183号

   この世の中を極楽にしよう

                      林 清三

 

 私は『般若心経』を勉強した。

解らない所をいろいろと研究していると、お釈迦様と同じ実践をしているように感じ、だんだん彼岸に渡って行く気持ちになった。

 このような気持ちになるのは、それほど難しいことではないように思う。現在の多くのお年寄りで年金生活を送っている人の中に、自分自身を「幸福だ」と思っている方がいるとすれば、そのほとんどは既に極楽に生きていると思うのだ。

 子供の頃、親に「良いことをしていると、死んでから極楽に行ける」と聞かされたものだ。そのとき思い描いた極楽は、暖かく明るい光のもとで色とりどりの花々が咲きほこり、食べ物も豊かで、また、人々は穏やかで争いがなく、自由に考え、思い思いに振る舞う世界だった。

 もちろん、極楽という思想は仏教での理想の世界である。

「幸福」であると感じている人がいる一方、生活が苦しかったり、病気で金銭的にも困っている人も大勢いる。これらの人たちが「幸福」になるには、政治的、社会的、経済的に大きな困難があるが、不可能ということはない。一人ひとりが、この世を極楽にしようと願い、努力すれば、一歩でも二歩でも少しずつ、人々を「幸福」にしていける。

 このような考えは仏教の国の人々だけではないと思う。キリスト教では何というか知らないが、仮に「天国」ということにして、平和で美しい天国で「幸福」に生きることは人生最上の歓びになっているのではないだろうか。

 回教そのほか、宗教には「幸福」の世界観は必ずあるだろう。

 これらのことは無宗教の人たち、例えば共産主義者の「幸福」の世界観にもあるのではないだろうか。

 平和的に選挙で政権につき国を共産主義経済に改革しても、周りが従来通りであれば共産主義社会には至らない。多くの国々で共産主義の政権が誕生し、大半の国々で民主的で公平な経済活動が進み、全世界の生産が飛躍的に拡大して、子供たちなどへの教育が行き渡れば、世界は共産主義社会となり、人々は能力に応じて働き必要に応じて受け取るようになる。そうなれば、国家や国境が不要になり、人々は自由で平等で「幸福」になる。

 これが共産主義の「幸福」の世界観であれば、仏教の極楽と同じだ。

 この世の中を極楽にしよう。『般若心経』を勉強しながら、そんな思いに行き着いた