231号

 

ウミホタル

 

石川節子

 

 

 

昭和三十三年、私は十六歳の高校生で、会社に勤める従業員でもありました。根室に近い浜中町の漁村からひとり釧路市に出て、四畳半一間の借家住まいで毎日、朝五時には起きて朝食を作り、お弁当も作って出勤して、夕方、勤めを終えると夜学に通学しておりました。

 

しかしその頃、私は、まだまだ子どもだったのだと思います。半年に一度ぐらいは家族が恋しくて家に帰りたくなり、高校が休みになると勤めを終えて直ぐに汽車に乗り帰省していたものです。

 

ちょうどその日はお盆の十六日、最終列車で浜中駅に降りると霧多布まではまだバスがあるのですが、霧多布から火散布までの残りの十二キロはもうバスも無くなり、徒歩で行くしかありませんでした。

 

遠浅の琵琶瀬湾のなぎさぞいを、たったひとりでとぼとぼ歩いて行くと、粒子の細かい海辺の砂は、ほどよく海水を含み良く締まっていて、とても足ざわりが良くて歩きやすく、マサルカ(なぎさの上の波が打ち寄せない草むら)にはオオヒラウスユキソウやホタルサイコも咲きほこり、低い波音はバックミュージックのように静かに奏でられ、夏の海辺の香りが風に乗ってさわやかに流れてきます。

 

五キロほども歩いたころ、いざよいの月明かりの反射とは全く違う、青白い蛍光色の強い輝きを放射して、波打ち際に砕け散る不思議な「光る波」が見えます。その蛍光色に光る波は十メートルほどの広さで打ち寄せています。海辺で育った私にも初めて見る「光る波」でした。その海水を手のひらにすくい取って見ると、海水の中に砂粒より少し大きめの光るつぶつぶが混じっていて、そのつぶつぶはゆっくり動き回るのです。足もとの波の引いた砂上にも無数の「光るつぶつぶ」がうごめいています。両手ですくい取り手でこすりあわせてみると、堅いざらざらとした手触りです。

 

胸のポケットに詰め込むと、ポケットはライトを点灯したように青、緑、、若草色、黄色に光り輝き、まるで自分が大きな蛍になったかのような不思議なおもいのひとときを楽しみました。

 

しかし、いつまでも夜のなぎさでひとり遊んでいるわけにもゆかず、ポケットを光らせながら家路を急ぎ、二キロほども歩いて、ふと気づくと、体温の熱気で蒸し焼きになって死んでしまったらしく、もう動く個体はなく、全く光を放さないただの黒い砂粒のようなものになっていました。

 

家に着いて母に話すと、「お盆のころに、時々、見かける珍しい光る波なので、『海で死んだ人の魂が波に乗って光りながら岸に彷徨ってくるのだ』と云う話を隣のお婆さんから聞いたことがある」。「しかしそれは、昔の人たちが不思議で解明出来ない現象には『魂』を持ち出して安心を得るための解決法で昔の話だ。長いこと海辺に住んでいてもまだまだ知らないことがなんぼでもあるね。また、調べものが増えたね」と、あっさりと云ってのけました。そして「解ったら、わしにも教えてけろ」と付け足すことを忘れませんでした。

 

 

 

あの蛍光色にひかり輝く波の正体が、波間に出て来たベントス(水底のどろに潜る底生生物)で節足動物門:甲殻綱・ウミホタル科ウミホタル(貝虫綱のウミホタル)であり、「真夏には、北の海でも希に見られる」ことが認知されるまでに、ついに六十年の歳月が流れました。