179号


       命をつなぐ

             室崎 和佳子


 私は十勝にも家を持っている。道央圏に引っ越して来るにあたって、住み慣れた家を手放す気は毛頭なかったことと、夏の間は十勝の生活を楽しみたかったからである。ただし、十勝と言っても日本一寒い陸別町なので、十一月から四月まではクローズする。五月中旬畑起こしをするときに陸別の夏の家をオープンするのである。

 畑にはジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、カボチャの四つだけを植える。常時住んでいるわけではないので、葉っぱものは植えない。しかし、根菜類とて草は生えるので、一ヶ月に一回は訪れて草取りをする。

 花畑も二カ所ほどあり、芝生(雑草園になっているが)刈りもしなければならない。家の回りにはぐるりと玉砂利を敷いているので、それらを一つ一つよけて雑草抜きをしなければならない。仕事は山ほどある。

 七月末、花壇で枝ものの剪定をしていた時のことである。

 ボケの木の枝をバチバチと勢いよく五、六本切り、そこで何の気無しに次の枝を見たからよかったのである。どんどん切っていったら、決して彼らと出会うことはなかったであろう。

 白と黒の小型の蝶が、まるで線対称のようにつながれていた。交尾の最中だったのだ。一瞬声も出なかった。それほど美しかったと言えよう。白と黒が流線形の巧みな比率で配されている色調の素晴らしさもさることながら、まるで彫像のように微動だにしない静かな空間がそこに存在していたのである。

 邪魔者がそこにいてはいけない。私は抜き足差し足でそこから立ち去った。

 十五分後、私は気になって、そっと見に行った。二匹の蝶は、まだそのままであった。

 三十分後にまた行ってみた。蝶たちは線対称を保ち続けていた。

 その後何度か見に行ったが、彼らは律儀にその形を保っている。

 死んでしまったのかな。今度は心配になってきた。いやいや、単に長いだけなのだ。明日まで様子をみよう。私の心は右往左往した。

 翌朝行ってみると、雌雄どちらか分からない、生死も定かではないが、一匹だけが、ボケの葉の上にいた。

 その翌日には蝶の姿はなく、ボケの葉だけが、朝日を浴びてピカピカ光っていた。

 彼らの生をつなぐ行為は、厳粛で美しかった。次の世代を残すための一生懸命さが十分に伝わった。感動的ですらあった。

 対して、人間界はどうであろうか。厳粛で美しく、一生懸命で感動的か。