実践は、こころに染み入るものである。

 

 しかし、元教師であったぼくにはどうしても気になることがある。一つは、「私」があまりに孤独だということである。仲間がいない。管理職も組合員も同僚ですら仲間ではない。孤高であることを誇っているように見えるが、それでは教育は成り立たない。教育は個人プレーではない。二つ目は、「私」が肝腎な時に言葉を失う、あるいは言葉を飲み込むことである。「週案」の提出を求める野口にも、教務主任になることを勧める組合幹部にも、「経験にもとづいたずさんな指導」と「私」の実践を侮辱する新教頭にも「私」は反論しない。「してもしょうがない」という諦めがあるのか? だが、そんな諦めは傲慢に近い。誠実に心を込めて反論すべきである。三つ目は母親の描き方についてである。母親は「教育熱心な母親」「賢く毅然とした意志を持った女性」「身体能力への自信」「他の子の気持ちまで考えられる、いいお母さん」とされている。それは事実であろう。しかし描くべきはそうした母親の内面にある「苦悩」であり「困難」であるはずだ。何が、母親をして「賢く毅然とした意志を持つ女性」にしているのか、そこへの社会的視点と個人的共感がない。おそらくこの作品の文学としての価値の源泉はそのあたりにあったはずだ。

 

 例会参加者の感想・評価も分かれた。第一は「素直で読みやすい」「子どもに寄り添った教師の姿が良い」というというものだ。第二は「経験だけに頼る『私』に疑問を感じる」「なぜ『計画―実践―反省―実践』ということや『指導案の作成』に反発するのか理解しにくい」というのものだ。これらの感想には「現実の学校現場の厳しさと作品の世界にはズレがある」「こうした実践では若い教師の共感を得られない」「独りよがりで自己中心的な実践・作品であり好感を持てなかった」など厳しい意見が伴った。

 

 議論を通していくつかの課題も明らかにされた。一つは、文学に表れた教師像について整理検討する必要があるということだ。「金八先生」幻想がいまだに教師経験者の中にあるということになどにもかかわってである。二つ目は「好き・嫌い」という視点からの作品評価はいかがなものかということに関してである。引き続き議論する必要を感じた。

 

 

 239の「投稿欄」の執筆者とタイトル

   (投稿作品には左「札幌民主文学会」下の筆者名をクリックしてお入りください

 

   後藤守彦 

    とにかく前へとにかく空へ

   

   泉  脩    

     医者ものドラマを観る⑦

        医学と私

     山形暁子「家族の小径」

        銀行でたたかう共産党員夫妻

 

    豊村 一矢

     連続エッセイ    床屋談議19

    (新)連続エッセイ  金子文子の描かれ方3 

     

   福山 瑛子

          民主文学に関わっての六十年余を振り返る(九)

              

   松木 新

      山本有三「女の一生」三第噺

 

   村松 祝子

      小誌 ハンナ・アーレント「全体主義の起源」を読む 2

 

   村瀬喜史

      多喜二とロマン・ロラン 

 

 

 

 

 

 

 

 札幌民主文学通信

 

                 二〇一八年月一日  238号 

 

 8月例会合評報告

 

8月例会合評報告は、「レポーター報告」と合評に釧路から参加してくれた合評作品の著者、増田さんの投稿を記載します。編集部

 

  

 

 合評作品

 

増田竹雄 『二年目の春』

 

          (「民主文学」8月号)

 

 

 

レポーター報告

 

村瀬喜史、

 

合評作品、民文八月号,増田竹雄「二年目の春」。作者本人が釧路から遠路かけつけ、参加した。私がさそった動機は、詳細なことは本人でしかわからないことがあること、もうひとつは、東京で行われている「作者と読者の会」を北海道でもやろうと思ったこと。釧路の見田さんや松木さんに事前に電話の了解をえていた。

 

私のレポートは、この作品は民主文学誌に初登場、力作で70枚。当時の国鉄労働者の戦いが、よくわかるもので、

 

  1. 4・17スト、共産党入党、65春闘の拠点スト。貨物列車の最初の乗務で投身事故。

  2. 「4・8声明」と反ストのビラまき。釧路車掌区分会の教宣部長の野原進の参加。などストーリーにそって6点と私の感想を最後に、A4レジュメ一枚に圧縮して報告した。時間不足で半分しか話せなかった。

 

続いて,増田さんが、

 

  1. モチーフ 労働組合の組織率の低下で18%になっている現状を憂いて、いろいろ提案している。

  2. 4・17ストと組合の査問などを真正面から書いた。作品にはふれていない狩勝トンネルの難所と歴史的闘争にもふれた。これは一昨年に書いたもの。

 

 

 

参加者の意見・感想。

 

 

 

◎すごいエネルギーだ。迫力がある。野原進の一時代,教養小説のようだ。 

 

◎真正面から労働運動を書いている。

 

◎今の若い労働者にはうけない。

 

◎階級敵への批判が浅い。 

 

◎女性を描くのが、いまひとつ。夫人のたたかいも描く。「屋台」のところもふくらませたい。

 

◎飛び込み自殺のところ踏み込みが浅い。

 

◎文学的香りがない不足。

 

以上

 

 

 

札幌支部の例会に参加して

 

釧路支部 増田竹雄

 

 

 

報告者の村瀬さんから「二年目の春」を七項目にまとめた資料が配布されました。

 

資料㈠「落合まで行き引き返すとすれば……」「魔の狩勝トンネル……」に触れられていない。

 

ご指摘の通りです。魔の狩勝トンネルは急勾配、千分の二十五で戦後の復興を急ぐ政府と国鉄当局は、輸送量の増加の問題を労働者と労働組合に押し付け、その結果、悲惨な事件が発生したこと、新得機関区の職場離脱が誰の計画で行われたのかということ、これらを野原進の見聞だけでは書けなかった。

 

主題(何を)モチーフ(書くべく意図)題材(何について書くか)はっきりしていなくて曖昧だったと思っています。

 

資料の六項目「女性の描写を」と指摘しています。「屋台風の焼き肉店」での出来事をリアルな描写が必要であったと思いました。

 

進と斉藤との関係について……斎藤の弁解をするつもりはないのですが、斉藤が党員でもなく進に無理矢理、四・一七スト反対に協力させ、ストは間違いだったと頭を下げるが、反省が不十分なまま進に「入党」を薦める斎藤の矛盾が指摘されました。

 

斉藤は、進が国鉄に就職以来の友人であり、二人三脚で苦楽をともにした唯一の人でした。一九六四年の時代背景として、党の分裂から七回大会で自主独立の党として統一を回復し、安保闘争と統一戦線の構築、三井三池闘争で闘争方針を前面に掲げて闘ったこと、党の八回大会で大衆闘争と党勢の倍加運動に成功を納めたことなど……当時の事が蘇って来ます 党の労働組合に対する基本路線が確立されても、それを指導する地区党の指導体制に弱点があったように思います

 

四・一七スト問題で斉藤を余り𠮟責できなかった。むしろ前衛党が地区党に弱点があって良いのかとさえ思った程です。

 

これも一九四九年七月行政機関職員定員法反対の闘いで党を知り共産青年同盟(民青)に加盟を勧められた経緯もあり党に対する同情があったように思います。 以上。

 

 

 

 

 

 

 

  238の「投稿欄」の執筆者とタイトル

   (投稿作品には左「札幌民主文学会」下の筆者名をクリックしてお入りください

 

   後藤守彦 

  『羊と鋼の森』から「砂漠の花」へ

   

   泉  脩    

     医者ものドラマを観る⑥

        風のガーデン

 

    豊村 一矢

     連続エッセイ    床屋談議18

    (新)連続エッセイ  金子文子の描かれ方2 

     

   福山 瑛子

          民主文学に関わっての六十年余を振り返る(八)

              

   松木 新

      パンジ『告発』が描いた北朝鮮

 

   村松 祝子

      小誌 ハンナ・アーレント「全体主義の起源」を読む

 

   村瀬喜史

      松木新「北海道の米騒動」(「札幌民主文学通信」237号)

           に関わって

 

 

 

 

 

 

 札幌民主文学通信

     二〇一八年月一日  237号 

 

 

   7月例会合評報告

 

 

   合評作品

 

  キム・ビョラ著・後藤守彦訳

 

 『常磐の木 金子文子と朴烈の愛

 

             (同時代社刊)

 

    編集部より

 

    本号の例会合評報告は、浅野勝圀さんの「民主文学」七月号『書評』と合評作品についての感想(報告)を中心に構成します。

 

    作品合評で出された支部例会出席者からの感想・意見については、編集部が取りまとめました。

 

    なお、浅野さんの報告にある、「札幌民主文学通信」での泉脩さんの文章は、235号にあり、札幌支部のホームページで閲覧できます。

 

 

 

 「常磐の木―金子文子と朴烈の愛」を読む

 

               浅野勝圀

 

 

 

 札幌支部七月例会会合評報告のレポータだったのですが、当日、補聴器を家に置き忘れたために、例会の出席者の声に耳を傾けることができませんでした。「民主文学」七月号に載ったぼくの『書評』と作品にかぎって感想を述べることにします。

 

 

 

1『書評』のこと

 

後藤さんが韓国の現代小説の翻訳に取り組んでいることを知ったのは、かなり以前のことでした。訳者(後藤)のあとがきから推し量ると、苦闘は九年間にも及んだようです。その一言を知っただけでも頭が下がります。

 

 上梓直後に謹呈として贈っていただき、あゝ良かったと喜びを共有したのもつかのま、『書評』をということになりました。後藤さんとは、北見―児玉健次さん―朝鮮語学習という赤い糸のつながりがあり、お断りするという選択肢はありませんでした。

 

 松木さんから声をかけられ、宮本編集長から正式の依頼があった四月中旬から五月初旬にかけての体験は、忘れがたいものになりました。

 

 数回の電話のやりとりとファックスの往復を通して作業は進みましたが、宮本さんの丁寧な読み込みとお人柄に助けられました。

 

 最初は進行中だった南北首脳会談と米朝首脳会談から書き起こそうとしたのですが、とても制限字数(一一五〇字)の枠に収まりそうもなく諦めました。

 

 何とかまとめてファックスすると、宮本さんは「最後の段落の一つ手前で終ってもいいようですね。字数に余裕があれば最後の段落を生かしましょう」とのことでした。

 

 最後のゲラでは、表題が「常磐の木」だけでサブタイトルが省略されていたので、少々、強く意義を唱え復活してもらいました。

 

 もうひとつこだわったのは「朴烈」の読み方です。文子の短歌などではかれの頭文字がBだったりPだったりしています。Bは「ボク」という日本語読み、Pは「パク」という朝鮮語読みでしょう。彼女が少なくとも朴烈の朝鮮語読みを理解していたらしいと知り、ぼくは自信を持って(パニョル)と朝鮮語読みにより近い表記にしました。しかし、(パク ヨル)に改められました。編集部スタッフからの指摘だったようです。この一点だけは今も釈然としないものがくすぶっています。

 

 

 

  2 作品のこと

 

 一連の歴史小説の成功で作家としての確固たる地歩を占めただけあって、作者の二人をめぐる客観的な事実への周到な目配り、歴史的な背景の提示、読者を魅了する構成力と圧倒的な描写力などに非凡なものを感じました。

 

 吉井盛一氏の「歴史小説の流行」は、この作品を理解する上で不可欠の視点を教えてくれます。

 

 主題については『書評』一段目中頃の数行を取り上げて例会で報告しました。その関連では、作品の表題(「熱愛」から「常磐の木―金子文子と朴烈の愛」へ)に示された後藤さんの読み(作品論)に耳を傾けたかったと思っています。

 

「札幌民主文学通信」での文章を使わせてもらった泉脩さん、声をかけてくれた松木さん、終始丁寧に対応してもらった宮本さん、そして何よりも、この熱い作品を初めて翻訳紹介してくれた後藤さん、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

    合評で出された感想・意見等(編集部)

 

  1. 翻訳という仕事をやり遂げた後藤さんを賞賛したい。ありがちな翻訳臭さをまったく感じさせず読むことができた。

  2. 文章が素晴らしく巧みな構成により金子文子と朴列の出会いと愛、各場面で作品に引き込まれた。

  3. 金子文子の生い立ちから歩んだ人生があまりにも悲惨で、読み続けるのが辛かった。(かなり多い感想)

  4. キム・ビョラはどういう作家なのか。文子死後の朴烈の生き方は、二人の愛と真逆に思える。そこを無視できない。

 

 

 237の「投稿欄」の執筆者とタイトル

   (投稿作品には左「札幌民主文学会」下の筆者名をクリックしてお入りください

 

   後藤守彦 

    北の国から猫第八章

   

 

   泉  脩    

     医者ものドラマを観る⑤

        ドクターX

    

    青木陽子『日曜日の空』(2005年新日本出版社刊)

          女性の生き方を求めて     

      

     豊村 一矢

     連続エッセイ    床屋談議17

    (新)連続エッセイ  金子文子の描かれ方1 

     

              

     福山 瑛子

          民主文学に関わっての六十年余を振り返る(七)

              

      

    松木 新

      北海道の米騒動

 

 

 

 

 

  札幌民主文学通信

 

二〇一八年月一日  236号 

 

   六月例会合評報告

 

 

  合評作品

 

 新人賞受賞作

 

 田本真啓「バードウオッチング」

 

        (「民主文学」六月号)

 

 

 

 

 

レポーター報告

 

         泉  脩

 

 

 

 レジュメ

 

 作品のあらすじを要点的に押さえつつ、登場人物個々の人物像と人間関係を場面の展開に即して明らかにした。

 

・一誠(主人公)は、父の自死により母(清美)が生活のため働き、母方の祖母に育てられることになる。祖母に父方の姓の田中から母方の姓、及川に帰られる。しかし、一誠は成長すると祖母を嫌い、母ともすれ違いの生活になる。アイデンティティが絡むもめ事ことを予感させる展開。

 

祖母が病床に着き認知症になるが、一誠は面倒を見ないし意に介さない。祖母の長女(恵子)から、祖母をここまでにしたのは清美と一誠の虐待が原因だと批判され、一誠が親を捨てて何十年も帰らなかった恵子に批判する資格はないと言い返す場面。介護を巡る肉親同士のいがみ合いが始まる展開。

 

・一誠が働くダイニングバーの経営者「ヤマネコさん」とのやりとりや、バーの入口の上の燕の巣の顛末や、「ピーターパン」の物語・カント哲学にある「キリスト教の愛」など巡る会話がくり返される場面。作品の主題に迫る展開。

 

 

 

 討議の柱

 

 合評の進行を務める松木さんが、あらかじめ、次のように討議の柱を提起してくれた。

 

 作者の企みをジェームズ・バリー『ピーター・パン』、『ピーターとウエンディ』に仮託して自己の存在意義を模索しようとするものと捉え、それが成功しているかを問う。

 

  1. 両義性の問題

    ピーター 鳥と人間の両義性

    一誠   田中姓と及川姓の両義性

  2. 代理母の問題

    ピーター 亡くなった子どもの霊魂である ツバメ、代理母を求めるピーター

 

  一誠   疎ましい祖母が代理母

 

  1. 祖母のしあわせ

 

祖母はだれと共に生きるのがしあわせなのか、僕ら(一誠、恵子、清美)が真剣に考える

 

 

 

 合評参加者の感想例

 

  1. 一読したとき、「何がなんだか分らない作品だった」という感想が多かった。

  2. 自己のアイデンティティーを追求する作品だと読めたが、認知症の介護問題と咬み合っているか疑問。

  3. 選者の「教雑物が多すぎる」「言葉遊びの空回り」「観念的な思索に流れている」等の評については同感。作品を理解し受け入れるのを邪魔している。

  4. 作者は深い作意を持って書いている。ピーター・パン、カント、キリスト教の愛、など。その創作姿勢に好感。将来性を感じる。

  5. 平板でなく奥行きを感じさせる作品だが、読者が深読みしなければ主題にたどり着けないとすれば、完成度が低いということだろう。

  6. 現実の介護問題について問題提起する作品になっているとは思えないが、もともと、それは意識されていないのか。

  7. 作者自身、父親の自殺を体験していると言う。その体験がこの作品に結晶しているとしたら、その観点で読み直してみたい。

 

 

 

 

  236の「投稿欄」の執筆者とタイトル

   (投稿作品には左「札幌民主文学会」下の筆者名をクリックしてお入りください

 

   後藤守彦 

     金子兜太を悼む

   

 

   泉  脩    

     医者ものドラマを観る④

         白い影     

      

     豊村 一矢

      連続エッセイ  床屋談義16 

     

              

     福山 瑛子

          民主文学に関わっての六十年余を振り返る(六)

              

      

    松木 新

       スペインの無政府主義

 

 

 

 

 

 

 

  札幌民主文学通信

 

二〇一八年月一日  235号 

 

  五月例会合評報告

 

 

 合評作品

 

 稲沢潤子「別離」(「民主文学」五月号)

 

 

レポーター報告

 

              泉 恵子

 

 

 

(一)レポートの概略

 

① 37枚の短編。なめらかな筆致に熟練を感じさせる。

 

 ② テーマ 被爆者である義弟との永遠の別れ(別離)に際し、義姉である修子の過去のわだかまりに対する寛恕(広い心で許す)気持ちを描く。

 

 起承転結 

 

起=主人公修子は妹美月を早死にさせた夫(義弟朋幸)に対して、長い間 受け止めてきたろうか」と自問し、わだかまりを解いておきたいと思っている。

 

   承=朋幸、美月の出会いと結婚。美月の死。息子の直樹の事

 

   転=原発建設の凍結を求める裁判の原告として傍聴する修子。

 

   結=葬儀場で朋幸の微笑んでいる写真に虚を突かれる修子。「根はやさしい人」の思いから、わだかまりを解いてゆく。

 

④ 感想など

 

   ・最後にしみじみとした感慨はあり、上手な良い作品とは思うが、今一つ物足りないのはなぜか。

 

   ・被爆者である義弟とのわだかまりを解きたいと思いながら、心を閉ざした人を生きている間に開くことはできなかった。心を開くとはどういうことか?本当に開くために努力したか?

 

   ・「根はやさしい人」と何回も出てくるが、この言葉は曖昧。

 

   (広辞苑より=「やさ・し」は動詞「痩す」の形容詞形。1身も痩せるように感じる。恥ずかしい 2控え目である、つつましい 3穏やか、素直であるなど様々な意味があるが)「思いやりがある」という意味としたら、朋幸は「やさしい人」と言えるのか?自己の病の不安と恐怖を身近な人にぶつける弱さを持つ人。

 

   ・「やさしい人」の象徴として、対極に美月の目指した「雨ニモ負ケズ」の世界があるのでは?

 

 

 

(二)参加者の発言から

 

   様々な発言を区分することは難しいが、大まかに分けて列挙してみます。

 

  (発言者の真意を汲み取れていない点は、ご容赦ください)

 

 文章について

 

    読みやすい、なめらかでわかりやすい安定した文体というのは大方の一致した意見。比喩表現はほとんどないが、伝える力があり、すぐれた筆力を感じさせる。さすがだナ。

 

 義弟である被爆者朋幸についてと主人公修子の思い

 

   ・被爆者だけがこのような苦しみを抱いているわけではない。また、共通した体験でも個別性がある。

 

   ・自分の病気を連れ合いに対して攻撃的にぶつけるのは、一人よがりで自分を抑えられない、配慮のいかない弱点を持っている。

 

   ・被爆者の従妹がいるが、絶えず何かの疾患を抱えていた。身近にも病人がいたので、その心理はわかるように思う。被害妄想に駆られて、やり場のない気持ちを周囲にぶつけてゆく。わがままである。当てられた方はたまったものではない。言ってもわからない場合は、耐えてゆくしかない。

 

   ・自分をわかってほしいの気持ちが、攻撃的になるのか。自分の体験とも重ねて涙が出た。本人にも自分がわかっていない。「 根はやさしい人」とあるが、こう思うことで、理解しようとしている。

 

   ・周囲がもう少し対応してやれなかったのか。寄り添って一緒に考えると同時に、本人に自覚してもらうように働きかけられなかったのか。

 

   ・「終活」という言葉があるが、過去のわだかまりを解いておきたいという思いは共感できる。

 

   ・高齢者が他者へ思いを馳せるとき、恋愛にも似た感情を抱くものなのかもしれない。惚けた人に対して「私のこと、わかるかな」と。

 

   ・「別離」という題名のせいか、主人公は被爆者に対して理知的で冷たいものを感じた。被爆者の心の苦しみが描かれていない。

 

   ・心を閉ざしてしまった朋幸だが、修子もまた「許せない」の気持ちから心を開いていない。直樹に対しては自分の子供のような愛情を感じるが、ここをもっと丁寧に描くと良かったのでは?

 

 原爆と原発を切り結んだこと

 

   ・とても新鮮に感じた。原爆の被害者の苦しみと重ねて、原発の被害者の苦しみを告発する意味がある。

 

   ・国会周辺の風景に昔の記憶を映し出す、朋幸の写真に昔の記憶を呼び起こすという所に、記憶の奥深さというものを感じた。

 

   ・傍聴者が少なくなって「まじめな心配」という表現など、運動の細かい点にも気配りしている。

 

   ・この裁判の場面はわかりにくかった。もっとわかるように書いてほしい。

 

   ・この部分は本文とは合わない、不必要ではないか。

 

   ・この場面があって被爆者と、原発の被害者を視野に入れた、「低線量内部被爆」の問題にも敷衍できる奥深さが出ている。この場面がないと単なる家族の話になってしまう。第三者である体験していない人間が、内部被爆の不安を抱えている人を理解することは可能かということがモチーフになっている。

 

 テーマに関して

 

・報告のテーマのほかに、「ひとが成長してゆくきっかけは何だろう」という箇所から「直樹の成長」という視点で捉えるのはどうか?

 

    直樹には、朋幸、美月、修子の思いがかぶさっている。「直樹は自分で自分を閉じ込める男になってはいけない」の修子の思いが直樹にも伝わり、「自分を閉じ込めない」「人並みの男」として成長する。そこに希望を感じさせる。

 

    ・翌日A氏から、「やさし」の言葉から『万葉集』より「貧窮問答歌」の反歌「世の中を憂しとやさしと思えども飛び立ちかねつ鳥にし思えば」(山上憶良)の歌にある「やさし」が、この作品のテーマとして考えられないかという意見が寄せられました。

 

 その他

 

   ・人間関係が複雑な話で、37枚の短編にしては、登場人物が多すぎないか?誰に焦点が当たっているのか、定まらないものを感じた。

 

   ・皆の話を聞いていて、原爆、原発というテーマは、日本人みんなが持つ必要があるのではないか、と思った。良いモチーフ、テーマを持った作品と思う。

 

  • 235の「投稿欄」の執筆者とタイトル

       (投稿作品には左「札幌民主文学会」下の筆者名をクリックしてお入りください

     

       後藤守彦 

      伊藤光悦の震災絵画

               

        

     泉  脩 

       キム・ビヨラ著 後藤守彦訳

     「常磐の木―金子文子と朴烈パク・ヨル)の愛」

        国境を超えた永遠の愛

 

      医者ものドラマを観る③

     「ドクターコトー診療所」

                  

      

 

  福山 瑛子

  民主文学に関わって六十余年を振り返る(五)

 

  

  豊村 一矢

      連続エッセイ  床屋談義15

 

           

 

  松木 新

  第25回全国研究集会に参加して

 

      

  •  

 

 

 

 

 

 

 

 札幌民主文学通信

 

二〇一八年月一日  234号 

 

 

 四月例会合評報告

 

  合評作品

 

  岩崎明日香「れんげ畑と時計台」

 

         「民主文学」4月号

  

 レポーター報告

 

「れんげ畑と時計台」の合評を終えて 

 

北野 あかり

 

 

 

この作品は、貧困家庭の子どもには、高等教育を受ける権利が保障されていないということを告発し、教育制度を変えなければ…と模索する様子を、緋沙子の体験を通して描いています。

 

 

 

1、教育を受ける権利が保障されていない実態については、高校の授業料、大学の入学金と奨学金制度の運用上の欠陥が描かれています。

 

 ○県立高校の授業料免除制度について、非課税家庭であっても対象が狭いことが紹介され、なぜか予想に反して緋沙子の家庭が免除されたとなっています。

 

しかし、現在の高校の授業料免除制度では非課税家庭は全て対象となっており、更に授業料以外に必要な教材費や学用品代などについても、都道府県が支給する「奨学給付金」を返済不要で受けられることになっています。対象は生徒個人であり、全世帯ということはなので、この部分は正確でないと思います。

 

○大学に関して、「どうしても、払えないんでしょうか?」ではじまる書き出しは、東大に合格しても入学金を払わなければ「入学出来ない」ということに直面し、パニック状態に陥る緋沙子の状況がリアルに描かれており、引き込まれるように読みました。

 

しかし、「母はすぐに入学金を準備すると言い、中央労働金庫の教育ローンから用だてた。あっけなく解決されて拍子ぬけしたが、それでも緋沙子の心は晴れなかった」「合格の喜びは早くも吹き飛んでしまっていた」と結んでいます。即決した母親は、ローンの支払いより緋沙子のこと(家族)を思う母なのか?入学金が用立てられた時、緋沙子は手を合わすほど嬉しかったとか、母の顔が浮かんだとか、心情が描かれていないため人柄が見えてきません。

 

○奨学金制度については、「せっかく予約奨学生になっても、肝心の給付が、入学金の納入にも新生活の準備にも間に合わないなら、結局教育の機会均等など絵に描いた餅だと解った」と、奨学金制度の欠陥について紹介し、「そのためにはやはり、文部省に入職し出世するという道しかないように思えた」「大学の授業料も払えない緋沙子には、在学しつつ国家一種試験の予備校に通うことなど論外だった」「志では負けてなくても、出遅れている」と、そこにも経済的に実現困難な壁が立ちはだかっていることを描いていますが、奨学金の返済について社会問題となっているにも関わらず、一言も触れていないので物足りない感じがしました。

 

 

 

2、大学入学の初日と翌日の様子を描いています。ここにタイトルとなった「時計台」が、大学を象徴する言葉として出てきます。

 

正門を入ってすぐ、正面に時計台が見えたが「駒場版の安田講堂みたいなもんだな」と冷めた表現。そこには、苦労して入学出来た喜びや苦学した結果の達成感や感動も描かれていません。入学手続きをするのに、下向きで声を掛けられるのを避け、必要以外無言を貫く姿は暗い。先輩たちの勧誘にも、興味のある平和問題、お金のかからない集まりには心が動くが、それ以外は排除している緋沙子。

 

逆にクラスメートのさくらは、積極的にオリエンテーションなどに参加して多くの大学生の状況を把握していきいきしています。サークル勧誘に必死になっている学生や、パンフレット作成に費やしている学生も描かれています。緋沙子を、思慮深い学生として描こうとしたのかも…と考えましたが、教育制度を変えるのだという気概が伝わってきません。未来を切り開こうとしている緋沙子の積極面も描いて欲しかったです。

 

 

 

3、緋沙子の生い立ちについて「父の自営業が成りたたなくなり、借金取りから追われ各地を転々とした、車で寝泊まりしたこともあった」。そのような逃げ回る状況の中で、突然両親がいなくなる。そのあと子供たち4人だけで幼い頃育った家や、れんげ畑を転げ回ってはしゃいだことの想い出の場所を尋ねる。「何とかするけん、あんたたちは心配せんで大丈夫」と言った姉の決意などは衝撃的でした。

 

そんな生い立ちの中で、「れんげ畑」はタイトルにもなっているので、緋沙子の生き方を決定づける特別の場所だったのではないかと思いました。しかし、その「れんげ畑」が「ささくれだった緋沙子の気持が少しずつ落ち着いてきた」と、癒しとなっているだけであり、生きるステップとはなっていないので、タイトルとしてのインパクトがなく物足りない気がしました。

 

また、借金に追われる生活は、母と姉のパート代のみでのやりくりしているのだから、家族6人の生活を支えるのがやっとではなかったのか。どんな節約生活をしていたのか、姉は緋沙子を大学に行かせるために貯金もしているが、下の子供たちはどうしていたのかなど生活が一言も描かれていません。

 

そんな中で、緋沙子は就職もせず大学に進学する。母や姉、緋沙子がなぜそうまでして大学進学に拘っているのかも理解出来ません。

 

父親についても「自営業が立ち行かなくなり…」としか描かれていない。働く父の姿やなぜそうなったのかにも触れ、貧困を生み出す社会の仕組みについて、もっと掘り下げて欲しかった。

 

 

 

4、緋沙子が大学で何を学ぼうとしているかを描こうとしています。新入生向けのパンフレットにも納得出来るものがなく、出合う大学生の明るさにも溶け込めない。唯一心が動いたのは、受験の時に「お金の心配なく学べる社会を目指して、学生の力でそれができる」と声を掛けられた人に再度出合ったことで、民青同盟の人ということで官僚を目指す上で支障がでるのではないかと懸念しつつ、「引くに引けない、勢いに吊られて、足を踏み出した。」で終わっており、あっけない感じがしました。

 

緋沙子が「教育を変えるのだ」という志しに向かって、この大学で学んで行くんだ!という気概が、もっと伝わるように描かれるべきだと思いました。

 

 

 

5、タイトルの「レンゲ畑と時計台」について

 

「レンゲ畑は」緋沙子の貧困生活の中で唯一癒された想い出の場所、「時計台」は大学を象徴するものとして使われていますが、どちらの言葉も何処に書かれていたのか、読み直してやっと見つけました。

 

タイトルは、作品のテーマなので、もう少しインパクトがあるように表現して欲しいと感じました。

 

 

 

6、「子どもが6人…」→「きょうだい4人…」。6人は間違いだと思います。

 

 

 

 

 

 例会参加者は十三名、レポート報告のあと参加者全員から意見が述べられました。その内容を紹介します。

 

 

 

  • 作者はこれまでに四作品を発表されており、緋沙子シリーズとして三作目、続きとしてすんなり読んだ。十三才の姉の言葉にインパクトがあり感動した。れんげ畑は姉のことだと思う。

  • レポートの中で唯一異論があるのは「必要以外無言を貫く姿は暗い」ところ。極貧の生活や、姉から貰った二十万円以外無いのだからそうなる気持は解る。

  • 六十年前、奨学金で大学に行った、苦学生だった。支払いに四十年かかった。作品はあっけない感じ、短編では無理なのか。本人が稼いで学校に行こうとしていない。もっと汗して切り開いていく生き方をすべき。

    ○「れんげ畑」。れんげは一面に咲いているも

    のと思っていたので「畑」なのか疑問。

    昭和十六年生まれで高校に行く人は僅かだった。作品は雲の上の人たちのあれこれだな、全般に浮かれた楽な人たちの話なのだと思った。

  • レポートは批判的に書いているが、批判だけでは勿体ないと思った。タイトル「○と○」という付け方は足踏みしているようで物足りない。れんげ畑は幸代子、時計台は木下のことではないか。

  • 余り面白みがない。何をテーマに書いたのか。

  • 貧しい家庭、大学は奨学金など、自分と共通していて考えさせられた。返済に苦労した。私学の教師になった、貧しい生徒が多く、授業料の補助を出せと運動した。直接請求もした。署名四十三万筆集めた。大闘争の中心で頑張った。

  • 作品について、高く評価している。貧困の質が違う(車を持っている。小学生がスマホ持っているなど)これからのプロレタリア文学は、その視点を持っているという可能性を感じさせる。

    タイトルはテーマではない、ポイントになることをタイトルにした。れんげ畑の姉のイメージが強烈、柱になる人物。レポートで「子供6人は間違い」とあるが、その後生まれたのではないか。         

  • 作品に苦しさを感じた。貧困をどうとらえるか、東大生というだけで銀行はお金を貸してくれる、当座は間に合う、作られた貧困を感じた。民青は奨学金問題について取り組んできた、それも見えて来ず、魅力的に描かれていない。父親について一切触れていない。

  • 印象「何これ?」という感じ。こういう心情、そうだその通りと思うが物足りない。東大に入って民青に…それが何よ。良かったと思ったのは会話が非常に自然体。大学職員の対応やさやかさんとの会話、十八才の会話らしく上手だと思った。

  • 面白く一気に読んだ。続くと思ったらあっけなく終わった。授業料が高い、バイト料の差など大学生が大変なことを知った。父の様子が書かれていない。

  • 姉のセリフで成功していると思った。短編小説はここぞと思う事を一つ重視することが大事。「姉のような人たちによってこの銀杏並木の景色は支えられている」というところは重い課題。「角煮とマルクス」など、これまでの作品は緋沙子をモデルとしているが、幸代子を主人公とした作品も書いてほしい。

 

 

  • 234の「投稿欄」の執筆者とタイトル

       (投稿作品には左「札幌民主文学会」下の筆者名をクリックしてお入りください

     

       後藤守彦 

        講演『「明治150年」を考える』

               第二回プロローグ

        

     泉  脩     

       なかむらみのる『信濃川』

             生活相談5千件の共産党市議会議員

     

       宮本百合子没後六十五周年記念

         「宮本百合子とともに」(宮本百合子を読む会)

     

     

      大橋 あゆむ

          エッセイ  ここほれわんわん

          

       豊村 一矢

          連続エッセイ  床屋談義14 

                      

      泉  恵子

           中国の旅から  その6 

     

      松木 新

           「文体」について  ―承前

       

     

     

 

 

 

 

 

 

 

  札幌民主文学通信

        2018年4月1日  233号

 

 

 

三月例会合評報告

 

 

 

合評作品

 

54回文藝賞受賞作・第158回芥川賞受賞作

 

若竹千佐子

 

「おらおらでひとりいぐも」

 

 

 

 

 

 報告

 

「おらおらでひとりいぐも」の合評を終えて  

 

村松祝子

 

 

 

作者若竹知佐子さんは現在63歳、10年前から小説を書きたいと言う希望を持ってこられた方でその執念に敬服します。

 

高齢者を主人公にした小説はめずらしく、芥川賞まで受賞するとは私の関心を引きました。 

 

物語は75歳の桃子さんの体の中で語られる種々雑多な討論である。 それは東北弁で語られ歯に衣を着せず単刀直入に語られ優しく響いてくる。

 

最初東北弁で読みづらかったが、読み進むうちに慣れてきて雑多な会話群の中に入って頷いている雰囲気になった。 1から5までに分かれており1では昔の女の忙しさが語られる部分に共鳴し2では二人の子の子育ての悩みが描かれ(私にも息子と娘がおり似た状況に一瞬ぎょっとなり)3では日常生活の中で説明のつかない不安と孤独感が語られこの部分は年配者の共感するところであろうかと思う。また社会が求める女の枠に収まり旦那に尽くしてきた生活は現在も女性に覆いかぶさる問題でもあると思う。4では自然のカラスウリの赤に感動する自分の生命力に気づく。5では孫娘の訪問に心の穏やかさを見せて終わる。

 

5の終わり読んで、ちょっと気が抜けた。 やはり孫の訪問は万人向けの結末かと?

 

しかし全体を読んで楽しく面白く読んだ。 作者若竹知佐子さんのこれからの生き方を描いているし「たのしいよ、これから」と高齢者にエールを呼びかけている小説だと思う。

 

 

 

参加者9名で感想を語り合った。 記録もれもあるかと思いますが様々な感想が語られ物語をより深く理解することにつながったと思います。

 

◎物語の筋があっちへ飛んだりこっちへ飛んだり、現実かと思えば回想したりで読むのに苦労した。 孫の最後の言葉「春の匂いがする」に舞台を想像した。この孫は未来に続く案内ではないか。

 

◎「いやぁ! 面白かった」方言は東北でも地域によっていろいろ異なる。

 

◎文章にリズムがある。

 

◎面白くない。起承転結が計算された小説。 よくある話を意味付けさせた。

 

 白秋小説かな?

 

◎自問自答しながら考えさせられるものがある。 孫が出てきてなぁんだと思った。 夫恋の小説かな。

 

◎表現、言葉に感心したが2回読むとたいしたことはないと思えた。筋がないし終点がない。 方言は権力から対立して離れている言葉であり、話し言葉でもある。

 

◎夫周造の魅力が感じられない。 東北の震災に触れていない、千葉で生活していて東北を考えなかったのか。

 

◎頭の中で考えた事ばかり書いている。 日本の小説でこう言う少説は少ない。

 

◎東北弁の温かいリズムがある。3回読んで最後は声を出して読んでみた。

 

ひとりになって老いるということの共通性が多々あった。

 

◎1945年生まれの(74歳)戦後の女性を取り上げたかも。

 

 総じて男性陣からの評価はあまり高くなかったが年配者の女性には共感するものが多々ある小説だと思う。 しかし桃子さんクラスの年金で暮らしていける人々にはこの小説の応援メッセージは届くかもしれないが、過日札幌で起きた年配の人たちが多く暮らしていたアパートの全焼事件を思い、経済的不安を抱えた年配者に「がんばろうよ、楽しいよ」のメッセージは届きづらい。 そこにまで目を向けた小説が生まれるよう努力したいものです。

 

 

 

 

 

  233の「投稿欄」の執筆者とタイトル

   (投稿作品には左「札幌民主文学会」下の筆者名をクリックしてお入りください

 

   後藤守彦 

    講演『「明治150年」を考える』

      第一回プロローグ

    

   泉  脩     

    『戦争とわたし』

         胸をうつ戦争体験の記録

 

    医者ものドラマを観る②

         医  龍   

  

   石川弘明

     シナリオについて

 

   大橋 あゆむ

      エッセイ  三月のカレーライス

      

     豊村 一矢

      連続エッセイ  床屋談義13 

     

     「文体」のこと  ―馬場さんの問題提起に応えて

             

     福山 瑛子

          民主文学に関わっての六十年余を振り返る(四)

              

    泉  恵子

       中国の旅から  その5 

 

   

    松木 新

       「文体」について  ―ジョージ・オーウェルの提言

 

 

 

 

 

 

 

 札幌民主文学通信

        2018年3月1日  232号

 

 

  支部誌『奔流』26号 合評報告⑤

 

 

 

★『逆転』            石川弘明

 

   ★『三六〇度の空の下で』  菊地 大

 

 

 

 

 

「逆転」について

 

                        石川弘明

 

 

 

 作品が終了すると制作記録、後記、梗概、推敲のための思い込み書いておくのが習慣である。

 

 「逆転」のそれは初稿二〇一二年八月〇一日

 

  二九枚 に始まり(中略)

 

 第四稿  二〇一三年九月二三日

 

  八四枚     (中略)

 

 第六稿  二〇一四年八月一一日

 

  一二〇枚 で終了している。

 

 おそらくはシノプシスの大略が定まった時なのであろう。

 

 その一二〇枚が一九〇枚になったのは、エピソードを拾い集めて、ギャグを並べて、日本百景をけなし、癌消滅後の医療チームの騒動、パーテーでの若宮女医の饒舌、出陣学徒の思い出話、研究成果に対する先輩たちの後輩虐め、盗作事件、遺言状の執行義務、または無視の如何、表彰式での役員二人の手違い等々、書き加えが増えたためであろう。

 

 二〇一六年六月に短縮に取りかかったのだが、短縮する度毎にストーリーの進展に関係のないユーモア、老人夫婦のあせり、相互の思いやり、ペーソス、長寿の嘆きなどが薄れてしまって遊びを消すことになった。遊びがなくなってしまうと、それを手探りにして綱目を辿ることもできなくなった。改変、短縮の失敗例となった。

 

 

 

 

 

 

 

三六〇度の空の下で」の

 

合評を受けて

 

                    菊地 大

 

 

 

三六〇度を見渡せる空の下で暮らしていながら、二〇年もそれが当たり前のように思って過ごしてきた。しかし、それは普通ではないと思ったとき、これまでと違った見方で世界が広がったような気がした。

 

 慌ただしく書きあげてみれば、3つのことが書かれていた。本人にとってはそれが当然に繋がっているつもりだが、読者には必然性がない。浦さんも、まして「元祖矢臼別(川瀬さん)」も知らない人の方がずっと多いのは、皆さんに言われるまでもないことだった。村上国治の詩ひとつ引用する前に、必要な記述があった。とんでもない思い上がりの文章だった。

 

「時に訪れる孤独感」や、「トマトハウスの中で声を出して手紙を読む」など、ぼくの中にいくらか残っている感性の部分を褒めてくれた人がいて少し救われたが、「時間がないからエッセイ」などと考えるのは、エッセイに対してたいへん失礼なことは分かっている。

 

 ぼくは年一回発行の地元の文芸誌にエッセイ―を書くことになっているが、毎年十一月は、六枚のエッセイのためにぐじゃぐじゃ考えている。エッセイにだって主題があるし起承転結がある。たかがエッセイ、されどエッセイだ。

 

 合評を受けてから、未だに納得できないことが一つある。ぼくは別海町を「はるか西の空の下」と書いたが、「東だろう」と言われて、「とんでもない間違いをした」と気づくと同時に、地図上の方位と地理的な方角は違う場合もあるかもしれないとも思った。

 

確かに別海町は地図上では余市の真東の方向になる。しかし、ぼくの所では、朝日は小樽寄りの日本海の方から昇って、反対側の山に沈む。「あの山どこか?」と考えたことは何度もあるが、それを地図上で確かめることはしていなかった。ぼくらの農場から見る夕陽は実に見事で、農場自慢のトマトジュースは「夕日の丘」である。その夕陽が沈む方が西、そこは隣町の仁木・赤井川で、その先はどう考えても内浦湾寄りの太平洋。

 

 三六〇度の空の下に居ながら、やっぱりぼくは、狭い世界しか見ていないようだ。

 

 

 

 

 

   二月例会合評報告

 

 

 

合評作品

 

 馬場雅史「多喜二を繋ぐ」

 

(「民主文学」3月号)

 

 

 

合評を受けて

 

「文体」ということ      

 

馬場雅史

 

 

 

「文体」ということを意識するとき、ぼくは二つのことを思い浮かべる。

 

 一つは、フランスの哲学者アランの「文体」に関する考え方だ。「文体」は英語で「スタイル」である。この「スタイル」の語源は「スティル」だという。「スティル」とは石に文字を刻む時に使う鑿のようなもので、その後「鉄筆」を意味する言葉となった。つまり、「文体」というのは、文章の雰囲気とか趣向とかいうものではないというのがアランの考えだ。石や金属といったものに文字を刻み込むという苦行、格闘を経て、初めて得ることができるのが文体であり、「スタイル(文体)」ということばの奥底にそれが刻印されている、そうアランは言う(「芸術論集」)。

 

 もう一つは、井上ひさしの有名な言葉だ。高校教師だったぼくは、授業を創るとき常にこの言葉を意識し、目当てにした。「むずかしいことをやさしく。やさしいことをふかく。ふかいことをおもしろく。おもしろいことをまじめに。まじめなことをゆかいに。そして、ゆかいなことをあくまでゆかいに」(「the座」こまつ座)

 

 この言葉は直接、文体を論じたものではない。しかし、ことばをもって何かを人に伝えようとするとき求められることを、これほど的確に表した言葉は見つからない。そして、文体ということとも深くかかわることばだと思う。

 

 「多喜二を繋ぐ」(『民主文学』一八年三月号)を二月例会で批評していただいた。意外に思われるかもしれないが、この文章には多くの時間と体力を要した。祖父・祖母、父・母、自分・友人・同時代の人々、子ども・孫という個人的な系譜と多喜二との繋がりを表現しようというのだから、当然なのだろう。書かなければならないことは多様かつ膨大だった。それをごく限られた量の言葉によって表現しなければならない。だから無駄な言葉はいらない。ことば一つひとつにしっかりとした役割と意味を持たせなければならないと意識した。詩を書くような気持ちで臨んだ。つまり、文体ということを意識しないわけにはいかなかった。

 

ぼくのその意識とそれに基づいた努力は、少しは功を奏したようだ。例会の合評でも文章について好意的な感想をいただいた。『民主文学』の読者の方々からも、これまで以上の感想をいただいた。その多くが文章・文体について言及するものだった。

 

うれしいと思った。しかし、その反面、どうにも釈然としない気持ちが残った。「多喜二を繋ぐ」を書くために、多喜二の作品をこの間、読み返した。『民主文学』三月号の掲載論文やエッセイを読んだ。多喜二祭の時期であった。小森陽一さんや荻野富士夫さんの講演を聴いた。こうした経験は、あらためてぼくを「文体」について考えることへと誘った。

 

はたして、文体についての冒頭に挙げた二つの視点でいいのか?たとえば、ぼくが思想と呼んできたものや、ぼくがぼくの文章によって誰のどの部分に向かって言葉を発しているのかということを、文体との関係でどうとらえるべきなのか。冒頭の二つの観点が不十分だというのでは必ずしもない。むしろ、ぼくが、ぼくなりの文体を獲得するために、必要な事柄について考えなければならないと、切に思ったのである。考え、書き続けたい。

 

 

 

この点について、みなさんは、どうお考えですか?ご教示をお願いします。

 

例会での、みなさんの丁寧な読みと批評・批判に感謝します。どの意見・感想も心に響きました。とりわけ報告して下さった後藤さんにはほんとうに感謝したいと感じています。後藤さんの批評は、文章の意図、形式、構造、内容、表現など多くの領域にわたり、それらが相まって、ぼくの感情や社会的な意識にまで踏み込むものでした。「批評する」あるいは「他人の文章を読む」ということの何たるかを教わりました。今日も、ぼくの机の前には、当日配布して下さったレジュメが貼ってあります。それを見ながら、次の作品を構想しています。

 

 

 

 

 

 

   232の「投稿欄」の執筆者とタイトル

   (投稿作品には左「札幌民主文学会」下の筆者名をクリックしてお入りください

 

   後藤守彦 

     ショパンを聴く

   

   泉  脩

     書評「兄は沖縄で死んだ」(加藤多一著)

         沖縄に戦後はない

 

     医者ものドラマを観る

          救命病棟24時間   

  

   石川弘明

     シナリオについて

 

   大橋 あゆむ

      エッセイ  おひなさま

      

     豊村 一矢

      連続エッセイ  床屋談義12

             

     福山 瑛子

          民主文学に関わっての六十年余を振り返る(三)

              

    泉  恵子

       中国の旅から  その4 

 

   

    松木 新

       『スターリン秘史』と『誰がために鐘は鳴る』―承前

 

 

 

 

 

  

 

 

札幌民主文学通信

 

二〇一八年月一日  231号 

 

 

 

支部誌『奔流』26

 

合評報告④

 

一月合宿研修会で合評した作品

 

★『あかるいほうへ(改稿) 』 細野ひとふみ

 

★『春のワルツ』 大橋あゆむ

 

★『リスペクト』  柏原 竜

 

★『生活綴り方事件と共謀罪』 村瀬喜史

 

★『一輪の花のように』 北野あかり

 

★『逆転』 石川弘明

 

『北都市緑野町界隈でのこと』 豊村一矢

 

★『戦争と私』 泉  脩

 

 

 

 

 

 

 

 

 

合評を受けて

 

細野ひとふみ

 

 

 

【札幌まで出かけて二日酔いで帰って来るとは、無さそうで有る。起こりうる出来事として、予定から逸脱した物語と回顧している。】

 

交流会後の218号室には、馬場さん、泉さん、石川さん、平山さんと一緒だった訳だけど、主に細野・馬場・石川の3氏がしゃべって、時どき泉・平山の2氏が冷静なコメントを発して下さった。皆、表現するものであるがゆえに、厳しい批評眼を持ち備え、民主文学会の現状には、全く満足していないことが良く分かった。石川氏は(これは合評会でも述べられていたが)、「お互い褒め合って、皆で沈むのは避けたいんだよ。少し厳しいことを言ってごめんね。」と声を掛けてくれた。僕は合評会での「あかるいほうへ」についての石川氏の評言「題材が安易な、手身近なものになっていませんか? 年齢と生活状況によって感性が鈍ってしまうのが残念だ」を大変うれしく聴いていたのだ。馬場氏も、「いや、それはうれしいことだよ」と全く同じ反応だった。

 

【気が付けば、部屋に持ち込んだ焼酎パックのキャップが失せていて、さあこの中身をどうしたものかと思案した辺りから妖しかったことになる。】

 

 いま、手元にある合評会でのメモを見直すと15名の方が、作品への批評と感想を述べて下さった。中でも、8名の方が係長Pについて触れている。「何故いじめるのか?」「彼の資質なのか?」「Pの形象が浮かび上がらない」「ぶん殴りたくなった」「名前などいらない」等々。ここには、現実と虚構を行き来するモデルなるものが存在している。合評会では、馬場氏が「実は同じもの(Pの性格と共鳴するもの!?)を感じる」的な発言をしていて、僕の受け取りが一人合点や誤解の類いでなければ、細野と馬場氏は似通った問題意識を抱えたということになる。他でもない僕自身が、あの消し去りたい、貶めたいほどの係長Pのモデルに、自分と同じ匂い、同じ雰囲気を感じとる瞬間が複数回あったからだ。浅はかさといい、下品さといい、ある種の傲慢さといい。

 

【だから、僕はいま読みかけの小説、ドストエフスキーの『悪霊』について何かを喋りかけようとした。で、いよいよ妖しくなって、その後の記憶がぶっ飛んでいる。】

 

 読みかけと言っても、もう2カ月以上経って第一分冊の第2章までなのだが、ニコライ・スタヴローギンが諸々の事件を起こして、スイスに旅立ち、そして帰って来たところ。あらすじは亀山郁夫氏の講演をラジオで聴いて知っている。100年以上前のロシアが舞台のお話なのに、毎日、見聞きしている世界と変わらない気がしている。スタヴローギンは、係長Pと重なり合う部分があり、ヴェルホベンスキー氏は管理職と重なり合う部分がある。

 

 作品評に立ち返るなら、泉恵子さんの「周囲の人物の不甲斐なさ」、田中さんの「管理職の傍観者ぶり」「作品も観察と描写に終始している」といった観点にも、根深い問題が横たわっている。

 

【二日目、ロビーのソファーで苦しんでいた僕は、前夜あの焼酎パックを空にしたような気がしていた。そして朝、横になったままの空パックが無性に恨めしかった。】

 

 泉脩さんは、合評会の冒頭で短編小説について次のように語っている。

 

「短編小説は人生の断片、ストーリーはいらないとも言われております」と。

 

 飲み掛けの焼酎パックにキャップが無いならば、空のペットボトル五〇〇ccを見つけ出して来て、そこに分注するだけの知恵を働かせるべきだった。これは明らかな反省材料だが、根本的な、失せ物であるところのキャップを探求することは止めない。

 

 

 

 

 

 

 

合評を受けて

 

              大橋あゆむ

 

 

 

「春のワルツ」を合評していただき、とてもうれしく思います。何度も何度も読みました。

 

 合評の報告は泉恵子さんからお手紙でいただき、励ましの言葉と一緒にキューバのしおりが添えてありました。

 

 豊村さんからはお電話で原稿の締め切りのご配慮をいただきました。「合評を受けて」と投稿のエッセイの文章を見直すことができました。

 

「春のワルツ」を書くきっかけになったのは、正高伸男「天才脳は『発達障害』から生まれる」(PHP新書)。読んでいる時に、これだ! とひらめいた。

 

 キレやすく、執拗だった織田信長。段取りあとかたづけができなかった葛飾北斎。異常なまでにものを書きまくった南方熊楠。お金にだらしなかった野口英世。際限のない欲望に駆られ働き続けたスーパーダイエーの中内功など。おもしろくて一気読み。

 

 あと読んだ本は、ウエンディ・ローソン「私の障害、私の個性」(花風社)。わたしは難病の障害者なので、つい「障害」という文字に引き寄せられる。リン・ワイス「片づかない! 見つからない! 間に合わない!」(WAVE出版)。片づかない! なんてわたしのことを言っているのかと、ドキッとした。注意欠陥障害(ADD)の話だった。ドナ・ウイリアム「自閉症だったわたしへ」(新潮社)。マンガ「ブラックジャックによろしく」(大人のADHD編)は、注意欠陥、多動性障害を特徴とする発達障害の話。

 

 こうして、ひらめきからだんだんと迷路にさまよい、さまよいながら、わたしは、わたし流の「春のワルツ」という物語を紡ぎ出した。

 

 たくさんの励ましやご助言をいただきましてありがとうございました。また、新たに挑戦する勇気もいただきました。がんばりたいと思います!

 

 

 

 

 

 

 

「リスペクト」の合評をうけて  

 

                柏原 竜

 

 

 

 題名「リスペクト」と、作品の内容が噛み合わないと指摘されましたがその通りだと思いました。思いを書ききれなかった。自分の力量がないと思った。リスペクトという言葉が、ここ数年、野党共闘を進めていく中で言われ続けたが、その言葉に、新鮮な驚きを感じた。「リスペクト」‐尊敬‐それを、自分の生活と関連させて作品の構想を考えた。自分と思いが、相反する人、気持ちが何となく分かる人、風のように通り過ぎていく人、様々な人と繋がって生きているが、そんな人達との葛藤を書きたかった。自分の考えも大事にして、相手の考えも尊重していく。なかなか、出来そうで出来ないものだ。生きていく上で、いろんな人と接していく時にリスペクトは大変大事な事だと思った。それを描きたかったが、自分の文章力ではむつかしかった。人間をもっと深くかけたらいいな。これからの課題かな……。

 

 登場人物が多すぎて、名前が解らなくなってしまう。短編なのに盛りだくさんになり過ぎている。読者のことを考えながら書く「力量」がないので、自分ひとりの世界にはまり込んでいるのでしょう。

 

 今回の作品では、岸の心の動きをもっと丁寧に、特に、池田の送別会に行くまでの心の変化を、わかり易く書けば良かった。作品を作るということは大変です。書いている時は気がつきません。

 

  

 

 もうひとつ大事なことは、パソコンを充分に使いこなせないことです。日常生活で、パソコンは使ってないので、作品を書き始めるためにセットしますが、通常に使えるようにするために時間がかかり、苦労します。そして、書いていて、何処か押し間違えたか文章が消えてしまったり飛んで行ったりします。この頃少し慣れてきましたが、自分は機械が苦手です。テレビもやっとビデオが取れるようになりました。スマホを持っていますが、もっぱらお話の通話だけです。今年の課題はスマホを使いこなすことです。 

 

 

 

 

 

『生活綴り方事件と共謀罪』 

 

合評をうけて

 

村瀬喜史

 

 

 

 「生活綴り方事件と共謀罪」を書き終えたとき、共謀罪の国会審議が最終盤をむかえていた。すでに30枚になっており、つめこもうとしたため最後は省略しすぎてわかりにくいところがあった。「一般の人が読みきれるだろうか」という批評もあったが、確かめなければならない。    

 

 合評会を終えて、地元の後援会新春の集いに駆けつけた。137人の参加者で区民ホールは満員、まわりに恒例の作品展示があり、いつものように私は民主文学の宣伝と「奔流」などの販売をやった。そこでかねて関心があると聞いていた女性に38冊目を販売した。千円でもお金をだして購入した人の方が読むというのが、これまでの経験。「再生産のため

 

」というのがセールスポイント、さて読まれるか。別の女性、普通、新聞記事は高校出の主婦を対象にするので、それにあった女性に聞いてみたところ、面白いし最後まで読んだという。私は多喜二の不在地主のように「荒木叉衛門を読むように」と大衆小説のことは念頭になかった。

 

 このエッセイの一章の最後に私の「学び直し」と書き、このあとも本を読んだり、取材をしたりしてきた。まず、高田富与の「なぎさのあしあと」彼の歩いてきた道と「生活綴り方事件」これは釧路の裁判の弁護の記録。締め切りに間に合わなかったのは、図書館からの貸し出しであったから。その内容のいったんは合評の最初の私の発言で紹介した。この弁護記録の最後に弁護側証人として叔父坂口勉の名がある。このあと高田富与が市長になりレッドパージをはねのけ、衆院議員にもなる。蓑輪登が元防衛長官でありながらイラク自衛隊派遣の違憲訴訟の原告になっているが、今年の小樽多喜二祭の市民劇に登場することも紹介した。

 

 学んだ本では昨年暮れ発行の「治安維持法と凶暴罪」(岩波新書)内田博文著をすすめた。

 

他に、「共暴罪」というパンフレット(新聞労連、憲法会議、国民救援会など共同発行)がわかりやすい。 

 

 つぎに話したのは佐竹直子の講演会、(九月三十日、札幌市教育研究会主催)に出席したときのこと。大きな会議室に満員、若い教師に混じって私と同年代の白髪の人達もたくさん参加していた。そのなかに上田文雄元市長の顔もみえた。演題は「作文教育がなぜ罪に~獄中メモを追って~で、ほぼ道新選書の内容であった。彼女の講演のあと。上田文雄と彼女が長い立ち話になり、私は「奔流」に名詞をはさんで渡すのみであった。彼女に聞きたかったのは、坂口勉を取材に協力してくれた人たちのなかに上げているが、彼女が動きはじめたときもう亡くなっていたのでないかということ、それを確かめたかった。

 

 次に紹介したのは石川弘明らと同じ中富良野で5年近く生活したとき、同期だった長谷川佳代子の話、かつてのマドンナは「奔流」を読み電話をくれた「私、土橋明次をしっている」。土橋は三浦綾子の「銃口」のモデルの一人で裁判の被告第一号であり東旭川の教師をやっていて逮捕され、苦難の生涯であった。家族のために退職金のためか「依願退職」にされ、佐竹著書にはその道庁の罷免通知が掲載され、一家で映した写真もある。入学前の長女と生後4ケ月の次女の指で指し、写真の姉妹も知っているという。「明次兄ちゃんは真面目で、中学へ汽車通でなかったか」それなら師範へは二部へいったのであろう。明次夫人はその後、隣村の東中の小学校に勤めた。土橋の家の地図を描いて説明してくれたが、82才のデイトでは、互いに耳が遠く、大きな声になり、帰るとき付近の客に「声が大きくて」とおわびをする始末であった。

 

 合評でだされた「これまでの作品とともに本にしてのこせ」はかつても言われたが、財政的に無理。「北海道の特殊な事件か」そうではない。世界恐慌と未曾有の凶作のなかで「教員赤化事件」は全国でおきている。それは平沢書の第二章にまとめてあるが、簡単に記述はできない。「綴り方での教育効果は」坂本亮の教育実践にあざやかにあらわれている。教え子たちの署名活動とそれをもって札幌の弁護士への依頼などは当時では聞いたことがない。これらも簡単にまとめられない。

 

 いずれにしても批評は参考になり、感謝をこめて、これからに生かしていく。

 

 

 

 

 

 

 

「一輪の花のように」―全盲の子と生きるー

 

   批評、感想をいただいて

 

北野あかり

 

 

 

合評会では、批評として「句読点や改行」など、基本的な間違いを指摘されました。また、会話のところで、全盲の子の発する「話を聞いてよ!」の一言に注目されて、そこから彼の内面を洞察された意見などを頂き、驚きました。

 

何気ない言葉やしぐさなどは、人を描く上で重要なポイントなのだと、改めて気付かされ、目からうろこが落ちる思いをしました。

 

感想では、障害者と共に生きて来られた方の、体験を通しての教訓や、今後の生き方についても、沢山の言葉を頂き、とても嬉しく元気を頂きました。

 

特に、「誰と生きていくのが、彼にとって幸せなのか…の面から考えてみてはどうか」の言葉が心に残り、作品を改めて読み返してみました。

 

そこには、彼の辛かったことに焦点が当てられており、私の知らない彼の過去には、楽しかったこと、嬉しかったことがあったはずなのに、何も書かれていないのです。それは、私自身が把握していない、聞こうとしていないことだったのだと改めて気付き、愕然とました。

 

 書くことは、気付くことなのだと思います。合評の場があることはそれがもっと深く、拡がり、先が見えてきます。それなら、その都度書いていけばいいと思うのですが、それがなかなか億劫で、出来ていないのが現状なのです。

 

しかし、年に一度の発表の場があることは幸せなことです。機会が与えられれば頑張る、というレベルですが、良き先輩の皆さんを目標に、これからも、発表していきたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

『北都市緑野町界隈でのこと』

 

合評・読者からの感想を受けて

 

                豊村一矢

 

 

 

 今回は、いつになく書き始める前の構想にかなりの時間をかけ、熟慮を重ねた。最近、気力・体力・記憶力が衰え「今後、何作書けるか」と不安になっていた。それが熟慮を重ねることになった遠因だ。

 

「あと何作書けるか」は、「今度の次は無いかもしれない」につながる。そして、(児童文学の創作の時期も含めて)そもそも何のために文学に足を踏み入れたのかの原点に戻ることになり、結果、「奔流」26号への作品の題材は「学校現場」になった。

 

学校現場の何をどう書くか。

 

モチーフとテーマに照らして「学校現場を教職員が働く場」としてよりも、「子供(特に小学校低学年)が学ぶ場と」して書くことにした。どう書くかの難しさは経験上わかっていた。一番の難題は、子供が学ぶ場なのだから、中心人物に子供を設定するのが普通だが、六歳児の一般的な認識力、思考力、言語能力からいってテーマに迫る役割を担わせることはできない。少なくても私の筆力ではできない。

 

そこで、かねてから関心をもっていた戯曲の表現形式で書くことを思い立った。戯曲の勉強も不十分で確かな見通しもなく乱暴な出だしだった。

 

「奔流」26号の原稿締切日から一週間ほど過ぎ、編集責任者の特権も期限切れとなり脱稿とした次第だ。いつもと同じで自分での評価は不満だらけだけど、構想をある程度は形にできた自負もあるので、(合評を含め)読者がどんな感想を持ち評価してくれるか、どんな批評、批判、助言を出るか、不安もあり楽しみでもあった。

 

 貰った感想、意見の主なものを5項目にした。

 

 ※戯曲のジャンルで書いたことの是非&戯曲文学は読みづらくないか

 

 ※自分の小学校現場のイメージと作品(今)の現場の落差

 

※職場の管理体制の徹底ぶりが印象的

 

※専門用語など理解できない言葉

 

※人物像の典型化、類型化

 

 

 

 戯曲形式で書いたことに、最初に意見を言ってくれたのは田島一さんで、一〇月十四・十五日に札幌で行われた「ミニ創作専科」の時だった。ミニ創作専科の私の専科作品は「奔流」の『北都市……』ではなく別の掌編だったし、「奔流」を発行して一ヶ月ちょっとしか経っていなかったのに創作専科に出てきてびっくりした。専科に提出した作品がレーゼドラマ、本作品がレーゼシナリオだったので戯曲形式の文学について論じてくれたのだろう。

 

田島さんは「多様な創作方法を受容し、新たな世界を切り拓くチャレンジを歓迎」しつつ「レーゼドラマ(シナリオ)で、いかに生きるかを語り、人間の内面にまで及んだ世界を構築することができるか、そこが課題」と問題提起され、さらに、「いわゆる『読み物』の域を超える」という言葉をいただいた。私は「『読み物』の域を超える」を「小説では十分表現できない世界を戯曲によって表現する」という意味に解釈した。 

 

ミニ専科を離れた交流会で、田島さんから小説で書くことを強く勧められた。人間の内面にまで及んだ世界を十分には構築できていない、という田島さんの評価が前提にあるのかなと思った。

 

 

 

合評会で感想や意見を貰い、戯曲の勉強不足を意識し過ぎて縮こまっていたことに改めて気付いた。「レーゼシナリオ」というジャンル名を、言い訳がましく、タイトルの頭にぶら下げてしまったことなどだ。不甲斐ない。

 

今回戯曲形式を選択したことに後悔はない。「人間の内面にまで及んだ世界の構築」も作品が求められる程度に踏みこもうとした。一~二人の中心人物が引っ張る作品でないし、「もののあわれ」や「心の襞」の表現に深入りするつもりはなかったから予定通りではあるのだが、達成感がない。「読み物」の域をこえる表現になっていない。筆力不足に加えて戯曲への萎縮が原因だと思った。

 

「孤独のグルメ」という松重豊主演のテレビドラマがある。飲食店で松重豊演ずるサラリーマンがウエイターにオーダーするシーンでは顔・口の動きとともに音声が入るけれど、料理が並べられ食べるシーンでは、料理へ高まる期待や食べた時の感動を表情や仕草(発声動作はない)で演じつつ、期待と感動が独白調の話し言葉でスピーカーから発せられる。私は、シナリオでは、こんな場面をどう書いているのか気になった。

 

 石川さんから、『北都市…』の作品の「セリフ」ところで(内言)という言葉を頭に付けて内心表現であることを説明しているが、これは不適切で、カッコで括るるのがいいと指摘があった。なるほどと思った。

 

窮屈に考える必要はない。戯曲は、「セリフ」と「ト書き」と「登場人物表」の区別を明確にするくらいで、あとは何の制約も意識せず、読者ファーストの精神で書けばいいと結論し、(独り善がりだが)すっきりした。

 

 

 

現在の学校現場の現実に驚いたという感想が多く出た。学校現場の現実は作品の題材そのものだから「我が意を得たり」ではあった。

 

だが、現実の何をどう切り取るか。「学級崩壊」「家庭崩壊」「強まる管理体制」「人生観・価値観・適性・能力が多様化する教職員」「教育行政(文科省・都道府県・市町村)の政策のパフォーマンス化と学校の混乱・疲弊」……、選択したこれらをどう切り取るか。学級崩壊、家庭崩壊もその中身はいろいろだ。作品での崩壊学級は興味本位・自己中心で行動する(複数)児童の影響で授業不成立が日常化している状況、崩壊家庭は養育放棄・虐待までには至っていない状況と設定した。設定はしたが、構想通りに書き切れたかと言えば、大アマの自己採点で50点くらいか。

 

「作品中、意味の分からない言葉が出てくる」という感想が出された。分からないという言葉が専門用語だったり、特定のエリアで使われる言葉の場合、例外もあるが、私は作品の欠点だと思わない。一般論だけど、分からないと言っても前後関係から言葉の意味の雰囲気は感じ取れるように書かれているのが普通だ。言葉の意味を理解して貰うために説明の言葉を書き足したら猥雑な文章で、おもしろくない作品になると思う。

 

しかし、「北都市…」について言えば、「学級崩壊」という言葉に込めた筆者の意味づけを理解して貰えるように、辞書的にではなく、展開の中でもっと書き込むべきだったと思う。テーマに接続する重要な言葉として、校長と再任用教諭との会話の中で「憲法二十六条」や「子供が教育を受ける権利」だとかを使ってみたが、芯を喰ってない気がしている。

 

 授業が成立しない学級に再任用教師が入って授業すると短時間で授業が成立する場面と何の事前連絡もなく転校手続きに来てそのまま転校してしまう場面について、不自然だという意見が出された。立て直し教師も今回の転校場面も特異なこととして書いていないつもりだった。  

 

これらことは特別に珍しいことではい。しかし、いくつかの条件が重なってのことだから、それを書き切っていなかったと反省する。

 

どういうことかというと、指導が稚拙なために生活指導や授業が成立しないという一般的なタイプの「学級崩壊」であれば、子供たちに課題を理解させ、きめ細かく援助し、良いところを褒めて達成感を経験させる教師にかかれば短時間で学級は立ち直る。普通、学校にはそれができる熟練の教師が一人や二人はいる。「学級崩壊」に至った要因、未熟・熟練が入り混じった教師の姿をもっとポイントを押さえて書くべきだった。

 

 学校教育法で小学校に、保護者は子供を就学させる義務を課している。公(おおやけ)は子供を無学籍にしておくことができない立場にある。転校場面の不自然さの背景には法律がある。私が「北海道民主文学」二十一号に書いた『おれと私』のように、転校手続きなど一切せずに転校を繰返すことも、この法律を背景に可能になっている。作中の転校手続きをする保護者を社会認識に不足はなく、冷静かつ強い意志で行動していると書いたつもり。

 

だが、やはり書き切れていないかもしれない。筆者の経験からの先入観は横に置き、白紙の読者のつもりで読んでみて、そう思った。読者にこの親子を応援する気持ちになってくれれば…と願っていた場面なので後悔が残る。

 

 書き切れなかったのは戯曲形式にしたからだとは思いたくない。

 

 

 

私は、今回の作品に取りかかった時から、六年前の「合評会」(札幌支部例会)のことを時々思い出す。合評作品は、(「民主文学」2012年6月号)風見梢太郎『線量計』で合評会のレポーターは私だった。

 

 風見さんは、同年「民主文学」4月号で、「……原発を扱った最近の小説に寓話的なものが多いのも、ルポや記録に太刀打ちする本格的小説をまだ書けないことの反映であるような気もする。多くの作家が書けるところから始めることが大切だと思う。…………1月号に書いた『週休日変更』は原発に関わる小説を書こうとしている私の出発点である……」と書き、『線量計』はその二作目だと言った。風見梢太郎は「原発を描く」を自らの使命とし、ルポ、記録、映像の得意な領域で太刀打ちする小説を書くことを宣言しての二作目だった。(※「札幌民主文学通信」164号を参照)

 

 「ルポ、記録に太刀打ちする本格的小説に挑戦」と「戯曲の表現法に挑戦」とではレベルも内容も違っているが、風見氏がルポ、記録に太刀打ちする小説が書けたか……他人事に思えないでいる。

 

 

 

 

 

 

 

合評を受けて

 

泉  脩

 

 

 

「戦争と私」は、どうしても書いておきたい文章だった。一人の男の子が、戦争に巻き込まれ、苦しめられ、人生が大きく変わった。

 

戦争さえなければ、戦後すぐに父が死ななければ、と、どれほど考えたことだろう。命があっただけマシだが、ひどい苦労を強いられ、心がゆがみ、生き方が変えられた。

 

それでも何とかがんばって、人生をまっとうできたことが、我ながら不思議に思っている。

 

勉強になったとの意見があり、自分の体験を考えさせられた、といった声があった。いくらかでも役に立ったのならば良かったと思う。ささやかな貢献である。

 

それにしても侵略戦争を支持し、勝利を願ったという責任は認める。その後の生き方で少しでも、つぐなうことができただろうか?

 

 

 

 

 

 

    231の「投稿欄」の執筆者とタイトル

   (投稿作品には左「札幌民主文学会」下の筆者名をクリックしてお入りください

 

 

   後藤守彦 

     歌詠み二人

   

   泉  脩

     稲沢潤子・三浦協子

     「大間・新原発を止めろ」―核燃料サイクルのための専用炉

   

   石川節子

     ウミホタル

 

   大橋 あゆむ

      エッセイ  おつまみにはまる

      

     豊村 一矢

      連続エッセイ  床屋談義11

             

     福山 瑛子

          民主文学に関わっての六十年余を振り返る(二)

              

    泉  恵子

       中国の旅から  その3 

 

   

   

 

 

 

 

 

 

  札幌民主文学通信

 

       二〇一八年一月一日 230 

 

 

 

  謹   

 

             札幌民主文学会

 

 

 

   支部誌『奔流』26

 

    合評報告③

 

  十二月例会で合評した作品

 

    ★『山間に響く木霊』 福山瑛子

 

    ★『嵐』 平山耕佑

 

    ★『再会ラプソディ』 泉  恵子

 

 

 

 

 

 

寄せられた感想や意見……                  

 

福山 瑛子

 

 

 

「山間に響く木霊」をめぐって、数々の感想が寄せられた。例えば、「昔語りのような気がする」、「岡野家八人の急ぎ足の物語だ」、「弘の生き方、羨ましい」など。批判的意見として「小説の盛り上がりがない」、「完成度が高くない」「弟の視点で書いた経過報告で終わっている」、「小説というより自分史、おもしろくない」など。ただ一人、松木新さんが、「僕はおもしろかった」と言ってくださった。

 

 どの意見も、私には頷けた。すごいスピードで書いた作品だったし、推敲した作品ではなかったからだ。それに、「子ども時代の記憶に残っていることを書いて」と数年前に弟にたのみ、彼が送ってきた印刷済みメールを見つけ、使っていなかった部分が多かったので、それを参考にしてこの作品を書き始めたのだった。

 

 構想を練り、虚構で書くのが、小説である。その初歩に立ち返って、次作にかかろうと思っている。

 

 

 

 

 

 

「嵐」の批評を受けて

 

            平山耕佑

 

 

 

合評会の最初に言ったように、この拙作の舞台となった高校にはモデルがあるが、ストーリーは全くのフィクションである。ところが驚いたことは、海に落ちた子供を助けて自分が死んだ人を知っている、という人が二人もいたことである。現実にありうることなのだと改めて知った。

 

 批評全体としては誉め言葉が半分、その反対が半分というところか。起承転結がはっきりしていてよい、という批評は、そのことを強く意識して書いたので嬉しかった。フィクションの強みだろうか。

 

 教師のことばが演説口調という批評があった。でも卒業を控えた生徒に担任が進路のこと、選挙権のことを話すとすれば(そして話さなければならないこと)、私ならこういう言い方をする以外にない。小説に演説が入るのは私も好きでないが、まあ、私の能力の限界なのだろう。

 

  アイヌ、自衛隊、このことをもう少し深めた話にすればよかった、という意見があった。

 

でも三〇枚の短編でそれは無理という気もする。テーマはあくまでも「弱い高校生の成長物語」なのだ。戦時のことで事実との違いを指摘された。これには反論の余地などない。

 

 最後に、松木さんが「嵐」の楽譜と歌詞全部を印刷して持ってきてくれた。そしてさらに北野あかりさんが自分が所属するサークルの歌だと言って最後にきれいな声で歌ってくれた。感謝!   

 

 

 

 

 

 

 

「再会ラプソディ」の合評を受けて

 

               泉 恵子

 

 

 

 自分の作品に対して、いろいろ言っていただけるというのは有難いことだと改めて噛みしめています。

 

 今、自分の中での一番の関心事であり、今回の場合は悩みでもあるテーマについて、どのような形で書くか。カズオ・イシグロ流にメタファ(隠喩)を用いて書けたらと思うが、そうした力量の無い現状では、あのようなドキュメンタリーに、フィクションを交えた形でしか書けなかった。だから「小説」といっていいものかどうか悩んだ末、「創作」という多少漠としたジャンルで出させて頂いた。

 

 そんな事もあって、自分でもどう評価していいのか判らなかったが、皆さんの話から自分なりに問題点を絞ってみた。

 

 一つは、事情の知らない人に対しても、判ってもらえる作品になっているかどうかということ。それは、最初から多少意識していたことで、そのため前半がくどくなったかもしれないと思う。

 

 しかし、それでも主人公洋子の思いが、伝わって来ない嫌いがあったようで、「仲間内」以外の人にはどう読まれるのだろうか、という疑問は残った。事情を知っている「仲間」の方々よりも厳しいのではないかという予感がある。

 

 もう一つは、タイトルがテーマを薄めてしまっているかもしれないということについて。

 

 「親たちの世代のことだからと言って、関係ないとは言えない」「積み残していったものは引き継いでゆかなくてはならないのではないか」という、記憶の忘却との闘いという重いテーマを内包しながら、再会の思い出話の中に組み込まれてしまっていることは、話しが二つになってしまい、テーマが曖昧になっているのではないかということについて考えさせられた。

 

 題がなかなか決まらず、「ラプソディ」という音楽用語を思いついて、調べると、「自由な形式で、民族的、叙事的内容を表現した楽曲」とあって、自分としては「再会」の中で繰り広げられるテーマという意味で結構気に入ったのだが、安易だったのか?

 

 前作「望郷のトロッコ」の時も、本誌の「支部誌・同人誌評」の中で、久野道広さんから、「(つつじ山花見に)地域の人たちと『トロッコ』に乗ってゆく場面がはじめと結びにあり、間に戦時中の体験が入っている。このようにすると、戦時中の体験が軽くなり、隆司のノスタルジーになってしまったうらみが残る」と指摘されていた。この時の例会でもどちらか一つに絞った方がよいのでは?という似た発言があったと思う。同じ轍を踏んでしまったのだろうか。

 

 まだよく消化していないというのが本音なのだが。

 

 短編で書く場合と、長編で書く場合は異なり、前者の場合は、もっとシンプルに絞ることを心掛けるべきという基本を実践することは、なかなか難しい。

 

 

     230の「投稿欄」の執筆者とタイトル

   (投稿作品には左「札幌民主文学会」下の筆者名をクリックしてお入りください

 

 

   後藤守彦 

     『死ぬ』で始まる二つの読書論

   

   泉  脩

     NHK大河ドラマ 動乱を生きた男たち(終)

       「心の軸」と「志」

   松木 新

     『スターリン秘史』と『誰がために鐘は鳴る』

 

   大橋 あゆむ

      エッセイ  「シワシワネーム」

      

     豊村 一矢

      連続エッセイ  床屋談義10

             女(男)心と秋の空

     

     生駒たづ子

             謡曲の舞台   紀行文

 

     福山 瑛子

          民主文学に関わっての六十年余を振り返る

              

   泉  恵子

       中国の旅から  その2 

 

   田中 恭子

       『民主文学』に作品が掲載されて

   

 

  

 

 

 

 

 札幌民主文学通信

 

二〇一七年十二月一日  229号 

 

  支部誌『奔流』26

 

    合評報告②

 

 

 

十一月例会で合評した作品

 

★『チェルノブイリ・フクシマ 』 室崎和佳子

 

★『ポパイがいた』 馬場雅史

 

★『怨念の黒い船』  石川節子

 

 

 

 

 合評会は最高に楽しい

            石川節子

 

  吹雪となってしまった十一月の合評会は自分の作品「怨念の黒い船」も合評されることになっていたので、ことさら楽しみは倍増した。

 

皆さん率直にご意見を指摘してくださるので本当に有りがたい。

 

「読む前から読者に憂鬱を暗示させてしまうような、このような題名は避けたほうがよい」というベテランさんの指摘には、これぞまさしく「目から鱗」がハラリと落ちた。

 

つぎに私は「作品とは、安定した和音で終わるべきか。不協和音を残して永く読者の心に記憶させることは「文学における道徳」に反するものか。俳句で言う『字余り』も、よくないのか」など作品の閉じ方、終わり方のスタイルの有り様に傾注していった。

 

今回の「怨念の黒い船」は、発刊されて間もなくから「最後のところに問題があるね」と皆さんから指摘されており、また、『民主文学』十二月号で、橘あおい先生からのご指摘もあったので、「怨念の黒い」一〇七ページ最終部分の段落四行を改稿してみていた。

 

 

 

―裕次郞はすっかり精気を取り戻していつしか、裕次郞本来の温厚な面立ちにもどっていた。

 

同時にハルには、「男同士が結託してのこの仕業、生涯、恨み続けて生き延びてやる」という取り返しのつかない強い遺恨を抱かせてしまったことを重くうけとめ、大きな「罪過の念」を背負い、この埋め合わせは生涯を通して尽くしてゆくしか無いことを肝に命じるのであった。

 

こうして、この「怨念の再生」は凝縮されて静かに折りたたまれていった。

 

 

 

この改稿を試みた紙片を合評の席で配り、「このように試みてみたけれども自分ではまだ満足ができていない」ことを申し添えて皆さんのご意見を仰いだ。

 

「前よりずっと良くなった」という声や、「それならいっそのこと一〇六ページ下段、後ろから五行目の、『結局、旅費には手を付けず、源吾に返す事になった』、ここで終わりにするようにまとめたほうが、衝撃的な違和感を回避できてよいのではないだろうか」と言う具体的なアドバイスなども頂いた。

 

「嗚呼、今、私は皆さんに抱かれて育てられている」という幸せ一杯の気持ちに満たされました。

 

皆さん、ありがとうございます。

 

 

 長篇への想い

          馬場雅史

 

  例会で「ポパイがいた」を合評していただいた。重い指摘を二ついただいた。一つは「短篇として成立していない」「言いたいことを盛り込みすぎている」というものだ。その通りだと思う。自分でもそう感じていた。

 

 二つ目は「主人公」あるいは「語り手」にかかわる問題である。「ぼく」あるいはそれを言い換えただけの、例えば「山本」を語り手に据えなければ、ぼくは書けない。自分の作品を読むと、作品が「自分」に縛られていること気が付く。「オレオレ」主義ではないが、それが作品世界を狭めている。視点も歴史も感性も、そこから形成される思想も、それによって限定されている。その克服が課題であることは自分でも、気づいていた。

 

 ならば、短篇を捨てて長篇に向かい、「ぼく」という語り手を捨てて主人公に語らせれば良いではないか? できることならそうしたいとも思ってきた。

 

 こんなふうに書けば、つまり、合評会で指摘されたことは、何か想定済みの、分かっていたことを追認するだけのものだったのか? そう思われるかもしれない。しかし、そうではない。ぼく自身の作品はもとより、会員の多くの作品についての批評の蓄積が、今回の「ポパイがいた」についての批評を正当な指摘として受け止め得る何かを、ぼくの中に形成してくれていたのだと思う。引き続き、厳しい批評をお願いしたい。

 

その経験を熟成させつつ、長編への想いを培っていきたい。

 

 

 合評を受けて

          室崎和佳子

 

  原発事故が人間の生活に及ぼす影響を考えるとき、それまで築き上げてきた個々の人生のほとんど全てを失うという慄然とした事実にぶつかります。

 

 放射能という目に見えない化け物が、チェルノブイリの人を、福島の人を、奈落の底に突き落としていることは、説明するまでもありません。

 

 全世界に展開されている原発が、あちこちで事故を起こしたとしたら、人類の叡智が成し遂げてきた芸術、文化、スポーツを初め、人間生活の全てが失われてしまいます。

 

 原発で儲けようとしている心卑しい人たちは、なぜそんな簡単なことが分からないのか。

 

 金儲けを優先させるあまり、普通の人間としての感覚、感受性を失っているのでしょう。まるで「出来損ないのロボット」です。こんなことを言うと、優秀なロボットに叱られるかもしれません。

 

「私たちは優秀な人工知能を身につけていますから、人間の気持ちが十分にわかっています。ですから、そのような愚かなことはいたしません」と。

 

 

 

 辺りに放射能が漂っている限り、人間として当たり前の生活ができなくなるわけですから、何にも増して、このこと(原発・原子力問題)が大切だと思うのです。

 

 それが、原発・放射能問題にこだわって書いている理由です。

 

 今回の作品で、初めて「福島」の問題に取り組みました。今までも、「福島」を書かなければ、と何度も思いながら、どうしても書くことができなかったのです。

 

 

 

 この作品を執筆後、九月にチェルノブイリ、十月に福島へ行ってきました。

 

 驚くことに、私はそのどちらでも体調が悪くなったのです。チェルノブイリでは事故炉直下付近で、咽が急激に腫れて水も飲めないような状態になりました。福島では、いわき市へ入った時、頭痛と吐き気がありました。須賀川市、郡山市では感じなかった体調の変化でした。いわき市は「浜通り」と言われる地域で、事故原発に近い場所でした。

 

 私は甲状腺機能減退症(橋本病)という病気をもっており、普段は無症状なのですが、放射能を敏感にキャッチしたようです。

 

 そのような地域で生活しなければならない人々に思いを馳せ、これからも書き続けようと思っています。

 

 

 

 

    229号の「投稿欄」の執筆者とタイトル

   (投稿作品には左「札幌民主文学会」下の筆者名をクリックしてお入りください

 

 

   後藤守彦 

     南京事件を考える

   

   泉  脩

     NHK大河ドラマ 動乱を生きた男たち⑤

        『獅子の時代」―自由・平等・博愛を

   松木 新

     「蟹工船」観劇余話

 

   大橋 あゆむ

      エッセイ  まっ、いいか

      

     豊村 一矢

      連続エッセイ  床屋談議⑨

             女(男)心と秋の空

     

      村松 祝子

          「五十鈴川の鴨」 竹西寛子著を読んで

 

      福山 瑛子

          新船海三郎著『戦争は殺すことから始まった』を読んで

              

    泉  恵子

       中国の旅から  その1 

 

   

 

  

 

 札幌民主文学通信  二〇一七年十一月一日  228号 

 

 

  十月の支部例会は、開始時間を一時間早めて、支部誌『奔流』二十六号の中 

 の三作品について合評しました。十一月例会、十二月例会でも三作品を合評 

 し、新年一月には一泊二日の合宿 合評会で『奔流』二十六号全作品の合評を

 終える予定です。札幌民主文学通信は、合評を受けた筆者のコメントを連載し

 ていきます。   《編集部》

 

   支部誌『奔流』26

 

合評報告①

 

十月例会で合評した作品

 

  ★評論 アメリカ版『日本プロレタリア文学選集』 を読む(草稿)     

                                     松木 新

 

  ★評論 加藤周一『日本文学史序説』を読む

 

                                     後藤守彦

 

  ★「小説 『こむニャンコ』       田中恭子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  合評を受けて    

 

松木 新

 

 

 

「アメリカ版『日本プロレタリア文学選集』を読む(草稿)」は、このまま眠らせておくのは惜しいと思って『奔流』に発表したのですが、みなさんの意見を聞いていて、発表が正解だったと実感しました。『選集』「序文」の翻訳と、『選集』全体についての評論をセットで把握し、プロレタリア文学の研究に貢献したという評価は、大変嬉しいものでした。

 

この『選集』が、これまで日本で刊行されてきた類書と大した相違がないのであれば、こんなに情熱を傾けることはなかったと思います。それだけユニークに感じたということは、プロレタリア文学に長い間かかわってきたぼくの頭の中が、固定観念の蜘蛛の糸でぐちゃぐちゃになっていたためだと、あらためて実感させられた四ヶ月間でした。

 

不破さんが『スターリン秘史』で、現代史におけるスターリン主義の意味を問いかけましたが、文学の世界でも、今、その作業が待たれているのではないかと考えています。このアメリカ版『選集』が、そのための第一歩になるような気がしています。

 

 

  「知らないこと」の多さ

 

              後藤守彦

 

                                                                

 

 先ず、お詫びから。拙稿について「やっつけ仕事」と述べたのは、不遜でした。提出期限に間に合わせようとして急いで書いたため、テーマを十分深めないまま終わってしまった、それが正直な思いでしたので、生意気な言い方をしてしまいました。合評会に参加された皆さんを含め、読んでくれた方の指摘で、これからも考えなければならない課題を見出しました。ご批評ありがとうございました。

 

 「本を読めば読むほど人生の真実に近づく、とは決して思っていない」と拙稿で書きましたが、読めば読むほど、知らなかったことに気付く、というのも私の実感です。そこから、また新たな人生の真実への探求が始まると言えます。それにしても、加藤周一の豊かな読みと知的探究心には圧倒されます。

 

そして、加藤が探求した「今=ここ主義」の問題を、私なりに考えつづけていきたいと思います。

 

 

 

 

  合評をしていただいて

 

  田中 恭子

 

 

 

十月例会に出席する日の朝、まずは自分がゆらゆら揺れていないか、十分程立って動いても吐き気に襲われないかを確認し、今日は大丈夫そうだと一安心して、外出のための準備に取り掛かった。脊柱管狭窄症による足の痛みやしびれに、昨年の秋から、自律神経が自立していない(?)ことによる障害で、めまいや吐き気になやまされる日々が加わり、処方された薬は、車の運転を禁止されるほど眠気に襲われるもので、日常生活を営むために必要な、買い物とか食事作りとか、週二回の新聞の早朝配達、シルバー人材センターの依頼で一回二時間半、月に五日間の保育園の掃除の仕事(整形外科の医師に足が痛くてもしびれても、我慢してとにかく動けるうちは運動しなさい。動けなくなったら手術を考えます、と言われて、運動をしなくてはと思い始めた仕事)など維持実行するのに妨げにならない範囲で間引き服用している。

 

雪がまだ残っている三月中旬から、とにかく毎日パソコンの前に座ることを自分に命じて、「こむニャンコ」の作成を始めた。体調と相談しながらのことで、時には三、四行でパソコンを閉じてしまったり、人物の名前が母親と娘が同じ名前になっていたり、時間の流れを忘れてどの時点を描いていたのかと戻ってみたり、右往左往の日々を重ねて書きつないだ。

 

出来上がったのは締め切りの二日前、読み直してみると誤字・脱字・変換ミスがはなはだしく、作品全体を見渡して点検、検証しようにも、まず細かところに気をとられ、時間切れで見切り発車となった。まな板の上にあまり元気のない鯉を載せてしまった感があった。

 

合評の場では、日ごろ辛口の批評をすると思われる仲間が、とても好意的に作品を読んでくださったと感じた。特に、松木さんの評論、アメリカ版『日本プロレタリア文学選集』を読む(草稿)の中にあった、個人的なことは政治的なこと に当てはめて感想を言っていただけたのが嬉しかった。作品の質は低いものばかりで大きな事は言えないのだけれど、創作を始めた三十代のころから、自分が文章にしなければ、一生懸命生きているその人のことは社会の中で知られることなく過ぎてしまう、どうしても書いておきたい。そして、その人を描くことで社会の状況が透けて見える作品を書きたいと思ってきた。個人的なことは政治的なことに当てはめて深読みしてくださった事に感謝する所以である。

 

厳しい批評がなかったのは、まな板の上の鯉が元気がなく弱りきっていたせいかもしれない、と思っている。自分自身も、身の回りにも、病を持ち、闘いあぐねている高齢者ばかりという環境だから、これからは、そこをどう突き抜けて、悟りではなく日々模索、昔ではなく明日を見つめる「バーバ」のような人物をもっと色濃く作り、悔いの残らぬ作品にしたい。

 

ただ、合評の場を終えて、気持ちは少し軽くなり、沢山の人に読んでいただけたということが実感できてとてもありがたく、書いてよかったと思うことしきりの帰途でした。

 

 

 

 

      228号の「投稿欄」の執筆者とタイトル

   (投稿作品には左「札幌民主文学会」下の筆者名をクリックしてお入りください

 

 

   後藤守彦 

     戦争と野球

   

   泉  脩

     NHK大河ドラマ 動乱を生きた男たち④

        龍馬伝

  

   大橋 あゆむ

      エッセイ   よだれが出る 

      

     豊村 一矢

      連続エッセイ  床屋談義8

   

               

 

 

 

 

 

 

 

  札幌民主文学通信  二〇一七年一〇月一日  227号 

 

 

 

   9月例会合評報告

 

 

 

合評作品

 

 応募短編小説特集

 

『廃坑のカナリアよ』(馬場雅史)「民主文学」9月号

 

 

 

   報告者 浅野勝圀

 

 

 

 9月例会合評は、報告の不備、不足を補ってあまりある、多様な発言によって深められた。

 

 翌朝、NHKのテレビ番組「日曜美術館」は、開催中の「ゴッホ展」を特集していた。ゲストの一人が、「ゴッホの『星月夜』は言葉を吸い寄せる」と語っているのを聞き、「廃坑のカナリアよ」にもあてはまるのではと思った。

 

 

 

 例会での多様な発言の主なところを作者の言葉も含めて報告したい。

 

 

 

  1. 評価する意見

 

・素晴らしい作品だった。タイトルをはじめ印象深い表現がいっぱい。93~94

 

ページでは小縄さんが懐かしかった。

 

 ・無駄がなくて文章がいい。

 

 ・新夕張鉱の事故で人命軽視の注水を強行した北炭への怒りが甦った。

 

 ・高校教師山本が語り手の作品に共通する俳句の連帯止め、体言止めを生かした簡

 

潔な表現が流れていた。

 

 ・北炭の事故は忘れられない。自分もいつかこういう作品を書きたい。

 

 ・担任としての手探りの努力や、人権を無視される在日朝鮮人のことは共感でき    

  た。

  ・オッ君が抱く恨みは簡単には分からない。

 

 ・感動を受ける場面があちこちにある。読ませる力がある。

 

 ・山本とオッ君両者の関係にリアリテイを感じた。山本の教師としての実践と力量

 

はすごい。

 

 ・小縄さんがいたらなんというかなあ。

 

・存在しなかった「昭和六十四年三月」閉校という設定がうまい。比喩がうまい。

  ・レモンがすごくいい。作者に梶井作品のイメージがあったのでは。

 

 

 

  1. 疑問や批判の意見

 

 ・レモンがなんで電話の傍にあるのかな。

 

 ・クラスの中でオッ君への差別や偏見はなかったのか。触れてもらえたらリアリテ

 

イを感じられたと思う。

 

 ・悌二郎の「若きカフカス人」を思わせる厳しい風貌という形容では読者にイメー

 

ジがわかないのではないか。

 

 ・最後の方のオッ君の語りが、作者または山本のものになっている。主人公は山本

 

なのかオッ君なのか判然としないことも含め、作品にリアリテイ不足を感じる。

 

 ・歴史修正主義者の策動を許さないために

 

も、北海道に連行された朝鮮人の数はきちんと確かめてほしい。

 

 ・隣町の町議越前屋が登場する必然性がない。北風さんとの対話の中で同じ内容が

 

表現できたのでは。

 

 ・台詞で何かを解決してしまうのは作品を狭くする。

 

 ・最後の「廃坑のカナリアよ」は、誰が誰に向かって呼びかけているのかがわかり

 

にくく混乱した。

 

 ・作者も主人公のしぼり方があいまいだったのではないか。

 

 

 

  1. 作者から

 

・短編らしい短編を書きたいと思った。

 

 ・言葉ひとつひとつに気を遣った。

 

 ・書くことの裾野をひろげたかった。

 

 ・生徒の力を借りないと書けない。

 

 ・オッ君は自分の分身(自分の出自ともかかわっている)。リアリテイの無さにも      

  つながっている。

 

 ・レモンは作り話。

 

 ・クラスの中での差別や偏見に触れなかったことは、他支部でも指摘された。

 

                 以上

 

 

 

 

 

 

  

    227号の「投稿欄」の執筆者とタイトル

   (投稿作品には左「札幌民主文学会」下の筆者名をクリックしてお入りください

 

 

   後藤守彦 

     音楽ミステリの愉楽(その三)

   

   泉  脩

     NHK大河ドラマ 動乱を生きた男たち③

        『真田太平記」―心を打つ兄弟愛

   松木 新

     閑話二題―「恨」、「社会主義リアリズム」

 

   大橋 あゆむ

      エッセイ  千代紙 

      

     豊村 一矢

      連続エッセイ  床屋談議7

   

              

     

 

 

 

 

 

 

 

 札幌民主文学通信 二〇一七年月一日  226号 

 

 

  八月例会合評報告

 

評作品 

  『巨艦の幻影』倉園沙樹子  「民主文学」8月号

 

          報告者  平山耕佑

 

 レジュメ

 

  1. 題名について

 

 あの戦争中、巨艦「壱号艦」の完成まで仕事に従事し、当時の典型的な「大和民族」の心(信念)を持つ峰山清吉が主人公。作者は「壱号艦」が「幻影」であったことを、その題名から書き出している。不沈戦艦と言われた「大和」(?)がまさに幻影であったことは歴史的事実。同時に作者は、清吉が持っていた「国家主義的信念」が実は「幻想」であったことをも伝えている。

 

  1. 一の章

 

 書き出しの2ページは圧倒的な迫力。「男性的」とも言える。だがそんな中にも、今後の成り行きを予感させる表現が出てくる。p8上「後輩たちが清吉を追い抜いて出世した」、同下段「次男の顔が」浮かんで「腹立たしい思いに駆られた、等。「佐原村」とはどの地方? 「中学生らしいにせんか」「ほうか」「いいんさった」「なして」等の方言はどの地方のものか。次男、勇の反抗的精神。進水式が秘密のうちに行われたことに対する失望。そしてその様子を勇だけが隠れて見ていたことへの驚き。

 

  1. 二の章

 

 一の章から一年半後。長男武が「壱号艦」の乗組員に抜擢される。そして太平洋戦争が始まる。「昭和十七年の元旦を、清吉はこれまでにない高揚した気分で迎えた」。弟浩二の息子卓也のこと。卓也を武よりも勇」と比較する清吉。「明るい瞳、明快な受け答えは爽やかだが」「魅力に欠けた」(p19上)勇に対する親としての愛情。武が年始の挨拶に出かけようとするとき、原口卓也を訪問することを禁ずる清吉。両親を失った卓也を十七歳まで養育し、今年二十一歳の卓也、これまで二度警察に検挙される。予想以上に卓也のことを知っている勇とのやり取り。アカ、危険思想、国体、警察に竹刀

 

で殴られた卓也、等々。

 

 双六遊びの中での勇のことば「俺はどこかのジャングルへでも行って、猿のように生きたいもんじゃ」(p23上)これはちょっと飛躍している感じ。

 

「俺は海軍には志願せん。砲弾が飛んでいく先には人間がおるけえ」(p24下)「おれは軍艦には乗らん。ジャングルで猿になって生きる」(p25上)

 

  1. 三の章

 

 勇に「父さん」と呼ばれて「次男への愛情をかき立てる」清吉。「一生のお願いがある」とさらに言われ「眼前の光景輝き渡った」清吉。(ちょっと大袈裟)卓也を引き取ってほしいと願う勇。アカを引き取るわけにはいかないという清吉。妻の計らいで卓也に生活費を援助することにし、そのため卓也を訪れる。p28下最後の卓也のことばは「裏の事実」。さらにp29上最後はヤマの一つ。その後、清吉と原口の論争。清吉はアタマにきて原口に掴みかかるが原口の体が思いのほか軽いことに、「親心にも似た情愛が一筋さした」(p31下)。清吉は思い直して用意してきた封筒を畳の上に置く。入れ違いに二人の男が階段を上がって行く。原口が拘留されたことを知った勇のあからさまな反抗。

 

  1. 四の章

 

 「壱号艦」が日本を離れ太平洋のかなたに消えていったその日、特高警察が来て勇の部屋を調べ、「改造」を手にする。帰ってきた勇を説諭する妙子。「変な説教だ、違う、違う」と思う清吉。スタンダールの『赤と黒』を持って行ったことを知った勇は大笑い。娘の百合子が帰ってきて「従軍看護婦になってお国のために働く」と言う。その後の約2ページの勇を交えた親子のやり取り。ここで百合子は、この作品の中で非常に重要な役割を果たしている。さらに原口が殺されたことを知った清吉の苦悩。さらに特高は勇を逮捕に。

 

 そして最後、勇を追って地面に腹ばいになった清吉の耳に軍艦マーチと「万歳」の声。「おうい、騙されちゃいけん」と叫ぶ清吉。

 

  1. 結論

 

 迫力ある描写を別にして、平易でわかりやすい表現、登場人物が少ないこと。描写がほぼときの流れに沿っていること、等が、読みやすく、よくわかる作品にしている。戦前の国家主義的思想が間違いだったことは誰でも知っているし、今そんなことを思っている日本人は誰一人としていない。(ホントにいないかな?)にもかかわらず、こうした作品を書いた動機はなにか。

 

 p21上下からp22にかけての記述は、今まさに問題になっている「共謀法」を意識しての「警告」ではないだろうか。

 

 

 

 合評での主な意見・感想

 

  1. 冒頭の文章が力強い

 

 ・男性的な文章だ。

 

 ・リアルで力強く印象深い表現で、導入とし 

 

ては効果的だが、作品全体の内容とのずれがないか。

 

  1. 登場人物が少ない。

 

 ・軍港「呉」を連想させる出だし部分の印  象に比して物語は峰山清吉、その家族が主な登場人物という少人数で展開される。

 

 ・少人数の登場人物に絞り込むことは筆者の作意であり、作品の主題を明確にする点で成功 しているのではないか。

 

 ・家族間で国家主義、軍国主義、戦争や国への態度がまったく異なり、深刻な亀裂や対立が繰返される。同時に家族間の信頼、愛情、苦悩の表現には説得力がある。

 

  1. 地名や巨艦名、年月日なども意図して曖昧にしていると感じられる。

 

・これも②同様、主題を明確にするための作意なのか。

 

  1. 安倍政権が進める憲法破壊、戦争する国作り、戦争法、共謀罪強行採決などへの怒り、厳しい批判の意思が明確である。

  2. それにしても、最後の、清吉が、

    「おうい、騙されちゃあいけん」

    と、自分でも驚くほどの大声を張り上げる場面は飛躍が過ぎるのではないか。

    清吉の信念が崩れ、打ちのめされるくらいの方が説得力があるのではないか。

 

   

    226号の「投稿欄」の執筆者とタイトル

   (投稿作品には左「札幌民主文学会」下の筆者名をクリックしてお入りください

 

 

   後藤守彦 

     解説の解説を書く

   

   泉  脩

     NHK大河ドラマ 動乱を生きた男たち②

          「徳川家康」平和への意志

   松木 新

     明けない夜はない―和合亮一/村山ひで/シェイクスピア

 

   大橋 あゆむ

      まちがいさがし 

 

   生駒多津子

       女性の嫉妬の犠牲となった佳人夕顔

        

      福山瑛子

      コスタリカやキューバの今を伝える

        伊藤千尋著「凜とした小国」を読む

 

    豊村 一矢

      連続エッセイ 床屋談義6 

 

   吉田たかし

      植民地南樺太のこと

 

 

 

 

 

 札幌民主文学通信  二〇一七年月一日  225号 

 

 

 

  七月例会合評報告     

 

 

  「崖の上の家」

 

(風見梢太郎 『民主文学』七月号)

 

                 松木  新

 

 

 

今度の大会で短編小説について論議されたこともあって、この例会では短編小説そのものについての理解を深める意味から、阿部昭『短編小説礼賛』(岩波新書一九八六年)を素材にして、「崖の上の家」を分析することにし、以下の報告をした。なお、資料として、『短編小説礼賛』から該当する箇所をプリントした。

 

【報告】

     ①一度読んだら忘れられない「話」

  物語は真下の書庫の整理→後輩からの電話→街への買い出し帰宅という時間の中で片倉との思い出、片倉の死、後輩の来訪が語られている。

 ②書き出しの一行

  最初の三行は、この物語を豊かにしており、平易な言葉で書かれているにもかかわらず、文体に緊張感がある。

 ③「生きたイメージ」に語らせる風景描写のイメージは良い→冒頭の場面、家の周囲の光景(11ページ上段)甥の夫人の描写が良い(13ページ上段)(13ページ下段)

 ④会話も描写である。

  「叔父の世話は、いっさいこちらでやらせでやらせていただきます」(13ページ下段)が良い。

 ⑤読者が自由に考えるに任せる。

  真下と笠谷が連れてくる加藤との対話、合唱する若者たちと真下との今後の交流などに、読者が想像できる場面だ。

 ⑥小説は終わってもまだその先に別の新しい物語ある。

  上記⑤とも関係するが、若者たちとの新しい世界の構築が「新しい物語」である。

 ⑦すべての人間が各々の物語の主人公である。スーパーの店長、書店の店主の描写に心配りが見受けられる。

 ⑧「これが人生というものか」

  本来なら片倉の人生が、「これが人生というものか」と読者に示さなければならないのだが、連作完結というこの作品の性格から、不十分に終わっている。

 ⑨結末の一行こそは二十世紀の文学が新たに付け加えたものである。

  結末の、「明日この部屋でかわされるはずの会話を想像して胸を轟かせた」という描写は、読者の想像にまかせるほうが良い。

 

【論議】

  文体についての好意的な意見が多かった。文章がなめらかで読みやすい、比喩を用いず平易な言葉で作品世界を描出している力量は、三六年に及ぶ書き手としての修業のたまものだろう。

  人物描写では、甥の夫人の形象の評価が高かった。彼女が登場する場面、セリフなどは心憎いほどだ。ぼくはモーパッサンの「脂肪の塊」を思いだした。

  真下がたたかいつづけることができたエネルギーの根源は、特別の感情ではなく、ごく普通のことに満足するところからきているという指摘は重要だと思った。彼はスーパーマンだったからではなく、片倉など集団の援助があったからたたかいつづけてきのだろう。

  このことは、そうした援助の機会がなくて、不本意ながらたたかいの戦列から離れていった人々とどう向き合ったら良いか、という事への回答にもなっている。離れていった彼らを切り捨てるのではなく、初心に立ち返って、新しい可能性をさぐることが求められているのだと思った。

  たたかいの形象を描いていることも注目された。崖の上の「家」が、生きていく上での「砦」になっている。この作品は、目次では「シリーズ完結」となっているが、「家」を主人公と考えると、真下と合唱する若者たちとの「家」を舞台にした交流など、続編が期待できるのではないかという意見は貴重だと思った。

  蛇足ながら、作品冒頭のカットは、内容にそぐわないものだった。

 

 

 

 

    225号の「投稿欄」の執筆者とタイトル

   (投稿作品には左「札幌民主文学会」下の筆者名をクリックしてお入りください

 

 

 

   後藤守彦 

     北国から来た猫第七章

   

   泉  脩

     吉田たかし

     海峡の少年1945年・真岡・ホムルスク

   松木 新

     ゴーリキー『母』と音楽

 

   大橋 あゆむ

      早送りの達人 

 

            福山瑛子

     「文章を磨くとは?』『小説の知恵とは?』

      と考え込む今日この頃

 

 

   豊村 一矢

      連続エッセイ 床屋談義5 

 

 

 

  

 

 

   札幌民主文学通信

 

二〇一七年月一日  224号 

 

 

   六月例会合評報告

 

 

 

第十四回民主文学新人賞佳作

 

「譲葉の顔」

 

(杉山まさし「民主文学」六月号)

 

未知なるものへの挑戦 

 

            石川弘明

 

 一九三五年(昭和十年)生まれのわたしは、

 

アバンゲールではない。かと言ってわたしは、

 

アプレゲールと言われるのも中途半端である。

 

昭和十年が昭和一桁なのか、二桁なのかで悩んでいるのが1935年生まれなのである。昭和一桁生まれ、主として昭和二年~六年生まれの先輩たちのように、徴用、援農、軍需工の臨時工の経験もない。教育勅語とか軍人勅諭、百二十四代の天皇名を暗誦させられることもなく育ち、軍事教錬を受けたこともない。国際連盟脱退の真相も知らず、八紘一宇の精神も不明のままだ。

 

 私自身は、一九四五年八月九日満州国北部三江省鶴立街から避難疎開を始めて、放浪の末、九月新京に辿り着き、翌年一月母と父を、相次いで共に病で失い、孤児となり妹弟を現地人に養子として渡し、自身も日本人に連れられて帰国した。

 

 歴史の教科書に自らの筆と墨で文字を塗り潰して、習っていた教科書の嘘を知った。そういう幼かった時代のことを創作のネタにはできない。涙なしに書くことはできないし、心が痛むからである。唯一エッセイ「少年の戦争」(奔流VOL22)の一作だけ残している。

 

「譲葉の顔」の作者は、一九六五年生まれという若さでありながら、自らの知らない時代、世界を描くことに挑戦した。試みとしては画期的である。それでありながら、読者の多くが熟知している被爆、空襲,津波を、登場人物の三田村と両親の似顔絵を依頼に来た兄妹の幼い頃の体験談で語らせて、それで読者に伝えようというのでは、創作としては甘すぎる。リアリテイが薄いし,メッセージ性に頼りすぎて作為ばかりとなりがちになる。実感とか体験の重みに欠けると言えようか。その上に作者の悪癖というべき、自己主張の強い悪文の多さが目につく。

 

テレビ画面で見た津波に、

 

「荒涼とした大地に残る生活の痕跡は、人々の胸裏にえも言われぬ無力感を生じさせた」

 

「数多く溢れる情報が、あらゆる媒体を通じて発信され、短時間のうちに、一緒くたになって私たちの意識に流れ込んで来た。認識し、思考し、取捨選択し、整理する暇もなく、ランダムに構成された画像の一群となって、その都度私の人生に刻み込まれていった」

 

 こういう悪文は私の心には響かない。その上に勝手な「絵画論」を押しつけてくる。死者が枕元に立つという主張も我論であろう。

 

 私には、絵画や文学、音楽など芸術の持つ創造と想像の二つの力が必要だと感覚的に見抜いている三田村の「妻論」など共感はしにくい。最後には「ヒロシマとフクシマは同じなんだ、フクシマの子供たちは私たちなのだ」と結論を押し付けてくる。

 

 会話による伝聞だけで物語を進めていき、己の主義の主張だけを綴るというのでは、それは文学以前のものとなってしまう。作者のさらなる真実への追求と学習を望みたい。

 

      

 

 

 

 

 

 「譲葉の顔」合評への追加意見

 

              泉   脩

 

 

 

 例会での合評で意見がまとまらず発言ができなかったので追加意見を書きます。

 

 私は一読して感銘を受けました。主人公の老画家と、彼に亡き両親の肖像画を依頼する老年の兄妹に、敗戦後に父を失った私が共感したのです。老画家は三月一〇日の大空襲で、兄妹は広島原爆で共に両親を失いました。私は戦後流行した天然痘で父を失いました。

 

 この偶然の一致が私の心を揺さぶりました。しかも写真を見ながらも、兄の語る父親の想い出を聞きながら、二人の両親の肖像を描くことに、私は教師としての自分を思い出しました。

 

 五六歳の時、私は私立高校の新一年生の担任になりました。同期採用で校長になったMさんに特に頼んだのです。

 

 三年間全力をつくし、卒業後に私も定年退職しようと決心したのです。自分のクラスが決まると、四〇人あまりの生徒を少しでも早く理解しようと考えました。入学志願票の写真を見ながら、名前をフルネームで覚えました。中学校からの内申書にも丹念に目を通しました。

 

 次に学級通信を四枚書きました。生徒全員の名前、出身中学、特技などを一枚にまとめました。次に私の自己紹介を詳しく書きました。どんな担任かは、生徒と保護者の最大の関心だと考えたからです。

 

 そして三・四枚目には担任としての私の方針を書きました。日刊の学級通信を発行すること、学級PTAをつくり、学級父母懇談会を行うこと……です。

 

 そしてクラスの目標として、欠席、遅刻、早退をしないことを掲げました。かつて、遅刻、怠学で欠課オーバー→留年→退学をたくさん出したことを反省したのです。

 

 この学級通信四枚を全家庭に送ると早速家庭訪問を始めました。まず私の家の近くから電話をかけて訪ね始めました。学級通信が着いたころなので、どの親も受け入れてくれました。

 

 どの家でも話がはずみました。母親と本人が中心でしたが、時には父親や祖父母にも会いました。こうして、入学式前に四分の一の家庭を訪ね、五月頃に全部終えました。地方からの生徒の親には入学式の後に残ってもらい、話し合いました。

 

 なぜこんなに急いだのか。それは親の話を聞いて生徒のイメージを作りたかったからです。入学式に生徒と初対面し、HRや授業で接していくのが普通ですが、これでは生徒を理解し働きかけるのが遅れるのです。平面的な理解から、立体的な理解にするには早い方がいいのです。

 

 これからの三年間は、やはり悪戦苦闘の連続でした。しかし以前とは違って、停学、怠学が出ず、いろいろな新しい取り組みができました。組合運動に二〇年も取り組んだため、教師としての成熟がおくれた私にとっては、貴重な体験をすることができました。

 

「譲葉の顔」の主人公が、依頼者に両親の思い出を話してもらいながら、両親のイメージを作り肖像を描いて行く方法は、かつての私の生徒のイメージ作りと同じでした。対象の内面的な心を知ることが、とても大切なのです。そのためには対話が必要なのです。コンピューターのデータではダメなのです。

 

 文学作品の理解は、作品への共感が土台になると思います。少しの共感もなければ、自分とは無縁の作品です。理解も評価もあきらめるしかありません。私はそのように考えて多くの文学作品に接してきました。

 

「自分の背丈に合わせて作品を切り取っている」と言われたことがありましたが、その通りでした。大切なことは多くの体験をして共感する力を増すことでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 「譲葉の顔」合評と自己反省

 

                豊村一矢

 

 

 

 六月号が届いてその日のうちに「譲葉の顔」を読んだ。一読してひどい小説だと思った。出だしの「つかみ」の部分、「三・一一」の書き方からして仰々しく陳腐な言葉が並ぶ。戦争体験としては広島原爆投下と三月十日の東京大空襲が書かれているが、借り物の言葉、どこかで見聞きした事の描写が並び、私は白けてしまった。

 

 例会合評当日、レポーターは、冒頭からこの作品を憤りながら厳しく批判した。批判の内容には同感できたが、冷静さを欠くほどの厳しさを感じて私は驚いた。「譲葉の顔」の作者は、レポーターのような戦争体験者に最も共感してほしいと願っていたのではないだろうか。

 

 私は討論で、分別臭く、「レポーターと同じに否定的な感想を持ったが、怒りを覚えるほどの反感ではなかった」と言い、「戦争体験者でなければ書けないとすれば、先の戦争を書く人はまもなくいなくなる」と当たり前の詰らないことを言った。

 

しかし一方で、分別臭いことを言いながらも、レポーターが、かつて『奔流』に発表した作品「少年の戦争」(満州からの引揚げ体験記)のことを考えていた。そしてそれは、レポーターが「譲葉の顔」で傷ついたのではないかとの思いに連動した。

 

私にとって「少年の戦争」の衝撃は大きい。当時、「少年の戦争」の外に、児童文学で付合いのあった人たちの引揚げ体験記を私家版でいくつか読んでいた。いずれも筆者が十歳前後の体験記で悲惨極まりなく、私は深く影響を受けた。以来、自身の創作テーマに『棄民』が根付いたくらいだ。

 

 民主文学会に加入した節目で、これからの創作の題材やテーマを絞った。「格差社会」、「アイヌ」など…そして「三・一一」も加わった。

 

実際、『北海道民主文学』や『奔流』に作品を書いたが、意気込んだわりには、今なお、道半ばである。

 

例えば「アイヌ」にしても、読者に、共感であれ反感であれ、響く作品が書けていないと思っている。アイヌが、取るに足らないと無視する、冷笑する、慢罵する……そんこともあり得るし、未熟さの結果だと受け入れなければ進歩はないとも思っていた。

 

今回の例会合評で、そのことを改めて感じた。

 

 

 

(補足)

 

この一文を書いたところで、恒例により、レポーターだった石川さんから本号トップの原稿が届きました。私の文とかぶるところがあって自分の文を載せるか、ボツにするか迷いました。  

 

結論は推敲せず載せることにしました。

 

 なお、本号の石川さんの原稿は「エッセイ『少年の戦争』」となっていますが、「奔流」二十二号では「自伝『少年の戦争』」です。

 

                                      

 

 

 

    224号の「投稿欄」の執筆者とタイトル

   (投稿作品には左「札幌民主文学会」下の筆者名をクリックしてお入りください

 

 

 

   後藤守彦 

     ただ今翻訳に挑戦中

   

   泉  脩

     NHK大河ラマ

         動乱の世を生きた男たち①

   松木 新

     『稲の旋律』の面白さ

 

   豊村 一矢

      連続エッセイ 床屋談義④

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 札幌民主文学通信

 

二〇一七年月一日  223号 

 

 

 五月例会合評報告

 

             泉  

 

 

 

合評作品  田島 一『争議生活者』

 

(『民主文学』4・5月号)

 

 

 

  力作に感銘

 

 

 

 田島一『争議生活者』をめぐって、充実した討議が行われました。私のレポートの後、全員が発言しましたが、「読むのがつらかった」という感想は、内容の深刻さから出されたものでしょう。八年間も争議を続けて結局は職場復帰を実現できなかったのです。何人かの女性が「すらすらと読めた」と発言しましたが、この作品が主人公の家族の苦しみと協力を中心に書いているので、女性にはわかりやすかったのだと思います。

 

 大企業の理不尽な千四百人ものハケン切りに対し、十二人が組合に加入してたたかった物語の最終編なので、力のこもった力作であり、誰しも胸を打たれたようです。討論の中で、現在ますます広がっている非正規雇用の実態について多くの実例が出されました。病院・学校・郵便局など、驚くような話でした。安上がり、使い捨て、そして労働者分断の非正規雇用は、今や花盛りといった有様です。不況脱出とも、経営者(資本家)のあくなき利益追求ともいえるこの現象は、格差と貧困をますます増大させ、結婚難・少子化・犯罪増加を生み出し、日本の未来を危うくするものです。

 

 田島さんの『時の行路』から、この作品に至る、ハケン切りとの闘いの作品は、社会のカナリアとしての作家の役割を充分に果たしています。そして小林多喜二の後を継ぐ立派な業績と言えると思います。新しい参加者を迎えて意義のある例会でした。

 

 

 

 

 

 

 

小説の知恵大会発言に関連して 

 

            松木 

 

 

 

 二日間の大会は、出席代議員75名、委任状169名、合計244名(定数342名)で無事に成功しました。会長、副会長、事務局長、『民主文学』編集長は現体制でいくことになりました。カンパをありがとうございました。

 

馬場雅史さんの発言「支部はつらいよ」が大好評でデビュー戦は勝利でした。

 

 ぼくは「争議生活者」について発言しました。五味洋介がたたかいきれたのは、人間の尊厳をないがしろにする者たちへの怒りであること、人間の尊厳は「小説の精神」であることにも言及しました。

 

 この文章では、発言の根拠になっていることについて、まとめてみました。

 

 

 

不破哲三『文化と政治を結んで』に、「文学についての発言から」が収録されています。その中で、バルザックとトルストイ、ゴーリキーを例に、世界観とリアリズムの反映について論じています。

 

 マルクスやエンゲルスが、バルザックの作品に、「彼が生きた世界の『社会的存在』を正確かつ深刻に反映したリアリストとして、たいへん高い評価をあたえ」た、と紹介した後、エンゲルスのマーガレット・ハークネスへの手紙を論拠に、「エンゲルスが、バルザックがその芸術的活動において世界観に反して行動していたことを強調しているのは、たいへん重要だと思います。これは、現実の事情の深い把握を、自分の階級的心情に優先させた『偉大なリアリスト』にしてはじめてできたことでした」と、指摘しています。

 

 トルストイについては、レーニンの「ロシア革命の鏡としてのレフ・トルストイ」などにもとづいて、「ロシアの生活の比類ない画像」(レーニン)という積極面を描いた作家だが、同時に、「トルストイ主義」という言葉に表現されているような「宗教的反動と結びついた否定面」もあったこと、これは当時のロシアの「農民の気分の表現」だというものです。

 

 トルストイ主義については、光文社古典新訳版『アンナ・カレーニナ』の訳者である望月哲男が、農民を理想化せず、労働を通した農民との共同体験に感動する地主貴族リョーヴィンを例にとりながら、「トルストイ主義は十九世紀後半のロシア社会が直面した諸矛盾の表現そのものであるというレーニンの表現(「ロシア革命の鏡としてのレフ・トルストイ」一九〇八年)が想起されますが、リョーヴィンを小説の動力としているのは、まさに簡単にイデオロギーに回収できない、矛盾を含んだ情動の主体としてのあり方でしょう」と述べていることも、参考になります。

 

 「バルザックは政治上正統王朝派的な見解にたちながら、未来をになう革命勢力についても、その世界観に逆らってしかるべくえがきだすことができましたが、トルストイは、その農民的世界観に支配されて、農奴制的圧迫や資本主義的搾取を糾弾する告発者としては『驚くべき力』(レーニン)を発揮し(略)、革命的闘争の問題については、『家父長制的な、素朴な農民にだけ特有の無理解』(レーニン)から最後までぬけだしえませんでした」といっています。

 

 不破さんは、この二つの例から、作家の世界観が「社会的存在」の「反映」の仕方をどのように制約するかは一様でないこと、「リアリズムと一口にいっても、バルザックの反映の仕方、トルストイの反映の仕方、それぞれ非常に個性的な独自のものがある」と述べています。

 

 ゴーリキーについては、レーニンがゴーリキーの政治的弱点を指摘したのは、「彼の芸術的活動への指導的助言としても、文学における反映論の問題としても非常に考えさせられる」と指摘しています。

 

「『社会的存在』を正確に認識し、作品に反映するということは、実にたいへんな仕事だということです。社会科学の理論がそのための重要な武器となることはいうまでもありませんが、この武器をもたないものは正確な反映はできないのかというと、ことはそんな単純なものではありません。 バルザックは、資本主義社会の経済学に通じていたわけではけっしてありませんでしたが、マルクスが『およそ現実の事情の深い把握によってきわだっている』と評した観察力で、科学的な武器の不足を補い、あれだけの仕事をした」のです。

 

 世界観と反映の関係は、作家それぞれにとって「個性的」で「独自」であり、「観察力」が大きな比重を占めていることが、この場合、大切な点だと思います。

 

 ところで、先日、大江健三郎の『人生の習慣』を再読していて、世界観と反映について、違った要素が存在することに気がつきました。それは、「小説の知恵」です。

 

大江はミラン・クンデラの「エルサレム講演―小説とヨーロッパ」(『小説の精神』所収)を論拠にして、次のように述べています。

 

 トルストイは、アンナ・カレーニナのように、姦通する人間はよくない、糾弾しなければいけないということを、道徳的に確信していた。レーニンが言うところの「家父長制的な、素朴な農民にだけ特有の無理解」からして当然の確信です。トルストイが「最初の草稿を書いたとき、アンナはきわめて反感をそそる女性でしたし、彼女の悲劇的な死は当然の報い」(クンデラ)でした。しかし小説の決定稿では、アンナ・カレーニナは本当に魅力的な女性に変身しています。

 

この変化に注目した大江は、トルストイには「道徳的な確信があるんだけれども、作家自身のそれをどんどん裏切っていって、非常に美しいものを作り出す力というものが、小説にあるんだと。それが小説の知恵だという。作家の知恵というよりは小説の知恵だとクンデラはいっているわけなんです」と、述べています。

 

 クンデラは、近代ヨーロッパの誕生と同時に小説が生まれた。あわせて、近代ヨーロッパを代表して「ヨーロッパ精神」が生まれた。それは、「寛容の精神」だと言っています。大江は、この「寛容の精神」を、「小説の知恵」と捉えているのです。

 

 大江が、近代ヨーロッパの誕生とともに生まれた小説は、「寛容の想像の王国」であり、「小説の想像の世界とは何かというと、個人が尊重される世界」だと断言しています。

 

 小説の世界=「個人が尊重される世界」では、「寛容の精神」が、そこに生きる人々の生活原理になっています。アンナ・カレーニナが、作者の道徳観に反して、魅力的な美しい女性として描かれる所以です。

 

 バルザックは、世界観に反しながらも、すぐれた観察力にもとづいて、現実を描き、トルストイは世界観にしばられて、その枠の中で現実を描きました。しかし、道徳観に反して「アンナ・カレーニナ」を書いたのは、「小説の知恵」によるためでした。

 

 世界観とリアリズムの反映の関係を考える場合に、小説に本来的に内在している「小説の知恵」についても、考慮しなければならないという気がするのです。

 

 参考までに、小説についての大江のコメントを紹介します。

 

 「ところが、よく考え抜いたことを書くというのは、つまり最初に最後までよくわかっていることを書くということは、小説を書く上ではあまりいい方法じゃない。小説というものは、頭で考えてもわからないような、本当の人間の不思議ということを書く。少なくともその方が小説としてうまくいくものです。いわゆる純文学の上等なものになる確率が高いといってもいい」

 

 

 

短篇小説について

 

 (大会で、宮本編集長が短篇小説について発言していました。その中で、引用されていた文章が参考になりましたので、紹介します。出典は、講談社文芸文庫編『戦後短篇小説再発見 4』「序」です)

 

 

 

 日本近代文学のなかで、短篇小説は特別な位置を保ってきた。それは短いだけの「小説」ということではなかった。人生を切り口鮮やかに一瞬のうちに示してみせる言葉の技術。一人の人間のその複雑な内的世界を丸ごと描いてみせる文章の技量。日本の短篇小説の作家たちは、人間や社会や歴史を、そのままの全体として描き出すのではなく、鏡に映った小さな宇宙として描き出したのである。

 

 しかし、それは単に小さなものへの偏愛や、短いものへの愛好だけではなかった。言葉の世界が持つ可能性としてのミクロコスモス、小さな言葉の奥にある無限大の広がりへの信頼が、短歌や俳句の文学的伝統を持つ日本の文学者(小説家)たちに、強固に保持されていたからである。

 

 

 

 

 

 

 

(第二七回大会感想)

 

新しい時代に向かう想像力のかたち

 

馬場雅史

 

レーニンが「ロシア語の純化について」を書いたのは百年前のことである。誤解を恐れずに言えば、レーニンの苛立ちに共感している自分を、ぼくは幾度か経験してきた。レーニンは、会議における発言や演説での半可通の誤った外来語の使用について「文筆家にはそれは許されない」とした。ぼくはもう少し曖昧な意味で、つまり、大会における発言での、意味のない繰り返し、発言時間の終了を告げるベルが鳴ってから延々と語ることを当然とする態度、あるいは、いかにも大家然とした発言を苦々しく感じたことがあったのである。

 

 初めて日本民主主義文学会の大会に参加した。大会期間中やはり何度か「ロシア語の純化について」を想起した。しかし、それはこれまでとは逆の意味においてである。大会で行われたあいさつ、報告、発言、特別決議それぞれが、文学を志し、言葉と格闘する人間の言葉だったのである。そして、それらの言葉は、幹事会報告が強調した「激動の時代にふさわしい言葉」に接近しようとする意志に満ちたものだった。このことが、大会に初めて参加してのまずもっての感想である。

 

 いくつかの論点について、深く考えさせられた。

 

 宮本阿伎さんは「短編小説の作り方を研究しよう」と呼びかけた。「日本文学のなかで、短編小説は特別な位置を保ってきた。それは短いだけの『小説』ということではなかった。人生を切り口鮮やかに一瞬のうちに示してみせる言葉の技術。一人の人間のその複雑な内的世界を丸ごと描いてみせる文章の技量。日本の短編小説の作家たちは、人間や社会の歴史を、そのまま全体として描き出すのではなく、鏡に映った小さな世界として描き出したのである。」「戦後短編小説再発見」(講談社文芸文庫)の「序」を引用しての呼びかけであった。ぼくは率直に不意を突かれた気がした。いつか長編小説を書いてみたい、小説を書き始めた時からそう思ってきた。だから短編小説はそのための習作だと考えてはいなかったか。あるいは連作の一部とだけ想定してはいなかったか。引用された言説は宮本さんの発言のすべてでも、結論でもない。幹事会報告にいう「民主主義文学の到達を踏まえて文学はどうあるべきかを問い、激動の時代にふさわしい言葉をどう生み出し、意欲的な創造、批評活動を繰り広げていく課題」の一環としての提起であった。プロレタリア文学以来の創作の鉱脈の中から、自らの短編小説観を見出し、創作を通して提起に応えたいと思った。

 

 大田努さんは、昨年五月に行われた「百合子の文学を語るつどい」での不破哲三さんの提起、つまり「時代を描く」ということの意味を問い、深化させた。不破哲三さんは講演の中で、松本清張の「プロレタリア文学は支配者階級を書かなかった」という批評を、「傾聴すべき言葉だ」と述べた。ぼくはこの提起を一般的にしか捉えていなかった。民主文学が総体として時代の全体像を描くことを課題にしているならば、支配者階級を描きうる誰かが書くことには意味がある。その程度にしか考えていなかった。しかし、太田努さんは、この提起が、幹事会報告もいう「新しい時代」に即応した提起であること、そして「支配者階級とは、我々の運動、認識に応じて見えてくるものである」とした。その瞬間、もはや、誰かの課題ではなくなった。ぼく自身にも課せられた課題であると思った。支配者階級を今すぐ書くことはできないにしても、それと政治的に対峙する市民を、自ら一人の市民としてどう描くかということに直結する課題だった。その発言の鋭さにぼくは身の引き締まる思いだった。「市民とは誰なのか、そしてそれはいかに形成されるのか」という自らの課題を、大田努さんの提起に応えて探求したい。

 

 しかし、もっと議論すべきではなかったかという論点もあった。それは「主題―モチーフ―題材」をめぐる論点である。この論点についての提起は、それぞれの概念の辞書的な意味を示し、それをもとにそれら概念の関係性を明らかにするという方法によってなされた。はたして、こうした形式的な整理でいいのかというのが、第一点である。さらに、幹事会報告では、この整理を「身の回りに材を得た作品」に限定して、「凡庸さ」から逃れる作法との関係で提起されている。こういう限定の必然性がどこにあるのか、わからないというのが第二点である。少なくとも、日本文学の作品群から内発的に生起する創造的概念として、捉えられるべきではないか。「社会主義リアリズム」を批判的に乗り越え「リアリズムの今日的探究」が課題となり、あらたな地平を切り拓こうとしている。こうした課題と統一的に捉える視点と方法が求められていると思う。

 

 大会の最後に、宮本阿伎さんは「寝食を忘れて書きましょう」と訴えた。一瞬、会場は共感的な笑いに包まれた。しかし、宮本さんの目は笑っていなかったし、大会参加者の目も笑っていなかった。ぼくだけ笑っていたことを次の瞬間、後悔した。そして心から書きたいと思った。そういう大会であった。

 

 いま、自分の部屋に戻って、大会を振り返っている。右側にある書架には、入会して以来二年分の「民主文学」が置いてある。これまでは活字でしかなかった背表紙の名前や作品名が、表情をもってぼくに語りかけてくる。それはやさしさや誠実さや、探究者としての厳しさという表情である。しかしそれだけではない。幹事会報告を媒介として、これら背表紙の奥に、「新しい時代に向かう想像力のかたち」を見せてくれている。そのことが、うれしい。

 

 

 

  

 

 

 

 

    223号の「投稿欄」の執筆者とタイトル

   (投稿作品には左「札幌民主文学会」下の筆者名をクリックしてお入りください

 

    後藤 守彦

     音楽ミステリの愉楽(その2)

 

   村瀬 喜史 

    「恩田の人々」を読む

   

   泉  脩

     NHKテレビドラマで描かれた女性たち④

         女性は偉大なり

   松木 新

     「土人」の使用例

 

   豊村 一矢

      連続エッセイ 床屋談議3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  札幌民主文学通信

 

二〇一七年月一日  222号 

 

 

 

   四月例会合評報告

 

               松木 新

 

    

 

合評作品 『民主文学』4月号  

 

風見梢太郎「予感」 

 

 

 

【評価された点】

 

 筆力があり、密度の高い構成力が緊張感をはらんだ作品に仕上げている。

 

肉親ではない認知症患者の介護が、お互いの信頼を土台にして成立するという、介護への新しいアプローチだ。

 

 片倉の幻覚の内容が前向きなものとして描かれていることによって、彼がすばらしい活動家であったことがわかる仕組みはうまい。

 

【論議になった点】

 

 例会参加者の何人かが、レビー小体型認知症をふくめた患者とのつきあいがあったために、その体験の違いによって、この作品の理解の度合いに差が出た。「認知症」という単語自体への違和感もだされた。作中に使用されている「幻覚」は「幻視」の方が適切ではないかという指摘もあった。

 

裕造が片倉に批判されて、「私のせいだと思っているのが悲しかった」(76ページ)とか、「私は暗い気持ちになった」(80ぺーじ)と書かれているが、これは認知症患者と向き合う裕造の姿勢が不十分であることを示している。なぜなら、無条件に相手を受け入れることが、患者と向き合う場合の大前提だからだ。

 

「ピカソの絵」の描写については、評価が分かれた。なぜ、この場面に必要なのか、説得力に乏しいという評価にたいして、病んだ片倉の内面にある理解しがたいものの暗喩で、効果的だという意見がだされた。

 

タイトルの「予感」が何を意味するのかについては、いくつかの意見が出された。

 

  1. 片倉が死ぬのではないかという予感

  2. 認知症でさえ侵すことができない人間の尊厳と信頼にもとづく二人の関係のほころび、最期の嵐がそれを示唆している

  3. 裕造の妻の発言にあるように、片倉を施設に入所させなければならないのではないかという予感

  4. 裕造が、介護疲れで倒れるのではないかという不安

 

いずれにしてもタイトルの含意が鮮明でないということは、この作品のテーマの不明確さに通じている。少数ではあったが、これまでの風見作品の内では良いできではないという意見などとも、密接に関連していると思えた。

 

 

 

    222号の「投稿欄」の執筆者とタイトル

   (投稿作品には左「札幌民主文学会」下の筆者名をクリックしてお入りください

 

    後藤 守彦

     加藤虎之助を知る

 

   大橋 あゆむ

     エッセイ  さりげなく