229号

 

 

 

「五十鈴川の鴨」 竹西寛子著を読んで

 

                村松祝子

 

 

 

一年ほど前土曜日の朝、ラジオから聴こえてきた朗読の声に聞き耳を立てた。男性アナンサーの沈んだ落ち着いた声が語る物語に惹きつけられた。本の題名は竹西寛子作「五十鈴川の鴨」と放送された。いつか読んでみたいと思っていた。それが何号かの月刊「民主文学」の中に「原爆文学に目を向けよう」という内容で特集が組まれたことがあった。その中の冒頭に竹西寛子氏の「五十鈴川の鴨」が載っていた。   

 

この表題の二度の出会いに驚き早速買い求め私なりの読後感を記します。

 

 

 

主人公は私という人物を通して語られる被爆者岸部悠二の心の戦いと生き方を静かな文章で描いている。一つ一つの言葉と、文節が意味深く、女性らしい美しさを感じた。日本語の美しさと言葉の意味する深さにも気づかされた。

 

文体にも品性が感じられる。

 

物語は50代に手がとどく年齢の私と岸部悠二は十二、三年前ある企業の企画セミナーで出会った。相手も私と同じ建築士で、当時の会社は社員を順次セミナーや研究会、視察の目的で外部へ派遣させていた。岸部とはそれらの会合でよく顔を合わせた。研修講習会が終わり、夕食後の自由時間になるといつか宿舎近くのカウンタで席を並べるようになっていた。彼の控えめな、一瞬見せる、物悲しさに私は惹きつけられた。岸部は日生活について一切を語らなかったし建築士としては精密機械さながらのように仕事をこなす人物でもあった。人の話を聞くのも誠実で謙虚であったしどこか品性を漂わせてもいた。そう言う彼は私には気になる男であったが付かず離れずの付き合いが長く続いていた。がある日突然香田と名乗る女性の訪問を受け岸部が急病でなくなり四十九日も終わったことを告げられた。唖然とする私に岸部の言づけを伝えた。「六月十五日はよい日でした。ありがとう」と伝えて欲しいと、ただそれだけだった。

 

死の間際に伝えた言葉をたどって私は六月十五日を思い起こした。 

 

あの日はセミナーの後で岸部を伊勢神宮に誘そった。そこは私が生きづらくなった時私の心が洗われる場所であった。私達は五十鈴川を下上してくる三羽の幼鳥を従えた一対の鴨に出会った。「いいなあ」と自分にだけ納得するかのように岸部は呟いた。 香田と名乗った女性は「岸部は中学生の時広島で家族と家を一瞬にして亡くし、それ以後生きるために被爆者としての自分を消すことを課したのだ」と語った。 あの五十鈴川の鴨の光景が岸部の消そうとしていた過去を思い出させた残酷さに私はいたたまれず雑踏の中へあてもなく歩き出した。

 

「五十鈴川の鴨」はここで終る。

 

 

 

私は、作者ともに主人公の気持ちに入り込み、主人公と共に思い悩んでこの掌編小説を読み終えた。岸部悠二のような有能な多くの若者を日本は失ってきたことだろうか。原爆は人間性そのものを変えてしまう。個々の被爆者は個々の被爆の思いを心に秘めて生きている。作者はその思いの一端を見事に伝えてくれた。その思いをどう活かしていくか、今に生きる私達の仕事である。 

 

今年2017年はICANがノーベル平和賞を受けた。特に被爆者の生の声が世界の指導者の胸に響いたことは何よりも嬉しい。国連のあの会議場で抱き合った感激を日本の若者の胸に響かせたい。この喜びを日本全体で特に国を挙げて喜びたい。被曝国のこの日本の指導者がたとえそっぽを向いていても若者たちよ、諸手を挙げて喜び合おう! 現代の若者は「自分たちは、初めから絶望だけしか経験していない、後はもう上がるしかない」という。ならばICANのノーベル平和賞受賞が上がる階段の一歩にしていきたい、百人の岸部と共に。

 

 

 

被爆者の心の襞を深く読みとかせてくれた心に残る良い作品だった。

 

 

 229号

 

 

 

「五十鈴川の鴨」 竹西寛子著を読んで

 

                村松祝子

 

 

 

一年ほど前土曜日の朝、ラジオから聴こえてきた朗読の声に聞き耳を立てた。男性アナンサーの沈んだ落ち着いた声が語る物語に惹きつけられた。本の題名は竹西寛子作「五十鈴川の鴨」と放送された。いつか読んでみたいと思っていた。それが何号かの月刊「民主文学」の中に「原爆文学に目を向けよう」という内容で特集が組まれたことがあった。その中の冒頭に竹西寛子氏の「五十鈴川の鴨」が載っていた。   

 

この表題の二度の出会いに驚き早速買い求め私なりの読後感を記します。

 

 

 

主人公は私という人物を通して語られる被爆者岸部悠二の心の戦いと生き方を静かな文章で描いている。一つ一つの言葉と、文節が意味深く、女性らしい美しさを感じた。日本語の美しさと言葉の意味する深さにも気づかされた。

 

文体にも品性が感じられる。

 

物語は50代に手がとどく年齢の私と岸部悠二は十二、三年前ある企業の企画セミナーで出会った。相手も私と同じ建築士で、当時の会社は社員を順次セミナーや研究会、視察の目的で外部へ派遣させていた。岸部とはそれらの会合でよく顔を合わせた。研修講習会が終わり、夕食後の自由時間になるといつか宿舎近くのカウンタで席を並べるようになっていた。彼の控えめな、一瞬見せる、物悲しさに私は惹きつけられた。岸部は日生活について一切を語らなかったし建築士としては精密機械さながらのように仕事をこなす人物でもあった。人の話を聞くのも誠実で謙虚であったしどこか品性を漂わせてもいた。そう言う彼は私には気になる男であったが付かず離れずの付き合いが長く続いていた。がある日突然香田と名乗る女性の訪問を受け岸部が急病でなくなり四十九日も終わったことを告げられた。唖然とする私に岸部の言づけを伝えた。「六月十五日はよい日でした。ありがとう」と伝えて欲しいと、ただそれだけだった。

 

死の間際に伝えた言葉をたどって私は六月十五日を思い起こした。 

 

あの日はセミナーの後で岸部を伊勢神宮に誘そった。そこは私が生きづらくなった時私の心が洗われる場所であった。私達は五十鈴川を下上してくる三羽の幼鳥を従えた一対の鴨に出会った。「いいなあ」と自分にだけ納得するかのように岸部は呟いた。 香田と名乗った女性は「岸部は中学生の時広島で家族と家を一瞬にして亡くし、それ以後生きるために被爆者としての自分を消すことを課したのだ」と語った。 あの五十鈴川の鴨の光景が岸部の消そうとしていた過去を思い出させた残酷さに私はいたたまれず雑踏の中へあてもなく歩き出した。

 

「五十鈴川の鴨」はここで終る。

 

 

 

私は、作者ともに主人公の気持ちに入り込み、主人公と共に思い悩んでこの掌編小説を読み終えた。岸部悠二のような有能な多くの若者を日本は失ってきたことだろうか。原爆は人間性そのものを変えてしまう。個々の被爆者は個々の被爆の思いを心に秘めて生きている。作者はその思いの一端を見事に伝えてくれた。その思いをどう活かしていくか、今に生きる私達の仕事である。 

 

今年2017年はICANがノーベル平和賞を受けた。特に被爆者の生の声が世界の指導者の胸に響いたことは何よりも嬉しい。国連のあの会議場で抱き合った感激を日本の若者の胸に響かせたい。この喜びを日本全体で特に国を挙げて喜びたい。被曝国のこの日本の指導者がたとえそっぽを向いていても若者たちよ、諸手を挙げて喜び合おう! 現代の若者は「自分たちは、初めから絶望だけしか経験していない、後はもう上がるしかない」という。ならばICANのノーベル平和賞受賞が上がる階段の一歩にしていきたい、百人の岸部と共に。

 

 

 

被爆者の心の襞を深く読みとかせてくれた心に残る良い作品だった。