民主文学会主催 第三回北海道創作専科提出作品
あの山脈(やま)を越えて(30枚)
豊村一矢
二〇一一年三月。薄日が射す絶好のゴルフ日和だった。嘉島カントリー倶楽部は南相馬市役所から五キロの近さにある。平日は、時間に余裕のある主婦と年金を趣味に費やせる身分のリタイア組がほとんどで空いている。
本間辰男はラウンドを終えると風呂で汗を流し二階のレストランに入って行った。一緒に回った三人が談笑しながら待っていた。他に客は見えない。中央の電光デジタル時計は大きくて嫌でも目に入る。
minの数字が音もなく動いた。
3/11 FRI 02:45PM
昼食には半端な時間だがニギって(賭けて)いるので仕方がない。
「本間さん。いつものやつだろう?」
辰男がテーブルにつくと、向いの男がメニューも開かずに言った。
「ゴチ(ご馳走)になります」
辰男は気分がいい。久しぶりに八十五を切って一位だった。一位の昼食を三位が、二位のを四位がオーダーして支払う。このメンバーがニギルときの決まりだ。
「こんな時間にゴチになると晩メシが入らんなあ」と二位の男が言うと、四位が「それで海老丼大盛りを頼もうってんだから、意地汚い」と揶揄する。
頃合いと思ったのか、ウエイターが注文伝票を手に近づいてきた。
その時だった。突然、ズンと不気味な衝撃が背骨を突き抜けたと思ったら強烈な揺れが襲って来た。弾かれて床に転げ落ちる。椅子にしがみつく。建物が悲鳴を上げ、柱が軋み、物が横っ飛びに落下する。
「大きいぞ!」
隣のテーブルに潜り込むと明るい開けた方に目が向く。吹き抜けの大きな窓に花曇の空が映った瞬間、ガラスが砕け、枠ごと落ちていった。
辰男の家は南相馬市原町にある。十年前に農業協同組合(JA)を定年退職した。現役時代は転勤が多く自分の家を持てなかったが、退職を機に家を新築して一人息子の家族と暮らすことにした。息子は妻と男の子二人の四人家族、スポーツ用品販売を全国展開する会社の原町店で主任をしていた。本社が郡山なので息子の転勤を考慮しても南相馬市は手ごろな場所だった。
JAという巨大な組織の中で大過なく過ごし、退職後は趣味のゴルフに熱中する日々だった。妻は四年前、膵臓癌が見つかり闘病半年で他界した。そのときの必死の看病と喪失感を除けば、怠惰といっていいほど平凡な半生だった。だが、三月十一日の大震災が事態を一変させた。
家族と家は無事だったが、翌日から避難所生活が始まった。避難四日目に仮設電話がつき、やっと新潟の嫁の実家と連絡がとれた。その二日後、息子家族は困窮を極める避難所を出て嫁の実家に退避する決断をした。原発事故の恐怖が気持を急かせていた。
辰男は新潟に向う家族と福島で別れ、大宮に行くことにした。仮設電話で大宮の妹、美智子と話したときに決めた。
美智子は、嫁の実家では互いに気を遣って窮屈だろう、辰男だけでも来いとしつこく言った。そして「志乃さんも心配していたよ」と付け加えた。
志乃? 久しく思い出すこともなかった名だった。
2
一九五一年二月。北海道滝上村オシラネップ。オホーツク海岸から三十キロほど内陸に入ったところにある。
陽が落ちて風が強くなった。風は雪を巻き上げながら畑中の一軒家にも容赦なく襲いかかってきた。
辰男は父の帰りを待っていた。父は復員して四年。家では祖父母が農業を営んでいるが、父の和男は営林署に復職し、六キロも離れた村里の出張所に通っている。その日は営林署の人事異動の内示日だった。
辰男は三月、滝上小学校オシラネップ分校を卒業する。
突然、入口の板戸が激しく叩かれた。
「誰だ。こんな夜に?」
祖父が訝って祖母を見た。妹がそっと母の袂を握った。
建付けの悪い板戸が開くと突風が一気に流れ込んだ。土間で雪が渦を巻く。水がめの柄杓が転げ落ち、電燈が振れて人の影が壁で踊る。雪まみれの郵便配達夫が現れた。
「電報です。本間静子様宛だべ」
配達夫が鞄の雪を払いながら言った。
母が電燈の下で電文に目を走らせる。そして二度目を声に出して読んだ。
カズオニユウイン ブジダ」ジロウ
次郎は父の従兄弟だ。村役場に勤めている。
母が縋るように配達夫を見た。配達夫は顔をくずした。
「心配いらんよ。病院に運ばれたけど、大した怪我じゃないっちゅうこった」
「怪我?」
「線路を歩いとって汽車にぶつかったと」
「汽車に!」
「でも、機関士が気ぃついて、今の人どうしたべって、首さ出して後ろ見たっけさ、雪ん中さ、ぶっ倒れてたんだと」
「で!」
「あわくって汽車止めて、だんなさん乗せて駅までバックして病院さ運んだと。機関士が気ぃつかんかったら、この雪ん中だも、どうなってたか。奥さん、運よかったなあ」
「あんた、うちの父さん見たの?」
「見ちゃあおらんけど、ちっちゃな村だも、汽車で運ばれりゃ、知らんもんは居らんよ」
祖父が顔を歪めた。
「病院さ行くぞ。みんなだ。ばあさん、炭、熾せ」
地吹雪を突いて馬橇で村里の病院まで行くというのだ。馬橇に箱型の台を乗せ、幌で覆って風雪を凌ぐ。
農耕馬に曳かれて馬橇が行く。幌の中では火鉢の炭火だけが明かりだ。母は角巻をはおり炭火をじっと見つめている。妹は母の角巻の中で静かだ。
みんな父のことを口にしない。
「じぃっちゃ、吹き溜りは?」
辰男は幌を少し開け、御者台に声をかけた。
「ない。風で雪がよう飛んどるわ」
馬体が目の前にあった。馬と祖父の間から夜の雪原が見えた。地吹雪が生き物のように舞っている。沿道の電柱が同じ間隔で現れ後方に去る。電柱は去年の夏に立った。辰男の家に電気が通ったのはそのときだ。
炭俵の横に飼葉を積んである。辰男はそれを枕にして横になった。すえた匂いがした。
「いい知らせを持って帰りたいものだ」
けさ、父はそう言って出かけて行った。
「転勤するぞ。子供のためだ。札幌か、せめて旭川だ。都会は文明だからな」
それが父の口癖だった。
祖父は跡継ぎにこだわらない。
「跡取り? 馬鹿ぬかせ。神国日本がいくさに負けた。小作が田畑持った。長男が跡取りせんちゅうて、どこ悪い」
祖父は濁酒が進むと祖母によく喋った。
辰男はどうなのか、自問してみる。
札幌は賑やかで、映画館や百貨店、大学や本屋、どこまでも建物が並んでいる。会社員や商人や画家や小説家、科学者、学生、いろいろな人達がいる。文明という言葉は初めて灯った電球の明るさにつながっている。
出張所には電話がある。手紙なら札幌から四日はかかる。父の転勤が分ったら札幌営林署の親友が「日報」のときに教えてくれる手はずになっていた。
馬橇が踏切に近づいた。
辰男は左の幌の隙間を広げて西方に目をやった。大雪山系、北見山地の方向だ。目を凝らしても西方の空は灰色にくすんで定かでない。
あのくすんだ灰色の空の遥か向うに輝く都会がある。
ふと辰男の脳裏に細野志乃の白い顔が浮かんだ。志乃の父親は、母・静子の兄だ。戦前、細野は本間の農地の小作だった。志乃は同じ歳の従兄妹なのに下級生のように振る舞う。父親が戦死し、母親はアイヌと再婚して農家を続けていた。今朝も志乃は粗末な着物をまとい筵で風を避けながら学校に来た。手も顔も首も真っ赤だ。ストーブに翳した手を辰男は自分の手で暖めてやりたい衝動に駆られた。
辰男は息苦しくなった。寝返りをして右の幌の隙間を広げた。
風が和んで遠くが見える。
黒光りしたレールが地平まで伸びている。父はこの線路を汽車で運ばれたという。嬉しい知らせを少しでも早くと線路を急いだのだろうか。
馬橇は病院の横手に廻った。それを待っていたかのように廊下の電燈が点いた。人の気配がして裏戸が開いた。
「おお、来たか。こっちから上がれ」
次郎だった。
「和男はどうだ?」
祖父が真っ先に訊いた。
「ハハハハ。何も何も。ほんの掠り傷だ」
病室の戸を開けるとベッドの上で父が笑っていた。妹がぱっと顔を赤らめて真っ先に入った。
寝巻きの下から包帯を巻いた足と左腕が見える。
「あんた、どうして……」
母が遠慮がちに言った。
「いやあ、近道しようと思ってな、汽車が来たのは分ったんだ。避け方が足らんかったんだなあ」
父は壁の外套に目をやった。復員のとき着てきた軍の外套だ。みんなの目は裂けた裾に釘づけになった。
「あれはな……」
お喋り好きの次郎が説明し始めた。郵便配達夫が教えてくれたことは正確だった。
次郎が帰えると、妹はベッドに両肘をついて父の顔を覗き込んだ。
父が妹の頭に右手を当てた。
「美智子、お前も四月から札幌の三年生だ」
一瞬、病室の時間が止まって、またゆっくり動き出した気がした。
窓に寄ってカーテンを少し開けた。
風はすっかり止んでいる。
辰男の目に冠雪して輝く大雪山系の峰々が浮かぶ。
志乃と一緒にあの山脈(やま)を越える……。不用意にそんな思いが湧いて辰男は秘かに赤面した。
火照った頬をガラスから伝わる冷気が撫でた。
3
二〇一一年四月。滝上町オシラネップ。渚滑川に沿った山森の雪がようやく消え、落葉に被われた地面が顔を出した。木々の芽吹きには早く、陽光は遮られることなく地表に降り注いでいる。湿った落葉が暖められ豊潤な香りを放ち始めていた。
辰男は牛舎の裏口に佇んで西方の空を眺めた。大雪山系の山々は近くの低山が邪魔をして見えない。
「辰男さん。昔の家に行ってみないかね。天気もいい」
いつの間にか細野志乃が立っていた。
「昔の家って?」
「辰男さんたちが住んでいた家だよ」
「え! まだ残っているんですか」
辰男は、昨日この生れ故郷に着いたばかりだ。
内気な少女だった志乃は健やかに老いていた。くっきりした二重瞼に面影がある。長男の保夫妻が肉牛を飼育し、馬鈴薯、トウモロコシ、デントコーンなどの畑作は若い孫夫婦の仕事になっていた。志乃は離れに住んでいる孫夫婦を含めて家族全員の食事を担当していた。
*
大宮の妹夫婦の家に落ち着いた翌日、志乃から電話があった。志乃は、「無事でよかった。懐かしい」を何度も繰り返した。そして、オシラネップに来ないかと熱心に言った。オシラネップに永住してもいい、自然豊かな棲家を用意できるとも言った。辰男はうろたえた。志乃は遥か昔に意識から遠ざかり消えていた人だ。
それでも一度だけ志乃のことを聞く機会があった。祖父が死んだ後、農地は父が相続していた。農家を継がない父は休耕地、耕作放棄地になることを避けるため固定資産税などと相殺できる金額で細野と賃貸借契約した。父が二十年前に亡くなると、母は自分と辰男・美智子も相続を放棄して全農地を姪である志乃に贈与(相続)することを願った。ずうっと親元を離れていた辰男は祖父の農地の成り行きをそのとき初めて知った。JA職員としても呆れるほど無関心だったわけだ。そのときのやり取りで、志乃がオシラネップで農家を続けていることを知った。アイヌと結婚していると聞いて驚いた記憶がある。
「相続のことで恩義を感じているんだろうか?」
辰男は志乃との電話が済むと傍の美智子に尋ねた。
「さあね。案外、お兄ちゃんのこと、思っていたのかもしれないよ」
美智子が悪戯っぽく笑った。
美智子の夫もニコニコ笑っている。ゴルフ友達でもある義弟は苦にならない。大宮に行くと決めた理由の一つでもある。
「原町の家が気になるんでしょ?」
美智子が言った。
「先がまったく見えないからな。いつ帰れるのか、それとも永久に南相馬に住めないのか、何もわからん」
「原町の店舗は完全にやられたみたいね」
「中心街は海に近いし低いからな」
「志乃さんはいい人だよ、きっと。一度行ってみたら」
美智子と志乃は、二十年前の相続のとき以来、折々に電話で話す仲になったという。
四月十五日。辰男は羽田発紋別行ANA845便に乗ってオシラネップに向った。美智子の家に落ち着いて一ヵ月後のことだ。
この間、志乃から何度か誘いがあった。はじめは、長いこと没交渉だった細野家に親戚面を下げて避難するなど非常識だと思った。だが一方で志乃の声を聞いているうちに、永い眠りから覚めるようにオシラネップの風景が辰男の脳裏に蘇ってきた。三番目の避難場所と決めたのではない。一時でも心静かな時間が得られればと志乃の好意に甘えることにしたのである。
はじめの避難所では、生きること全てがストレスだった。比べれば妹夫婦の家は天国だが、衣食住が安定しても無為の日々では精神的な不安や動揺が却って深まっていく。
ゴルフ場から逃げる途中で丘の上から偶然目撃した大津波。命と生活を飲み込みながら、東北火力発電所を越え、国道六号を越え、JR常磐線に達した。
毎晩、悪夢から逃れようとあがいた。瓦礫の下やひっくり返った車の中の遺体が夢に出た。いくら逃げても背後に迫る放射線に怯え夢から覚めた。
現実の問題では、南相馬に戻る見通しはまったく立たず、孫達は四月から新潟の小学校に通っている。息子は家族を新潟に残して郡山の本社付で原町店の後始末に奔走している。辰男は見守る他、することがないのである。
ここに至って辰男が居た堪れなくなるのは原発事故の恐怖だ。連日のテレビで専門家の解説を聴いているとなぜか嘘が見える。したり顔が透けて中味が見える。辰男に原発の専門知識はない。でも嘘をついている顔だと分る。
*
「本当に残っているの? 信じられないなあ」
昔の家を見に行くのに保がライトバンを出してくれた。
「去年は立っていました。遠くから見ただけだけど」
「さすがに住むのは無理だろうね」
信じられない気持が久しぶりに冗談を言わせた。
「あ。辰男さんに、自然豊かな棲家も用意できるっていったけど、そこじゃないからね」
志乃も冗談で応えた。
十分も走っただろうか。見覚えのある風景が出てきた。全てが小さく狭いのだが確かに故郷の原風景だ。
「あの辺りだったかな」
周囲より木々の密度が濃い林を指差した。
「そう。覚えていたね」
志乃が嬉しそうに言った。村道から家まで五十メートルほどの道があったはずだが完全に消えている。
家は立っていた。戸、窓は全て落ち、土壁もかなりくずれているが輪郭は形を留めている。家の周囲は農作業や家畜の放し飼いをする庭だったが、今やそこには若い木々が密集し旺盛な食欲で家を侵食しつつあるように見えた。
三人は崩落に注意しながら中に入った。床はほとんど抜け落ち、朽ちた畳に野草が枯れたまま密生している。なんと南の壁近く、屋内なのに胡桃の若木が凛と立ち、屋根の高さに達していた。破れた屋根や壁から日光を貪っているのだろう。
「辰男さんが生れた家だね」
志乃が感慨深げに呟いた。
―あの戸口から郵便配達夫が入って来た……。
―あの際に立って地吹雪を眺めながら父の帰りを待っていた……。
「ちょっと、遠回りして帰りましょう」
廃家を見た後、保の提案でオシラネップをドライブすることになった。ライトバンが動き出してすぐに、山裾に拓かれた緩やかな牧草地が出てきた。雪が所々残っているのに早くも新芽が顔をだしている。
「ここは……?」
「そうです。本間さんに譲ってもらった土地です。牛を放牧したり、飼料を作ったりしています」
「採算はとれているんですか?」
辰男は、つい、JA職員の感覚で訊いた。
「畑で採る飼料もあるから何とかやれています」
保は嬉しそうだ。
「欲が過ぎると自分で自分の首を絞める。自然と仲良くするのが一番です。これ、アイヌの生き方かな」
「アイヌの生き方……ですか」
「ええ」
と言ったきり、保は悪路の運転に気を取られたようだ。
小さな峠を越えると木々の隙間から川が見えた。その脇に風景とまったく不釣合いな看板が立っている。
―産業廃棄物最終処分場建設反対!
北海道アイヌ協会オホーツク支部―
「この藻別川に鮭が遡上します。そこをゴミの捨て場にするというわけです。推進派は深く埋めるから安全だと……。安全神話です」
「アイヌ協会がなぜ?」
「アイヌの権利回復として生態系の保全を要求する人達がいます。もともと北海道はアイヌが自由に暮していた大地だという主張が基礎にあるんだと思います。藻別川はESDの実践地域になっています」
「ESD?」
「『持続可能な……開発のための教育』、だったかな」
「保。急にいっぱい喋っても……」
横から志乃が嗜めた。
「あ、そうですね。夜にでも」
「いや、」
辰男は話を中断したくなかった。
「何となく解ります。だとすると、アイヌはみんな、処理場建設に反対ですよね」
「それが単純じゃない。札びらをチラつかされて推進の旗振りをやるのもいる。利権漁りも出る。原発問題と同じじゃないですか……」
「うむ」
一瞬、辰男は責められた気がして口籠もった。
「という僕だって、アイヌの生き方をきちっと解っているわけじゃありません。『人にやさしく』とか『自然と折り合う』とか、僕のポリシーを勝手にアイヌの生き方って言っているだけです」
辰男は保が意識してアイヌに触れていると感じた。ここへ来るのにアイヌのことが唯一の気がかりだったのは確かだ。それを見通して自分たちを曝け出しているのではないかと思った。自負と思いやりを感じるのだ。
オシラネップ原野を通って帰った。父を運んだ鉄路は既になく、立枯れた草々が一面を覆い尽していた。
夕食の後、辰男の今後の話になった。保と妻の倫代も一緒だった。
「仮住まいだと手っ取り早いのは教員住宅だけどね。廃校で使わなくなって町が入居者を募っている。家賃月二千円だよ。家具なんか全部揃っているから明日からでも住める」
志乃がどんどん先の心配をしてくれる。
ここに来て二日なのに、辰男は自分の変化を感じている。それは生れ故郷に期待したものとは違うようだ。癒しとは逆の、どこか猛々しいものが辰男を静かに興奮させている。
「辰男さんに見せたいものがある」
志乃が立ち上がって奥の仏壇の引き出しを開いた。
保が辰男の耳元に口を近付けて小声で言った。
「満州で死んだ祖父。だから母の実父。あなたの伯父さん。その人の手紙ですよ」
「!」
志乃が封筒から手の平ほどの紙片を取り出した。
俊子ヘ 元気デスカ 帰リタイ ボクハ棄テラレタ民ヲ守ツテ帰国ノ途中病ヲ得テシマツタ 任務完遂カナワズ満州ノ地ニ果テルカモシレヌ 志乃ヲ頼ム コレカラオ前ハ誰カノ為デハナク自分ノ為ニ生キテクレ
志乃ヘ 父ヲ許セ オ前ガ生レタトキ男ナラヨイノニト思ツタ 男ナラリツパナ兵隊ニナレルノニト思ツタ
浅ハカダツタ
そこで文字通り紙幅が尽きていた。
紙片は、一九四六年秋、山口県の引揚者から届いた手紙に入っていた。手紙には経緯が詳細に書かれていた。
志乃の父、昇平は一九四五年八月、中国北東部、関東軍の一部隊にいた。ソ連軍の突然の侵攻、所属部隊は多くの現地日本人を置去りにして退却する。退却中の列車がソ連空軍の爆撃を受け、辰男は負傷した。部隊と逸れた昇平は、自力で帰国を果たそうと逃避行する日本人の集団と合流した。そこで山口の引揚者と知り合う。集団を守って朝鮮国境を目指したが、傷から入った菌が回ったのか高熱が治まらず病状が悪化した。紙片は、死を覚悟した昇平が「自分が死んだときには届けてほしい」と託したものだった。昇平はそこから一歩も動けず死んだ。最後に、紙片は使われた封筒を切り開いて裏を使っている、昇平は国家の棄民策を大変悲しんでいた、国賊扱いが家族に及ぶのを恐れて紙片の文面は抑制されている、と書いてあった。
「本間のじいちゃんが、この手紙と紙を持って役場に行って、『名誉の戦死』扱いにしてもらったんだと。後々のことを考えたんだろうね」
「知らなかった。子供だったからだろうか」
辰男は当時の志乃の家を思い出せない。従兄妹でも外で顔を合わせるだけで家の行き来はなかった気がする。元地主と元小作の関係がそうさせていたのだろうか。
「お義母さん」
珍しく倫代が口を開いた。
「私はアイヌの保と付き合ってから結婚決めたけど、お義母さんは突然来たママ父がアイヌで嫌でなかった?」
「嫌だったよ。怖かったさ、始めは。でも、だんだんそうでなくなった。母さんも義父さんも生きるためくっ付く他なかったんだ。愛だの恋だのゼロ。夫婦の絆は後から育ったんだよ。義父さんには助けられたよ。冬なんかね、床板剥して土に藁を敷くの。それが凄く暖かい。アイヌの知恵さ。仲の良い夫婦で働き者だった」
「祖母ちゃん達のその感じ、うっすら覚えている。だけど母さん達も相当仲良かったなあ。焼餅焼いたくらいだ」
保が力を込めて言うと、倫代が、
「私も二人を見て結婚決めたんだから」
と付け足した。
「何を言ってるんだか」
志乃がはにかんで顔を赤らめた。
「ねえ、お義母さん。辰男さんはどんな子供だったの?」
倫代は初め寡黙な印象だったが違ったらしい。
「そうだねえ。根っこの優しい人だったね」
「初恋の人?」
「ふふふ、そうなるのかね」
志乃は保夫妻の歓声を受け流しながら、
「辰男さん。これからのことはゆっくり決めるといいよ」
と言った。
四月二十二日。志乃と保夫妻が滝上町のバス停まで見送ってくれた。辰男は六〇年ぶりに大雪山系を越え、中学・高校時代を過ごした札幌を経由して大宮に戻る。復路にこのルートを敢えて選んだ。保と志乃が旭川空港まで送ると言ったが固辞した。都市間高速バスは浮島峠を抜け、大雪と北見山地の狭間を走る国道三三三号に入った。
辰男はオシラネップに滞在して、被災後の不安や混乱、恐怖を解消できたわけではない。しかし、故郷の風景と志乃たちの暮らしに触れて何かが起動し始めた。
JAへの就職は無意識にオシラネップが影響していたのではないか。「食っていける農業、きつい労働からの解放」がJA職員としての辰男のモットーだった。だから機械化近代化を奨励し生産効率向上のために奔走した。一方では、「急激な資本主義化と米国の農産物輸出戦略への追随は危険だ」という声も気になっていた。だが実際は成功例ばかり強調し、農業人口、食料自給率の極端な減少などには目を瞑った。そして国際競争に勝てる近代化、合理化を、したり顔で説いてきた。そうだ。したり顔で、だ。
それは原発擁護の専門家と同じではないのか。
辰男は、その思いを志乃に話した。
「原発事故の加害者は電力会社だけではない。目先の打算や保身や快適な生活に目が眩んで真実から目を逸らした、僕みたいな人間も加害者でした。オシラネップに、それを認めなければ被害者に申し訳が立たんだろうって叱られました」
志乃が小さく笑った。
「難しいことは分らない。でも辰男さんがオシラネップに落ち着くのはだいぶ先だってことは分ったよ」
「身体も心も傷だらけなのに、何か青臭い使命感みたいなものが湧いて……。志乃さん達のお陰です」
「お陰だなんて。辰男さんは根っこが優しいから。優しい人はいざというとき勇気が出せるんだよ」
志乃が辰男を見据えて言った。
バスは上川町に入ったらしい。周囲の山が低くなる。峠を越えたのだ。
まず、息子家族の再出発に寄り添おう。
元同僚の反農水省派の連中を訪ねてみよう。
最後の赴任地だった岩手のB町に行ってみたい。
学生運動のリーダーで経産省に入り原子力に行った奴がいたな……。
旭川の街が見えてきた。
振り向くと、紺碧の空に大雪山系の白い峰々が悠然と横たわっていた。